インタビュールーム – vol.2 岡野雅行 Vゴールの疾走(2)
ワールドカップ2010記念 特別インタビュー
ジョホールバル、そして駒場…
岡野雅行 Vゴールへの疾走 (2)
豊田充穂(コピーライター)
いよいよ開幕したワールドカップ南アフリカ大会。周囲の批判を跳ね返す岡田ジャパンの善戦に、日本中の注目が集まっている。だが、せめて……このウェブサイト上では、「勝てば沸騰、負ければ消沈」の世の一喜一憂に付きあうことはヤメにしよう。かつてこのURAWAでフットボールの空気に触れ、レッズサポーターのコールを何よりの糧として日本代表に駆け上がった岡野雅行。日本のワールドカップ初出場への扉を開けるゴールを決めた、我らが“野人”の言葉・第2弾をお届けする。
■横山監督に注意されても切らなかった長髪。
レッズの空気を変えたかった。
豊田:ジョホールバルのVゴールもさることながら、やはりレッズサポーターにとっては岡野さんのデビュー戦も忘れられません。94シーズン開幕の三ツ沢でのマリノス戦。いきなり見せた快足と長髪のキャラが強烈だった(笑)。鮮明に覚えている。
岡野:ピッチの上で初めてサポーターの皆さんにコールしてもらった嬉しさは忘れられません。ほとんど練習生並みの待遇からスタートした僕にとって、あの経験は原点なんです。おぉ~スゲーな、あの浦和のサポーターが俺の名前を呼んでくれてるよ!って(笑)……。もうそれから一直線だよね。あのサポーターと一緒に戦えるのならズッコケようと恥をかこうと構わない。俺は試合に出られたら絶対に彼らを喜ばせる、絶対に何かをやってやる。そう心に決めていました。
豊田:その気概は最初からスタンドまで強く伝わってきました。観ている我々もワクワクしましたね。当時のレッズのプレーヤーたちはよくいえば優等生、悪くいえば大人しすぎる。戦う前から敵に呑まれてしまうようなイメージさえあった。あなたとしてはそんなチーム全体の雰囲気を変えてやろうという意識もあったのでは?
岡野:それ、まさにズバリです(笑)。入団してからトップのゲームを観ていて、とにかくヴェルディとかマリノスとか派手なんですよ、選手がみんな。特にヴェルディはカズさんとかラモスさんがいたから当然なんだけど、まず存在感からして負けちゃってるなっていうイメージが強くて……。プロなんだからそういう部分でも負けたくないな、そこから変えればもっと勝てるようになるんじゃないか、なんて自分勝手に考えてました。当時からJの中ではサポーターはレッズがいちばん派手! チームはいちばん地味!(笑)そんな感じでしたから。だから入団当初から横山(謙三)さんには顔を会わせるたびに「その髪切れ!」って言われてたけど、粘って粘って切らなかった。試合に出たらまずは失うものが何もない僕が、先頭切ってかき回して雰囲気変えてやろうと狙っていたんです。
豊田:あはは、よく頑張って変えてくれました。
岡野:そうこうしてる頃なんですよ、「野人」なんて呼ばれ始めたのは。そしたら横山さん、途端に「切れ」って言わなくなっちゃった(笑)。あの頃のレッズは、先頭に立つ福田さんがけっこう真面目で堅いイメージでしたから。僕としてはミスターレッズがああいう感じでしっかり支えてくれていた分、なおさら好き勝手にやれたという面もありましたけど。とにかく普通にやってたんじゃ福田さんや他の先輩たちにも勝てない。よーし、違うインパクトで勝負するぞって……。無名だったからこそ開き直れた部分も大きかったんじゃないかな。
豊田:でも客席には味方であると同時に「いちばん厳しい」レッズサポーターが控えてるわけですよね。あの声援をいきなり消化してしまうあたりが、岡野こそ天性のレッズのプレーヤーという我々の印象の根っこになっている。
岡野:僕にはぴったりでした。そりゃもうハマりましたよ、最初っから。知っての通り格闘技好きですし(笑)。あの駒場のスタンドのイメージはたまらなかったな……。でもね、レッズの選手はいつもあのサポーターの雰囲気の中でやれていれば(代表選手になって)国際試合に出て行ってもビビる必要なんてないんです。国立ですごい数のお客さんが入っていても、レッズにとっちゃそれは“日常”なんですから。レッズサポーターの皆さんに鍛えられたレッズ時代がなかったら、いまの僕はない。はっきりそう思ってます。
豊田:レッズの主力になって、日本代表にも選ばれて……話題になった“野人ママ”も喜ばれたでしょうね。
岡野:泣いて喜んでくれた記憶があります。特に僕が日本代表に選ばれるなんて「まさか」もいいとこでしたから。思い起こせば、サポーターの皆さんは加茂さんが視察に来たゲームで「オカノ、代表!」なんてコールしてくれたりしていたな。そもそも当初の僕は、レッズに入れるともJの試合に出れるとも思ってなかった。当然日本代表なんて雲の上のことだし、まして自分のゴールでW杯に出てあの舞台に立てるなんて想像さえできないことでした。
■11.19の駒場で、フラビオが言ったんです。
「オカノ、これと同じ情況をいつか見たことはないか?」って……。
豊田:その後の岡野さんのレッズ人生もドラマの連続です(笑)。まず99年、J2降格が決まった直後のインタビュー。他の選手たちがショックや涙で言葉を詰まらせている中で、言ってくれましたよね。「落ちても、僕らにはURAWAのプライドがあるから」……。
岡野:最高だったレッズ時代で、あんなに辛かった体験はないです。ただもう、J2に落としたのは俺たちなんだからJ1に戻すのも俺たちだ、という思いばっかりで……。ヤマ(山田暢久)とかみんなに「よそなんか行くなよ」と脅しまくったりしてた。その勢いのままにJ2時代を乗り切ったという感じです。
豊田:そして1年後。また岡野さんが本領を発揮する舞台が来る……。
岡野:いや~、あれも断崖絶壁みたいな舞台ですよねぇ。ジョホールバルに負けていない。
豊田:苦しかったJ2・40試合のすべてを賭けた11.19の延長戦に、交代出場で放り込まれます(笑)。
岡野:本当にもう、どうしていっつもこういう場面ばっか任されるんだっていう感じ。あのワールドカップ予選以来、僕はスーパーサブが“定位置”みたいなレッテルも貼られてね。レッズでも先発よりも交代出場が多くなってしまった。おいおい、俺は決勝ゴールまで決めたのに何でスタメン落ちなの~?みたいな(笑)。で、最後の最後、「ここだけはヤメてくれ」の場面でまたもや「岡野、行け」(笑)。
豊田:あの時の駒場の雰囲気は忘れることができません。室井選手が退場で浦和は10人、鳥栖は11人の延長戦。しかもレッズはVゴールを決めて勝たないことには、2年連続で最終戦延長戦でJ2が決まってしまう情況……。さすがの駒場のクルヴァも声が出ないほど凍り付いていて、スタジアムには鳥栖の応援歌だけが聞えてました。で、延長戦に備えて組まれたレッズの円陣の中で岡野さんに白羽の矢が立つ。
岡野:僕もなんとなく、「あれ、この雰囲気は?」なんて感じてはいた。そうしたらジョホールバルでも一緒だったフラビオ(ルイス・フラビオ 当時日本代表フィジカルコーチ)が、僕のそばに来て耳打ちするんです。「オカノ、これと同じ情況をいつか見たことはないか」って。笑うしかないですよね、本当にもう。
豊田:歴史はくりかえす……。
岡野:とりあえずはまた、走るしかない(笑)。バックスタンドに向かって一直線で行ったら、客席のサポーターからウォーって返事が来た。よーしって感じでベンチサイドの方を振り返ったら、アップしていた相手の選手たちまでが何事だろうっていう顔で振り返ってる。それまでノリノリだった鳥栖が、キョトンとしてる感じ。
豊田:駒場が我に返ったというか……URAWAが息を吹き返した瞬間でした。
岡野:スタンドの反応と相手の様子を見て、行ける、これでもう勝てる!と確信しましたね。
豊田:土橋選手のVゴールが決まったのは、その5分後でした。
■07年ACL。 レッズサポーターが陣取るスタンドには、
「選手と呼び合う呼吸」があった。
豊田:岡野さんとサポーターの「阿吽(あうん)の呼吸」のエピソードを聞いていると、最近はそういう“イレブンと客席”とか、“選手とサポーター”とかの一体感が薄れてきているように思えます。折しもW杯が開催されますが、最近の日本サッカー界とその周辺、サポーターたちまでも含めて、以前に比べるとボルテージが低下してしまった印象を受ける。こういう傾向はマスコミにも取り上げられにくいけど、URAWAにとっても他人事ではないと思うのですが。
岡野:そう思いますね。僕はW杯予選も本大会も、そしてレッズのACLも経験しましたけど……。ううーん、やっぱりレッズサポーターのサポートというのは特別だと思う。国際大会で遠いアウエーまで行った時なんか、チームや選手が感じるプレッシャーというのは凄いものがあるんですよ。本当に半端じゃない。そういう時にね、がっちり闘う態勢を固めて「大丈夫、負けないからな!」の雰囲気を現地で作ってくれるレッズサポーターの皆さんの力は、マジに強いというか、頼りになるというか。
豊田:なるほど。確かに07年ACLの決勝ラウンドあたりは、レッズとサポーターの結束というのは凄いものがありましたものね。
岡野:何というのかな、ああいう雰囲気の作り方って、やっぱり独特のものでしょ? お互いに呼び合って、雰囲気を高め合う「呼吸」みたいなものがあると思う。僕は特に昔の駒場には、それを感じていたんですけど。
豊田:分かります。同じ埼玉スタジアムを埋めていても、代表戦の6万人とレッズ戦の6万人は……。
岡野:うん、ちょっと違うと思いますねえ(笑)。
豊田:この手の話にスポットを当てると、「プレーするのはサポーターや周囲ではなく選手」とか「応援では勝てない」、あるいは「敵地で勝てないのは選手のハートが弱いだけ」などと評する人がいますが、それは違いますよね。何回ワールドカップの開催地に行っても、オランダとかアルゼンチンとか強国のサポーターは大挙し、結束も固めてやって来る。地球の裏側からでも必ずやって来る。しかもそういう行動をマスコミや協会系のスタッフまでが正確に把握していて、“勝てるムード”を現地の盛り場やPV会場で巧みに演出しています。
岡野:ACLで上海(上海申花)と対戦した時だったかな。(当時の)中国だけに敵地の雰囲気は満々で、向こうのサポーターも観客も敵意剥き出しという感じだったんだけど。さすがはレッズのサポーター、スタジアムの周囲は赤くしちゃうし、キッチリ客席でも応戦してくれてアウエーのムードを押し返していましたからね(笑)。
豊田:そこで選手も燃え上がるし、イレブンやベンチも結束する訳でしょう。
岡野:ACLのレッズの強さは、そこだったと思っています。初出場であっても、海外であっても、選手とサポーターが気迫で負けていなかった。厳しいゲームとか海外で勝つには、そこが大事ですから。
■サポーターの前から逃げない。
それが基本と、ガイナーレの若手に伝えている。
豊田:関連して、特に岡野さんに訊きたかった質問です(笑)。このところの日本サッカーを見ていると、海外情報や戦術データが豊富になったせいとも思うのですが……。協会やクラブ幹部からマスコミやファン、サポーターまでが右にならえの“耳年増”状態。世界の強豪に例えたフォーメーション解説から戦術論、監督論ばかりに熱を上げすぎている印象があります。
岡野:おっしゃる通り。僕たちがやろうとしているのは理屈で勝つことじゃなくて、試合で勝つためにピッチで闘うことなんです。最近の練習はベンチも選手も、「バルサがこうだから」なんていうフォーメーション論みたいなものが妙に先行しちゃってる。だからみんなそこに縛られてしまう。で、足元のプレーが多くなって、ゲームになってもトライする動きがなくなっている気がします。バルサのやり方には、バルサの選手だからできる面だってあるんだから(笑)。
豊田:先端の指導法や戦術データを学ぶことはもちろん重要なこと。でもそれ以前にチームには、選手に植えつける物とか受け継いでいくべき物があるということですよね。そこが欠けたまま先に進んで格上の相手と対戦しても、システムがスムーズに機能するとは思えない。
岡野:気迫とか闘争心。サッカーはまずは「闘う気持ち」なんです。そこができていないと、何を言われても言われたことしかできなくなってしまう。走り勝って当たり勝つメンタリティがなくちゃ、どんなシステムも戦術も機能なんてしないでしょう。少なくとも僕は、レッズやかつての代表サポーターの声援からそういうものを感じ取って成長してきたつもりです。
豊田:そんなサポーターとともにレッズの看板を背負ってきた岡野選手が、いまはガイナーレ(鳥取)の先頭に立って牽引する立場になりました。
岡野:入団のときにクラブから言われました。レッズ時代の経験を、ぜひチームの若手に伝えてくれと……。自分の役割は当然そこにあると思います。でもやはり、あのURAWAの空気と言うのはURAWAにしかないもの。鳥取の若い選手たちに、その感覚をまんま伝えることは難しいと思う。ただ僕が体現できるのは、格上の相手とグラウンドで向い合っても「気持ちで負けるな」ということ。僕がURAWAで叩き込まれたその意識を持たなければ、いまのウチ(ガイナーレ)は闘う前から負けてしまいますから。
豊田:駒場時代のレッズと同じように、ガイナーレはまだチャレンジャーですものね。
岡野:そこが得意ですからね、僕は。たとえ練習試合でもJのクラブとかとやる時は「同じピッチに立つ以上、絶対に気おくれなんかするな」と若手からハッパをかけて回る。
豊田:ガイナーレのサポーターからの信望も厚いのでしょうね?
岡野:レッズサポーターのことも質問されたりします(笑)。どんな風に活動してるんですか、とかね。とにかくウチの選手とサポーターには、苦しくたってこのピッチの先にはレッズも待っている凄い舞台があるんだ、というメッセージを伝えて行きたいです。そうそう。俺、試合後にはいつもリーダーのメガホンを借りて「ガイナーレ劇場」、やってるんですよ(笑)。負けたときにサポーターの前でコソコソしない、逃げない。プロとしてまずはこれが基本だと、身を持って若い選手たちに感じてもらってます。
豊田:いやはや、よそのリーダーになろうと、私たちは1日でも長く「野人の走り」を楽しませていただきたい(笑)。
岡野:ありがとうございます。自分の目標は現役のうちにもう一度レッズと対戦して、あのサポーターからブーイングをもらうことですからね。
豊田:仲が良かったカズ(三浦和良)さんとお会いになることは?
岡野:たまに会ってもらってますよ。顔を見合わせては「俺ら、いつまでやるんだろうな」って(笑)。
豊田:考えたくもないですが、現役引退後の展望は? URAWAへの復帰、お願いできますよね。
岡野:もちろん帰りたいですよ。でも、僕は指導者としてはどうかなって感じがある。やっぱ「力」で働くとかね(笑)。いずれにしてもいまはここで全力尽くして、チカラを蓄えて……何らかの形でURAWAの皆さんと再会したい。
浦和レッズの苦しい時代をともに闘った吉野智行も、現在はガイナーレ鳥取で岡野のチームメイト。「レッズ時代のレベルにチームと一緒に戻りたい。そのためにも自分が克服しなければならない課題は数多いです。レッズサポーターの皆さんにも見ていて欲しい」と控えめに決意を語った。
豊田:こちらでの毎日をお聞きしても良いですか?
岡野:単身赴任ですし、遊ぶ場所も少ないからサッカーに集中できますね。趣味というなら洗濯かな。えらく凝ってて、最近は干し方も綺麗にそろってビシッと決まるようになった(笑)。こういうストイックな生活って、結構好きですからね。
豊田:駅周辺を歩いてみて驚いたのですが、地元鳥取の期待も大きいようです。
岡野:まずはJ2が目標ですが、JFLにしては本当に恵まれていると思います。吉野(智行 元浦和レッズほか)や服部(年宏 元ジュビロ磐田ほか)とここで一緒にできるなんて夢のようですし、市民の皆さんの応援もすごい。テレビは4局しか映らないけど地元のスポーツニュースには必ず取り上げてもらいますし、地元紙の日本海新聞なんて試合翌日は3面も使っちゃってドーンと(笑)。町中でもしょっちゅう皆さんに声をかけられる。もちろん浦和ほどの規模はありませんが、若い選手たちはプレッシャーを感じるほどですね。でも、もちろんそんなに時はガツンと言ってますよ。「URAWAだったらこんなもんじゃすまないよ、万単位のお客さんのスタジアムはもっともっと厳しいよ」って(笑)。
コメントの一言ずつに、取材サイドにまで笑いが広がる明るいインタビューだった。だがレッズサポーター諸兄には、その明るさとは裏腹な“過酷さ”も、彼の言葉の端々に感じ取っていただけたと思う。野人・岡野が、全力で疾走してきた道のりの風景。そこには、浦和レッズや日本代表が「発展の途上」で置き忘れてしまった、フットボールの重要なエッセンスがあると思えてならない。(了)
岡野雅行(おかの・まさゆき)プロフィール
1972年、横浜生まれ。94年に浦和レッズ入団以来、J随一の快足と快活なキャラで「野人」の愛称で親しまれたレッズ台頭期を代表する人気プレーヤー。ヴィッセル神戸、TSWペガサス(香港)でも衰えぬスピードで観衆を魅了した。国際Aマッチ、27試合出場3ゴール。98年W杯プフランス大会出場。現在はガイナーレ鳥取(JFL)のエースFWとして、来季のJ2入りを目ざして活躍を続けている。