浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「人生一度だけ!リオデジャネイロオリンピックへの道~関根貴大選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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最初で最後となるリオ五輪出場を目指して

フットボールにおいて世界と闘うワールドカップもオリンピックも、4年に一度だけ開催される。ただ、ワールドカップとオリンピックとの決定的な違いは、年齢制限である。オリンピックにはオーバーエイジ枠が存在するが、代表チームの主軸は23歳以下となる。オリンピックの予選時に23歳でも翌年の本体大会では24歳になれば出場出来ない。そのために予選は、22歳以下の選手で構成されている。

U-23代表に入るには、生まれた年代にもかなり影響されるところもあると思う。怪我の影響でロンドンオリンピック出場を果たすことが出来なかった山田直輝選手は「ワールドカップは何回も挑戦出来るけど、オリンピックは人生でたった1回だけなんだ」と悔しがっていた。

小野伸二選手もアジア1次予選のフィリピン戦の怪我の為に、シドニーオリンピックには出場出来ずオーバーエイジとしてアテネオリンピックで夢の舞台に立った。

エスクデロ選手は、帰化までして北京オリンピック出場を目指したが叶わなかったし、日本代表のキャプテンまで務める長谷部誠選手も実力がありながら、不運にも年周りでオリンピックの道を開くことが出来なかった。

また、ロンドンオリンピック最終予選を闘っていた原口元気選手だって濱田水輝選手だって最終選考から漏れたのだ。鈴木啓太選手に至っては、アテネオリンピックの予選でキャプテンまで務めていたのに、最終選考から漏れてしまい悔し涙を飲むこととなってしまった。山瀬功治選手もアテネオリンピック最終予選を闘いながらも落選した。

当時、アテネオリンピックのメンバーに選出された闘莉王選手と田中達也選手は、鈴木選手と山瀬選手の無念な思いを背負って2人の浦和のユニホームを身に纏ってアテネオリンピックメンバー選出記者会見に臨んだのは有名な話しである。

もちろん、オリンピック出場にはアジアの予選を闘い抜かなければならないが、生まれた年周りや怪我を含めてのコンディション、U-23代表監督の目指すフットボールなど様々な要因が絡み合って18名の選手が出場の切符を手に入れる。オリンピック出場メンバーに選出されると言うことは、本当に狭き門なのだ。

リオデジャネイロオリンピック最終予選を来年の1月に控えて漸く関根貴大選手は、この狭き門の前に辿り着いた。リーグ戦での活躍を考えれば召集されなかったが不思議であったが、関根選手の下に最初の朗報が届いたのは10月25日からの国内合宿であった。

関根選手は「最初で最後のチャンスだと思う。チームに必要とされる選手だと示さないといけない。このチャンスを掴みたい」と強い気持ちで国内合宿に参加したのだ。そして、この合宿で手応えを掴んだ関根選手は、リオデジャネイロオリンピック最終予選に向けてのカタール遠征メンバーに召集された。

カタール遠征の当日、関根選手は「練習に来られる時間なので来ました」と出発の荷造りがあるのにも拘らず、浦和のオフ明けとなった初練習に参加していた。浦和がオフとなった約1週間も「2~3日は、休んでも問題ないと言われて、札幌に行って来ました。オフも天野コーチに付きあってもらって身体を動かしていました」とカタール遠征にベストコンディションですぐに身体が動けるように、関根選手は念入りな準備をしていたのだ。

来年1月、リオデジャネイロオリンピック最終予選を兼ねて行なわれるAFCU-23カタール大会は、グループリーグ上位2チームが決勝トーナメントに進出し、上位3チームにリオデジャネイロオリンピックの出場権が与えられることとなる。

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今回の遠征は、最終予選に向けてのメンバー選考でもあり、中東の環境に慣れるなど大事な準備期間となる。チームに慣れることも大切であるが、環境の変化によってコンディションを崩しては、目も当てられない。

関根選手は「向こうは、何度かなぁ?昼間は暑いけど、夜になると過ごしやすいイメージがある。環境に慣れるのも大事だ。この間よりも長いし、2試合もある。自分の形を見せたい。前回は、初めましてが、多くて緊張したが、今回はすんなりと入れると思う。サッカー面では自信があったけど、ピッチの外は不安だった」と話していた。

ピッチの外でも分かり合えれば、それがピッチの中でも生きて来る。2度目の召集となった関根選手には、チームメイトとのコミュニケーションも大事であった。

岡野雅行氏が代表に召集される時は、必ずお菓子を持参をしていた。「お菓子外交ですよ。お菓子があるよ~って自分のホテル部屋に仲間を呼んだり、仲間の部屋に手土産で持って行ってコミュニケーションを図るんだぁ」と言っていた。小野伸二選手は「DVDをみんなと一緒に見るんだぁ」と言っていた。

関根選手は「特別に何か持って行くものはないですよ。携帯で何でも出来る。ジェネギャ(ジェネレーションギャップ)だ。アイチューンで充分!」と笑った。仲間とのコミュニケーションの取り方も時代と共に変わったことを関根選手と話していて実感した。

あらゆる面で準備万端な関根選手であったが、一番大切なプレーの話しになると表情が変わった。チャンピオンシップの決勝を観て「広島のワイドの勢いは、参考になった。柏選手(広島・柏好文選手)が、途中出場で流れを変えていた。大事だと思った。ボールを下げるのではなく、突っかけて行った。柏選手の姿勢を観て感じた。実力だし、勇気と自信が満ち溢れていた」と刺激を受けていた。

そして「自分は、今までやって来たサッカーを信じて突き詰めて行くことしか出来ない。1年間通して、もっと良いパフォーマンスが出来たと思う。この試合が良くてもあの試合がダメ、波があった。あと、守備のところは良くなって来たけど、更に成長出来るようにしたい」と身を引き締めた。

関根選手は、このカタール遠征で仲間とコミュニケーションを深め、環境にも順応して、勇気と自信を持ってピッチで仕掛け、リオデジャネイロオリンピックへの道を突き進む。成長の向こうには、人生一度だけのリオデジャネイロオリンピックが待っている。関根選手なら、必ず狭き門の扉を開けることが出来る。行け!勇気と自信を持って!!

Q.上手く超回復をするには、どうすれば良いのでしょうか?

A.乳酸が溜まった時に、回復をさせないといけません。先ずは休息をとること、そして食事、入浴です。トレーニングが終わったあとに、クールダウンでストレッチをしてアイシングをして筋肉の疲労をとります。最近、糖質減と良く言われていますが、炭水化物をとらないと筋肉は働きません。慢性的ゆっくりと働くのは、脂肪の燃焼ですが、サッカーなど急激な運動は、炭水化物がエネルギー源なので運動する前にうどんやパスタなどを選手たちは、食べています。若いスポーツ選手が、ダイエットのために糖質制限したらエネルギーがなくなり疲労が取れません。頭の神経のエネルギーは糖質です。糖質制限は大切ですが、スポーツをしているアスリートにとって糖質制限は、お薦め出来ません。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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