浦和フットボール通信

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VIPインタビュー:レッズと、Jと、メディアの視界を語る。木村元彦×豊田充穂(2)

「健全に見えるサッカー界の裏側にある暗部を痛感した」
「こういうJの側面を、ファンはもっと知る感度を養うべきでは?」
木村元彦氏の前回インタビュー掲載後、筆者が本誌読者や周辺のサポーターたちから伝えられた感想の一部である。私たちが愛してやまないフットボールはさまざまな人々の役割と尽力、そして想いの上に成り立っている。見違えるほどの変化を見せて始動したミハイロ・ペトロヴィッチ率いる今季の浦和レッズ。対談後編はイビチャ・オシムに代表される旧ユーゴのフットボールはもちろん、昨今のJでも圧倒的な存在感を示す同国指揮官たちの取材歴で知られる氏に、ミシャ・レッズへの期待を語ってもらった。 浦和フットボール通信・豊田充穂

木村元彦(きむら・ゆきひこ) プロフィール
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。愛知県生まれ。サッカーを縦軸に旧ユーゴの民族紛争を描いた『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』(いずれも集英社文庫)は、ユーゴサッカー三部作と称される。著書に『蹴る群れ』『オシムからの旅』など多数。『争うは本意ならねど』は『社長・溝畑宏の天国と地獄 大分トリニータの15年』(集英社)に続くJリーグ三部作のラインナップとして上梓。三作目を構想中。『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』(集英社インターナショナル刊)で、第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。2011年日本民間放送連盟賞テレビ報道部門東京地区審査員。

【旧ユーゴの指導者たちが示す、日本と日本サッカーに対するリスペクト】

豊田:対談後編は、木村さんに是非お訊きしたかったミハイロ・ペトロヴィッチ監督に関する証言と解説です。まず浦和レッズ監督に就任のニュースを聞いた際の印象からお聞かせください。

木村:もちろんミシャには広島時代から取材を重ね、私自身の評価も固めていました。その経験から言えば、あるべき判断がなされたなと……そういう印象は持ちました。

豊田:彼の指揮による戦いぶりはすでにメディアもレッズサポーターも確認済みです。埼スタの雰囲気も昨シーズンとは一変している。個人的な印象でいえば、短期的なチームのリカバリーとしては最高レベル。障壁は多々あったはずで、あの窮状からよくあそこまで持ち直せたと思える修復術です。チームのムードや選手の意識変化も多々報道されているので他に譲りますが、注目したいのはミシャの成果ばかりではありません。木村さんがアンテナを張り続けてきた旧ユーゴスラビア出身の指揮官たちの活躍ぶり。いわゆる“オシム門下生”の3人がそろいもそろって……こちらも凄い。

木村:それぞれの持ち味を出して手腕を発揮していると思います。レッズのミシャを筆頭に、名古屋グランパス(ドラガン・ストイコヴィッチ監督)とFC東京(ランコ・ポポヴィッチ監督)。そうは言っても、やっているサッカーはすでに各指揮官の個性に染められていると感じますけれどね。直系、つまり「人もボールも動く」というおなじみの特性で重ねれば、いちばん近しいサッカーをしているのはFC東京かと思います。メンバーの個性もあの戦術にフィットしているし、観た限りではオシム・サッカーにいちばん近いものを再現している。

豊田:ランコ・ポポヴィッチは、ミシャと同じくシュトルムグラーツでオシム采配を体験している僚友ですね。

木村:ポポヴィッチは3年間に渡って同じチームで選手としてベタ着きでオシムの指導を身をもって受けていましたから、濃淡で言うなら3人の中でもいちばんイズムを継承しているでしょう。トレーニングのメニューも非常に似通っている。「人もボールも動く」に加えて「二列目から押し出す」という連携を、東京はあのメンバーを使いまわして忠実にこなしていると感じます。

Photo by(C) Kazuyoshi Shimizu

豊田:我らがミシャのフットボールはちょっと違いますか?

木村:広島での6年間で、彼はオシム流の原型に日本人向けのアレンジを付け加えたと思います。ポポヴィッチほど徹底したイレブンの連携は規定せず、相手や場面に応じた対処療法を加えて成果を狙う方針を出している。昨季王者のレイソルを倒したゲームを観ましたが、軸になっている駒は間違いなく阿部(勇樹)ですね。イレブンに戦術ベースを植え付けた上で、相手のキーマンに彼を当てて潰す計算も加えている。あれって阿部がジェフに在籍していたオシム時代、レッズ戦では必ず小野(伸二)を担当させられていたのと同じ手法ですよ。

豊田:開幕以来のディフェンスの安定を観ていると、阿部加入の効果は絶大と思います。では、いまやJの強豪の顔となったピクシーの采配ぶりは?

木村:実は彼がいちばんオシムとは縁遠い戦術と思えます。現役時代のピクシーが刷り込まれたのは伸び盛りの現役時代を過ごしたレッドスターの戦術。監督としてのオシムの影響を受けたのはユーゴスラビア代表チーム限定のはずですから。<編集部注:レッドスター・ベオグラードは旧ユーゴスラビアを代表する強豪クラブ。オシムはレッドスターのライバル、パルチザン・ベオグラードの監督を務めていた>。指導者になった後のインタビューでも、最も影響を受けた監督はアーセン・ベンゲルとコメントしていました。事実、今はときどき3バックも併用しますが、4-4-2のフラットなラインの上げ下げを基本にサイドから崩すピクシー以下の名古屋の攻めは元々ベンゲル流と言えるでしょう。他の二人に比べれば、名古屋は使っている駒の個人能力やタイプも違いますし。

豊田:それにしても三者三様に味がある。Jにおいてはブラジル人監督以下のファミリーが現場指導で活躍する時代が長かったのですが、ここに来て勢力図は塗り替わりつつあります。木村さんの眼から見て、旧ユーゴの指導者陣営が昨今の日本サッカーで成果を残せている理由をどのように捉えていますか?

木村:彼らがイメージする戦術自体が日本人に合う、フィットしやすいという部分は確かにあると思う。でも、私は何より彼らの精神性が日本サッカーに調和する側面が強いと感じます。まずは日本人に対するリスペクトを前提に接してくれますし、フットボールだけでなく私たちの文化風土までを積極的に理解し、融和しようとする姿勢を見せる。

豊田:それはイビツァ・オシム監督以来、ずっと引き継がれている彼らの特性と思えます。日本人選手や日本人幹部好みですよね(笑)。我々の感覚に非常に馴染みやすい真面目さとか繊細さを感じます。

木村:彼らにとってのフットボールはスポーツの枠に収まらない。アイデンティティとも言える重要エッセンスですから。

豊田:木村さんがユーゴサッカー三部作で著したように、やはりそれは彼らが背負う多民族国家としての背景や紛争史といったものが影響しているのでしょうか。

木村:そう思います。『悪者見参』(2000年 集英社刊)にも書きましたが、民族間の過酷な軋轢の中で生きてきた彼らにとって、フットボールは自らの存在を告知し証明する象徴なのです。自分をユーゴ人=いわゆる南スラブ人などという曖昧なものではなく、セルビア人たらしめているものはレッドスターやパルチザンのサポーターであるという事実。自分がディナモ・ザグレブの支持者であることは、ユーゴ人ではなくクロアチア人であるということの証し……そんな具合です。

豊田:半端ではない意識ですね。その背景があるなら、URAWAを熱愛するレッズサポーターの心情も理屈ぬきで受け止めてくれそうな気がする(笑)。

木村:現実にそういう側面はあると思いますよ。多少の外交辞令は含まれるにせよミシャは「レッズを指揮することが夢だった」と公言していますし、以前も豊田さんにお話したとおりオシムもレッズサポーターに対する親愛の情を確かに持っていた。

豊田:そういえば本誌が就任直後にお願いした独占インタビュー(『浦和フットボール通信 Vol.45』巻頭特集)の際も、ミシャ監督のレッズサポーターのサッカー熱に対する回答は熱のこもったものでした。通訳兼任の杉浦コーチが思いも込めて訳してくれたせいもあるのでしょうが、レッズ停滞に対するホーム浦和の無念さを告白する質問に対して、「大丈夫だ。俺は分かっている。任せておけ」のオーラが満々(笑)。なんとも頼もしい雰囲気で不安を払拭するポーズを見せてくれました。

木村:でしょう? 就任条件のうんぬんにかかわらず、彼らがレッズを指揮することに特別な想いを抱いているとしても私の中では不思議なことではないですね。

豊田:思い起こせばピクシーもたびたび駒場でレッズを痛めつけた挙句、ヒーローインタビューの最後で「このスタジアムを埋めたサポーターたちにも敬意を表したい」とか繰り返してくれたな(苦笑)

木村:レッズ戦のようなスタジアムとサポーターの雰囲気に反応する彼らの言葉に嘘はないと思いますよ(笑)。その意味からもレッズを率いるミシャがどんな意識をレッズに注入するのかは私自身も興味ふかいし、しっかり見とどけたい思いがあります。

Photo by(C) Kazuyoshi Shimizu

【ミシャ政権の経験値をどう活かすか。それが、レッズとURAWAの課題】

豊田:では最後に、ミシャ率いるレッズの未来に対する見解をお願いします。

木村:懸念するとしたら、やはりその将来展望の部分でしょう。ミシャ政権がレッズに残すであろう経験値。それをレッズというクラブがどう活かすか、活かせるのか……そこに尽きると思います。私が気になるのは、そもそもミシャ就任までの流れの中でも経緯や伏線が報道されましたよね。

豊田:そうですね。

木村:岡田さん(武史)が挙がったし、西野さん(朗)の名も出た。これはもう他ならぬレッズ支持者の皆さんがいちばん悩んできた部分なのでしょうけれど(笑)。いったい何を基準としたオファーで、最終的にミシャに落ち着いたのか……そういう疑問は残ります。幸いにも彼の戦術が即効で機能して、チーム情況は回復しているけれど、それはレッズというクラブの根幹にかかわる問題ですから。

豊田:その通り。疑問が残っています(苦笑)。

木村:となるとね。例えば選手時代からゼリコ(ゼリコ・ペトロヴィッチ)を取材し、彼のレッズへの思いもことあるごとに見聞きしてきた自分としては複雑な気分もありますよ。逆にお伺いしたいのですが(本誌・椛沢編集長に向かって)、どうなんでしょう、レッズサポーターとして、こういうゼリコに対するクラブの処遇というのは?

本誌・椛沢編集長:それはもう、可哀想だなと……。大半のサポーターも彼だけの責任ではないことは分かっていますので。

木村:実は(レッズを退団して)帰国する前日に、彼と話ができる機会がありまして。

豊田:それはそれは……取材をされていたのですか?

木村:いや、ゼルビア町田がJ2昇格を決めた試合会場で偶然出会ったのです。(ゼリコは)ポポヴィッチとは盟友なので応援に来ていたらしい。いろいろ取り沙汰されていた頃だったし、私も実情が訊きたかったです。でもやはり、本人は「多くを語らず」だったな。ただ「仕方のないこと。いまもこれからも、自分の浦和レッズに対する想いは変わらない」と……。

豊田:切ないですね。ゼリコは「現状のクラブ内で可能な指揮権」を受け容れた上で就任し、その受容のもとに去ったと思えるだけになおさらです。

木村:やっぱりそういう問題は抱えたままということでしょうか。

豊田:冒頭に出たお話にも通じるものですね。我らが浦和レッズも多面的な要素に支えられ、実に危ういバランスの上に築かれていると感じます。しかしこれは木村さんの地元クラブであり、重要モチーフであるピクシーが率いる名古屋グランパスも同様の“紆余曲折”を経て来たクラブですよね。
<編集部注:木村氏は愛知県出身>

木村:それはレッズ支持者が感じてきたと同じ苦悩は、グランパスを追ってきた自分の経緯にもありました。かねてから豊田さんにもお話ししてきた通りです(笑)。

豊田:確かサポーターズマガジンで木村さんが連載されていた記事に、クラブ幹部がゲラ(校正用原稿)のチェックを申し入れて来たこともあったとか。

木村:はい。それも署名原稿の連載で、ですよ。このときは新聞記者出身の編集長が書き手を守ってくれました。クラブ幹部の意識がプロクラブとしての域に達しておらず、チーム現場とフロントの足並みがまるで揃わなかった。主力3選手をシーズン中に切ったときはメディアとの関係も良好とは言いがたく、また補強すれど結果も蓄積も出ず、かと言って降格もせず、まさに“名古屋の漫然とした“中位力時代”でしたね、当時は……。選手たちにトヨタの工場見学をさせるという不可思議な恒例もあったし、ズデンコ・ベルデニック元監督(2002~2003シーズン)の証言によればクラブ幹部がホームゲームの前にいきなりトヨタ自動車幹部の名簿リストを広げて「今日はこれだけのメンバーが来ている。絶対に勝ってくれ」と頼み込んで来た、なんてこともあったそうです。

豊田:ううーん、そんな状態ではチーム成績も望むべくもない……。でも、名古屋はピクシーと久米一正GMのコンビで、そのようなクラブ成長の過渡期を乗り越えたように見えます。

木村:とりあえずはストイコヴィッチの存在感と久米さんの経験に根ざした仕事ぶりで、体制のかなりの部分が固められたと感じます。でもやはりその部分では、ピクシーが果たす役どころは大きいな。彼が就任して以来、初めて豊田章一郎さんが練習場に来られたと聞きました。トヨタのそういった変化に応えて、ピクシーもリーグ制覇の際に「豊田章男社長に感謝を」とのメッセージも発したりしたわけです。

豊田:ただ、レッズにしろグランパスにしろ、肝心なのはそういうクラブ体制と意識の継続ですよね。

木村:そういうことだと思う。スポンサー事情やクラブ事情にも差異はあるでしょうが、レッズにもクラブの体制整備と意識の継続を望みたいと思います。あの98年大会(ワールドカップ フランス大会)をユーゴ代表として共に戦った仲であり、それぞれのクラブのレジェンドなのに、ピクシーは活躍の場を得てゼリコは去って行く……。レッズサポーターの人たちと同じように、私もその結末には寂しさを感じます。

豊田:幸運にして浦和レッズは、同じ旧ユーゴ出身のミシャの手腕によって多少の“修復のための猶予”を与えられている現状かと思います。

木村:ミシャが新生レッズのアドバルーンで終って欲しくない。今回あらためて浦和レッズ周辺を取材する機会を得て、私もそれを望みますね。

≪2012年4月 都内にて≫


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