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赤き血のイレブン伝説の高校三冠達成 語り継ぐ浦和・埼玉 サッカー名勝負 高校サッカー編【浦和・埼玉サッカーの記憶】

クラウドファンディングで実現した浦和埼玉のサッカーの歴史を残す書籍「浦和・埼玉サッカーの記憶 110年目の証言と提言」が 浦和フットボール通信SHOP、(須原屋書店浦和本店、コルソ店、武蔵浦和店、松田青果、WAベーグル)にて1500円(税別)にて好評発売中です。このコーナーでは書籍で掲載している内容をご紹介します。

浦和・埼玉サッカー名勝負

地元サッカーの黎明期から、浦和レッズのアジア制覇まで……サッカーの街を熱狂させ、その過去と未来を繋いだ全30戦を振りかえる。今回は高校全国制覇名勝負10番から伝説として語り継がれている、赤き血のイレブン高校三冠の試合を紹介します。

高校全国制覇 名勝負10番

明治新政府が近代国家のシステムを学んだように、20世紀初頭の日本はスポーツや文化においてもヨーロッパ、とりわけ英国の先進性を追っていた。明治41年(1908年)。当時の日本教育界の“総本山”東京高等師範学校を卒業して埼玉師範学校に赴任した新任教師は、自ら材木店で角材を求め、校庭の土のグラウンドに「ゴールポスト」を立てた。当時まだ24歳の青年だったこの教官の名は細木志朗。110年におよぶ浦和・埼玉のサッカー時間が、ここから動きはじめた。

【収録試合】
旧制中学・現高校生年代の全国選手権を対象に選出
1 ■1937年8月30日  埼玉師範  vs 神戸一中
2 ■1952年1月7日  浦和高校  vs 三国ヶ丘高校
3 ■1957年1月6日  浦和西高  vs 日立一高
4 ■1960年1月8日  浦和市立高 vs 明星高校
5 ■1970年1月8日  浦和南高  vs 初芝高校
6 ■1973年1月7日  浦和市立高 vs 藤枝東高
7 ■1973年8月8日  児玉高校  vs 北陽高校
8 ■1977年1月8日  浦和南高  vs 静岡学園高
9 ■1982年1月9日  武南高校  vs 韮崎高校
10■2008年10月13日 浦和レッズユース vs 名古屋グランパスU18

GAME5 1970年1月8日 全国高校サッカー選手権決勝

浦和サッカー、集大成のイレブン。浦和南高校、史上初の高校三冠を達成。

前年王者・初芝高校との決勝戦。後半12分、40mの単独ドリブルから決勝ゴールを決める浦和南のCF永井良和

指揮官・松本暁司とエース・永井良和。TVアニメの原作にもなった常勝軍団の足跡。

名将・松本暁司監督率いる浦和南高校は1967年に地元開催の埼玉国体決勝で強豪・韮崎高校を下して初の全国制覇。1969年には2年生ストライカー永井良和(元古河電工)を擁し、県内公式戦で浦和市立に大勝するなど別格の存在感を示す。宇都宮での夏の総体決勝ではその永井が見事な2得点をあげるシーンがNHKで生中継され、“南高”の名は一気に全国区となった。続く長崎国体でも5試合で得点18、無失点の圧勝で二冠を決め、舞台は三冠を賭けた全国選手権へ。決勝に勝ちあがった南高の相手は前年王者、地元大阪の初芝高だった。0-0で迎えた後半12分、ロングフィードをセンターサークル付近で受けた永井が、敵の最終ラインを突破しGKまでかわす決勝ゴール。キャプテンのGK福家三男(明大卒、元川崎強化本部長)、ドリブラーのFW森田英夫(日体大卒、元日体大女子監督)など多くの個性派が結束した“赤き血のイレブン”はTVアニメの原作にもなる人気を博した。

昭和44年度 第48回全国高校サッカー選手権大会 決勝
浦和南高1(0-0、1-0)0初芝高校
1970年1月8日 兵庫 西宮球技場
◎浦和南高 得点者:永井良和

■1969年度 浦和南高 主力メンバー
監督:松本暁司
GK:福屋三男
FB:松本紀夫、土屋茂夫
HB:中村和之、染谷修男、斉藤和夫、岩崎雄二
FW:奥田道夫、富沢茂雄、砂賀幸雄、永井良和、大谷俊一郎、小川浩一、森田英夫

高校全国制覇名勝負10番を水沼貴史さんが解説

★高校三冠を報じるTVメディアから始まった「赤き血のイレブン」の知名度。

――松本監督率いる永井さんたちの時代は、水沼さんは小学生と思います。TV観戦などはされていましたか? 永井さんのドリブルのイメージは強烈で、いまだに目に焼きついています。

水沼:この当時はサッカーを見るという環境がなかったので、私もボールは蹴っていましたが、南高の歴史は後に知ることになりました。日本代表の試合を見て、永井さんがボールを持った時は面白い選手と思った記憶がありますね。永井さんとはその後、日本リーグでも対戦しましたし、斉藤和夫さんとは日本代表でも一緒にプレーさせていただきました。

――TVアニメになった『赤き血のイレブン』の原作は梶原一騎さん(『明日のジョー』の原作者)。松本暁司さんの証言では松本さんへのインタビューのほか、絵のイメージも固めるために南高まで取材に来られたそうです。

水沼:その時の南高は相当強かったということなんでしょうね。永井さんがモデルと言われている、主人公の玉井慎吾は卵割りシュートが武器で、バーに当てるシュートが描かれているんですが、永井さんは本当に無回転のような落ちるシュートを打っていたと聞いたことがあります。

水沼貴史 (みずぬま・たかし) 1960年、埼玉県浦和市出身。本太中、浦和市立南高 では全国制覇を経験。法政大入学後、79年にユース 代表としてワールドユースに出場。83年に日産自動車 サッカー部に入り木村和司、金田喜稔らと日産の黄金 時代を築き、95年で現役引退。国際Aマッチ32試合出 場7得点。引退後はメディアで活躍。06年に横浜F・マリノスのトップコーチ、監督に就任。その後、法政大で 指導を行い、現在はサッカー解説などを行っている。

この試合でゴールを決めた永井良和さんからの寄稿文も掲載

「南高での三冠達成 日本代表での思い出」永井良和

ついに高校三冠を目前とした初芝戦がやってきた。前年度インターハイ一回戦負けから「今年の目標は三冠獲得」と松本先生から伝えられていた。前半は相手のボール回しに苦戦して初芝ペースで進められたが、南高がPKのチャンスを得た。しかしそれを外してしまい、ますます初芝が優勢でゲームを進めた。
しかし後半12分に南高が得点する。初芝のCKをヘッドでクリア。そのボールを僕がセンターサークルで受ける。そして相手DFを擦り抜けて独走態勢に入りGKと1対1になる。相手GKが前に出てくる所をキックフェイントで交わして無人のゴールに流し込み待望の先制点を決めた。これは正に正夢になりました。この大会で何回か同じような場面があり、決勝戦ではGKを交わしてシュートしようと決めていました。

この試合に勝利をして、やっと三冠達成を獲得することができました。地元の浦和駅は沢山の人がいました。着物を着た小学生、名前入りの幟、県庁まで歩いてパレード、サッカーの街浦和、街中が大騒ぎだったことを記憶しています。

なぜ浦和はサッカーで盛り上がるのか?「浦和・埼玉サッカーの記憶 110年目の証言と提言」好評発売中

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須原屋書店(浦和本店、コルソ店、武蔵浦和店)
松田青果
WAベーグル

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