URAWA TOWN MEETING 005「2012シーズンを振り返って」 レポート(2)
2012シーズンは、再生、再建の年と位置づけでスタートした浦和レッズは、新たにミハイロ・ペトロヴィッチ監督を招聘。トップチームは3位となり、ACL出場権を獲得した。「URAWA TOWN MEETING005」では、そのトップチームについてのビジョンなどを聞くと共に、未だ伸び悩む観客動員数などにまつわるクラブ運営面の話から地域、ファン・サポーターとの絆作りについて、橋本代表が考えるクラブとしての継続性についても訊いた。
■ゲスト:橋本光夫代表、畑中隆一(事業本部長)、松本浩明(広報部長)
■司会:椛沢佑一(浦和フットボール通信)、豊田充穂
■日時:12月19日(水)19時半~22時
■場所:酒蔵力 浦和本店
ジュニアチーム創設により、ホームタウンとの繋がりを強化。
椛沢:続いてのテーマは、アカデミーについてです。来年からジュニアチームがスタートする中で、地域との連携の第一歩が前回のタウンミーティングでも行われましたが、クラブとしてどのような方向性をもって進んでいくのか、改めてお聞かせください。
橋本:2年間の試行期間を経て、いよいよ来年からジュニアチームを発足します。ジュニアチーム専任のコーチを任命して活動を開始する予定です。活動拠点は駒場にしたいという思いもあり、市当局に打診し街の指導者とも話をしました。しかし駒場自体の使用頻度が高く、レッズジュニアのための使用時間を定期的に確保するのが非常に難しいという結論になりました。よって当面の活動拠点はトップチームと同じく大原です。活動を通じて、地域の指導者の方々とアカデミーの連携を今まで以上に図れたら良いと思うし、浦和に育ってサッカーを目指す子供たちにレッズが直接チームをもって活動をすることはプラスになるだろうという考えの下での決断です。この活動に際しては浦和の指導者の皆さんからご理解とご支援を頂いて実現できたということ。浦和レッズがきた20年前の話では、ジュニアの部分は街の指導者が担当するので、レッズは一歩引いてきたスタンスではありましたが、これからはその指導者と一体となってチームを持った活動ができることは喜ばしい。大切に育てていきたいと思います。
椛沢:浦和には36の少年団があり、各小学校に少年団があるのは全国でも浦和だけという背景もあって、浦和レッズはジュニアを保持しませんでした。この36少年団の選抜チームであるFC浦和が日本サッカー協会の規定により公式戦には参加できないということで、各少年団で大会に出るとなると全国レベルの大会に行くことができないという中で、トップレベルのチームがなくなり、レッズジュニアの期待が急速に高まっているのかと思います。浦和の少年団から、レイソルやヴェルディのユースに才能が流出している状況で、レッズジュニアができることで、その流出が減るのかなと思います。
橋本:そうですね。実は今選抜の一次試験が終わって、二次に入り最終試験に向けて選抜をしているところですが、受験者の中にはさいたま市以外の所からレッズジュニアでやりたいという申し込みを頂いているのも事実。逆現象として、東京に住んでいるけれどもレッズに入りたいという子供もいるケースもあります。
椛沢:ジュニアができることで、地域の少年団と切磋琢磨することで活性化されることに期待をしたいですね。山田直輝くんは北浦和の少年団出身で、試合に出たときは北浦和の街中が盛り上がるというところでは、地元の子がトップチームで活躍するというのが地域密着の理想形と思います。浦和レッズという大きいクラブですので、地域を限定した中で選手排出をするのは難しいと思いますが、背景としてはベースがこれだけあるので、浦和出身の子が3、4人活躍しているということも不可能ではないかと思います。
橋本:私もその考えについては、そう思います。
椛沢:参加者の方からの質問ですが、今年ユースからトップへの昇格が今のところありません。今年トップに昇格がない理由はなんでしょうか?また、トップとユースの指導者間のコミュニケーション、情報交換はどのような形でなされているのでしょうか?とのことです。
橋本:ユースからトップチームに毎年上がる子供たちが出るということは重要なことだと思います。しかし上げること自体が目的ではなく、トップチームとして欲しい人材がいた場合にユースから昇格させるということが基本的な考え方だと思います。ユースの選手に対しては何回かトップチームの練習試合に参加してもらったり、何人かピックアップをして、春のキャンプに帯同をしてもらったりして、トップから見て個々の才能が適合するかを判断しています。今回は現段階でトップチームに加えるよりは大学進学をしてそこで実践を通じて鍛えることが本人のレベルアップになるという判断の下、トップ昇格を見送ったというのが事実です。
椛沢:他のクラブでは大学と連携をして受け皿を作るということがあると思いますが、レッズとしてそのような考え方はあるのでしょうか。
橋本:今季の強化本部の一策として、近郊大学との連携強化があります。練習試合等に関していろいろな大学に声をかけさせていただき、そこから連携を図かるスタートにしようという取り組み。来季以降も継続していきたい計画です。
椛沢:埼玉サッカー100年の話が先ほどでましたが、埼玉にサッカーが入ってきたのは埼玉師範大学で、それは現埼玉大学なので、埼玉大学と連携をすると埼玉師範大学復活というストーリーなどもあり面白い気がします。
橋本:そうですね。監督もレッズランドで練習をしてくれていますし、レッズOBの菊原さんでもありますからね。私も色々とコミュニケーションは取らせてもらっています(笑)。
椛沢:これからは来季以降のお話ということで、マイクを豊田に渡したいと思います。
橋本代表就任4年で感じた自身の変化
豊田:橋本代表、約束通り再びここに来て頂きありがとうございます。前回3月にここでお話しいただいたときはわずか9ヶ月前。しかしクラブをめぐる状況は全く違っていました。あの時は椛沢編集長と代表をどのように「力」にお呼びしたら良いかと、かなり沈んだ気分でお待ちしていた記憶があります。というのもそのわずか3ヶ月くらい前の我々は、非常に危ない降格がかかったマリノス戦を日産スタジアムで戦うという情況だった。その後の最終戦では、代表はホーム埼スタで大ブーイングを受けるという立場でした。そんなさなか、数あるメディアのイベントから浦和フットボール通信社が主催する浦和タウンミーティングを選んで頂きまして、ホームタウンと膝をつきあわせて話をするということの口火としてこの「力」に来ていただいた。それが3月7日のミーティングだったわけです。なかなかにご来場の足は重く感じる状況だったと思うのですが……橋本代表、やはり勝つということは良いことですよね。
橋本:そうですね(笑)ただ、皆さんがどう思われるか分からないですけど、3月に来た時と今日来た時の気持ち自身は変わっていないんです。リーグ戦が終わってから支援をして頂いているパートナーに営業の人間と一緒にご挨拶に回っていますとパートナーの幹部の方から去年とは顔色が違いますねとよく言われるのですが......(笑)。実は気持ち的にはそんなに変わっていない。豊田さんにも心配をいただきましたけれど、あの時も謝るべきことはしっかり謝って、正すということが必要であろうと思っていた。そのあたりのお話をさせて頂ければ良いと思っていましたし、今年は結果的にACLに出場できるという結果がついてきましたけども、これに浮かれたり、驕れるようなことがあってはならないでしょうし、同じように緊張して臨んでいます(笑)。
豊田:今季最終戦の名古屋戦。ACL出場が決定をして初めて5万人のスタジアムの中で、このクラブのトップとして確実な成果をサポーターと一緒に共有できた瞬間だったと思います。この来季以降のテーマについては、橋本代表には心情的部分を交えて質問をしていきたいと思います。名古屋戦を終えて(ACL出場が決まった)あの埼玉スタジアムの印象はいかがでしたか?
橋本:そうですね。私としては自分が思っている気持ちをひとつにすると「感謝」という二文字だけだったと思います。これはチームを一年間率いてくれた監督に感謝をしていますし、彼を支えてくれたコーチ、強化のスタッフにも感謝していますし、監督と一緒に戦ってくれた選手にも感謝をしていますし、チームをなんとか盛り上げようと一年間ブレずに盛り上げてくれたスタッフにも感謝をしています。何よりもあのような厳しい前のシーズンがありながら、レッズをサポートして一緒に戦ってくれたサポーターに感謝ということだと思います。
豊田:実際のところ、そんな熱狂に包まれる浦和レッズの代表は次々と変わってきたという歴史の変遷があるのですが……。実際にこのクラブの代表という立場は、なってみなければ分からない難しさや苦しさもあったと思います。ご自身の印象を教えて頂けますか。
橋本:浦和レッズ代表と言ったほうが良いのか……そこは他のクラブを経験したことがありませんので、分かりませんが。私が今まで経験した一般の会社と浦和レッズの違いということになるのではないかと思いますし、Jリーグの日本のサッカー、という大きな話かもしれません。最初にきた頃、私は三菱にいた時もそうだったのですが、話をするときに一緒に働くスタッフに私がコメントする原稿をもらったことがないんです。広報部長に文句を言うわけではないのですが(笑)、それをもらっても、そのように話をしないし、自分で勝手に話をしますので。そんなわけで私は自身の言葉で話してきたつもりですが、一年目の自分のコメントを振り返ると、ちょっと違っていたと後悔をする部分はある。正直な話、入場者はお客様だと思っていたところがあるかもしれない。お金を払って頂いてサポートをして頂いているという感覚があったかもしれません。「一緒に戦っている」という感覚を持っていたかというと、理解はできていなかったことは事実と思います。何年間かこの街で浦和レッズと歩いていて、勝った時も負けた時も声をかけていただきました。その経験から、私自身が謝罪するよりも「一緒に戦えなかった」ということを悔いる方が正しいのでは?と思えるようになりました。そういう意味では最初に申し上げた「最終戦に何を思ったか」とのお答えには感謝の言葉を上げましたが、人間として本当に一緒にここまで戦って来てくれたということに自分自身の思いとしてその(感謝という)言葉が浮かんだと。そういうことと思います。
(客席から拍手)
豊田:客席からも拍手が出ましたけれども、代表ご自身は変わっていないというお話がありましたが、その部分は大きな変化だったのではないでしょうか。就任された直後に、専門紙ではない一般メディア、週刊誌に出ていたコメントを拝見したのですが、埼スタで観客と対話できる情況を「お客様の反応がこれほど直に体感できることは代表としてやりがいがある」という意味のことを言われていた。今の橋本さんのお話を聞いて安心したのですが、当初のこのコメントを拝見した時、正直に言って「お客様という解釈でスタンドを捉えているとなると、これは時間がかかっても直して頂かないといけない」と案じておりました。その意味からも、このミーティングで膝をまじえ、実際にサポーターのみなさんの反応を直に感じながらやって頂くことは重要なプロセスだったのではと思います。このミーティングをやってから色々な変化があったと思いますが、浦和レッズとホームタウンである浦和という関係に立って、実際に膝を交えてみて初めて分かった、つかめたという部分がありましたら教えてください。
橋本:実は、この力に前回来たのは一ヶ月か二ヶ月前ではないかなと思います。住まいがこの近くなのですが、仕事を終えて帰ってテレビを見ている時に電話が鳴り「いま力にいるから時間があるなら来い」と……(笑)。こういうケースでは行かなければならないと思って駆けつけ、数人のサポーターの方と“ミニタウンミーティング”の開催となりました。小さい会合に何回か参加させて頂いて色々と話は聞いているわけです。また、埼スタ開催時の前日抽選、当日抽選に顔を出し、抽選に参加したサポーターから色々な話も伺っています。皆さんとのコミュニケーションは勉強になっていると思うし、そういう経験が代表である私自身ができることはレッズの強みではないかと考えます。
<第3回に続く>