浦和フットボール通信

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川上信夫「浦和と柏。レッズとレイソル。」(1/11)

わずか数年前には立場は逆だったはずである。記憶にあたらしい昨季リーグ戦最終戦。レッズの不甲斐なさを差し引いても、熟達したアウェー戦のゲームメークでJ1初制覇を決めた柏レイソル。その強さの前に埼玉スタジアムは完全に沈黙した……。
かつて古河電工を加えて“丸の内御三家”と称された三菱時代からのライバルの変貌には、どのような伏線があったのか。折しもレッズの「三菱体質」が指摘される中、現役時代はレイソル前身の日立のエースとして活躍した川上信夫Jリーグ・マッチコミッショナーは両クラブの現状をどのように捉えるのか。旧浦和市出身、浦和西高校全国制覇のメンバーでもある氏の談話からは、10年後の未来までを見すえたレッズへのエール。そしてレッズ指揮官への就任要請も報じられた後輩、西野朗氏(浦和西高校、日立OB)へのメッセージも聞くことができた。   (浦和フットボール通信編集部)

川上信夫(かわかみ・のぶお) プロフィール
1947年、旧浦和市生まれ。Jリーグ・マッチコミッショナー。埼玉大学附属中学を経て名将・仲西駿策監督率いる浦和西高校サッカー部に入部。65年岐阜国体において全国制覇を達成。立教大学卒業後に日本リーグ・日立製作所(現柏レイソル)に入社。以降78年まで同社サッカー部主力としてプレーする。日本サッカーにおけるリベロの草分け的存在となりリーグ制覇1回、天皇杯制覇2回。日本代表としても屈指のヘディング能力を活かしたディフェンダーとして活躍し、日本代表Aマッチ41試合、A代表通算出場105試合。来日したロン・デービス(サウザンプトン)、エウゼビオ・ダ・シルバ(ベンフィカ・リスボン)、アラン・ムレリー、マーチン・チバース(トットナム・ホットスパー)、ペレ(サントスFC)、ウォルフガング・オベラート(FCケルン)、ウーベ・ゼーラー(ハンブルガーSV)、カールハインツ・ルンメニゲ、ゲルト・ミュラー、フランツ・ベッケンバウアー(バイエルン・ミュンヘン)ら、錚々たる世界的名手とのマッチアップを経験した。西ドイツ、アルゼンチン両W杯(74年、78年)予選、モントリオール五輪(76年)予選先発メンバー。JSLベストイレブン選出2回。70年代の日本代表を牽引したURAWAのレジェンドである。

【躍進レイソルがたどった“変革への模索”】

浦和フットボール(以下UF):川上さんが活躍された日立製作所サッカー部を前身とする柏レイソルが、一昨年のJ2制覇から一気にJ1も制覇する偉業を達成しました。日本開催のクラブワールドカップでもベスト4位に進出する大躍進。まずはOBとしてのご感想をお聞かせください。

川上信夫(以下川上):それはね、かつて日立でプレーした立場として嬉しいし、誇らしい気持ちがあります。ずいぶん少なくなってしまったけれど何人かの後輩たちがクラブスタッフとして頑張ってもいるので。でも何よりもまずは驚いた。その感覚がいちばん大きいね。あのブラジル人エース二人を中心に据えたプレーぶりは一時期の柏の戦術とはまったく異質でしょう? よくもまあ短期間のうちにチームとして生まれ変わり、あのような結束ができたものだなと。その意味で驚きました。

UF:やはりネルシーニョ・バプティスタ監督の本領発揮、ということなのでしょうか。

川上:ヴェルディでの経験はあるし、何より日本のサッカーとJリーグをよく知っているから。当然に彼の功績は大きかったと推測します。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

UF:しかしその柏レイソルにしても、お話しにあった通り紆余曲折がありました。05年と09年に2度にわたって降格を経験。特に05年の降格を挟んだ時代の迷走ぶりは深刻でした。

川上:ここまでの道のりは遠かったね(苦笑)。僕はJ開幕時にはすでにOBの立場だったから、つぶさにプロ化後の経緯や現場を知る立場にはないのだが……。せっかく育成年代の指導者をそろえてユース世代を育てても上手く強化に結びつかない。そういう時期がとても長かったように思います。いまは名古屋グランパスのGMをしている久米一正君や読売クラブ出身の竹本一彦さん(元読売ベレーザ監督、日本女子代表コーチ)をGMにすえて基礎づくりをしていたのですが、様々な苦労があったと聞いています。

UF:名古屋を強豪にする陰の立役者となった久米GMは、川上さんと同じく日立サッカー部の出身ですね。

川上:僕より8歳下だけど、中央大学OBで日立時代は一緒にプレーした時期もある仲です。ウチで(柏レイソルのこと)長く経験を積んだ後、清水エスパルスでもGMを務めた後に名古屋に入団して成果を収めた。クラブ戦力を掴むキャリアを体得しているのだと思う。ああいうポジションには経験値が大きく物を言いますから。

UF:とにかくURAWAから見ていての印象では、当時の西野朗監督(浦和西高校OB)が退任した後のレイソルには危機的な雰囲気を感じました。とりわけネルシーニョ監督その人を夏から招聘しながら建て直せなかった09年の降格劇は、古参のJリーグウォッチャーにとっては衝撃的。このままでは日立時代からの流れを受け継ぐ名門が「エレベータクラブ」に落ち着いてしまうのではとの論評も聞かれる事態でした。

川上:何というか、路線が見えて来ない時期だったからねえ。何しろプロの世界。ああゆうクラブとしての方針がぶれてしまうと現場の成績なんておぼつかなくなる。ネルシーニョを以ってしても、1年やそこらで整理とか修正ができる状態ではなかった……そういうことだと思うな。

UF:率直な印象として現在の浦和レッズに被るイメージなのですが(苦笑)。ただネルシーニョ体制が固まった2年目からは見事な蘇生ぶりだった。とりわけ降格(2010シーズン)直後に入団したレアンドロ・ドミンゲスの存在感は、近年のJの助っ人としては出色だったと思います。(編集部注:柏はJ2レベルでは群を抜く攻守切り替えの速さと巧みさで1年で復帰を果たした。降格以降からその中心をなしたのがレアンドロ選手。ネルシーニョ補強の切り札的存在としてレイソル中盤に君臨し、新生レイソルを象徴するプレーヤーとなった) 彼はブラジルのローカルクラブ(ヴィトーリアEC)のMFで、所属チームは国内タイトルの獲得もない。レイソルが海外初挑戦の舞台です。柏としては見事な補強が実を結んだと言えるのではないでしょうか。

川上:ネルシーニョあってのことだよね。ああいう補強は彼ならではのものだと思うな。確かなコネクションを活かしての人材を軸にチーム戦術を固めるという手法は初期のJリーグでヴェルディとアントラーズが示したものだけど、それは現在にも通じるもの。レベルアップの原点となるやり方だから。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

UF:彼と絶妙のコンビネーションを見せたジョルジ・ワグネル(2011シーズン入団)の貢献も素晴らしかった。彼はリガ・エスパニョーラも経験しているベテランですが、すでに国際的にはトップコンディションを過ぎたプレーヤー(32歳)と見られていました。しかも移籍当初はポジションが固定できず、流動的な起用の中から活路を見出した経緯がある。あそこからベテラン助っ人をチーム内で蘇生させる手腕も並みではないと思います。

川上:詰まるところは補強をするにしても助っ人を活かすにしても、監督であるネルシーニョが存分に実践できる……そういう組織に柏がたどり着いたということでしょう。幹部やフロント以下の牽引力がしっかりクラブ全体に機能する状態。ネルシーニョの仕事がしやすい環境をレイソルが用意できたのだと考えます。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

【指揮官が本領を発揮できる仕事場とは?】

UF:川上さんがおっしゃるその環境が整わなければ、補強したブラジル人二人とベテランの北嶋秀朗に引っ張られるかたちでの酒井宏樹や工藤荘人らの若手の台頭も望めなかったのでは?と考えますね。その「レイソルの現場」の変化に関する印象を伺います。ヴェルディファミリーとしてネルシーニョ監督とは勝手知ったる仲である小見幸隆さん(レイソル強化本部・統括ダイレクター)。彼の存在は大きかったのでしょうね

川上:伝え聞く範囲でのことだけれど、彼の存在なしでは(リーグ制覇という)この成果は考えられないでしょう。ネルシーニョだってクラブ内部に勝手知ったる理解者がいてくれなくちゃ、こういう采配はできなかったと思う。

UF:事実、ネルシーニョは名古屋グランパスに在籍中は成果が残せませんでした。

川上:でしょう? クラブサイドの事情やタイミングも絡む問題だからね。そこが難しい。

UF:同じ意味で昨シーズンの浦和レッズ・ペトロヴィッチ監督は、良き理解者に恵まれなかったということでしょうか?

川上:おっと、やはりそう来るか?(笑)。

UF:レッズはURAWAのオールドファンなら周知の通り日立のレイソルと同じく、三菱重工時代から日本サッカーを支えてきた名門ですから。レイソルが見事なリーグ初制覇を獲得する一方で……という思いは本誌読者としては感じざるを得ないポイントと思います。

川上:僕はレイソルが優勝を決めた最終節(第34節 埼玉スタジアム 浦和1-3柏)は他会場でコミッショナーを務めなくてはならなくてね。まことに残念ながら観戦できなかったのだが、ニュース(のハイライト映像)で見るかぎりは……ううーん、かなり一方的なゲームだったようですね。

UF:2年足らずの間に開いてしまった両クラブの差に唖然とする内容でした。イレブンの戦術・戦力をナマで付き合わせてみれば、戦術理解の深度も熟練度も比較にならない。20分も見れば「これは無理」と断定できた。前半のレッズはシュートさえ打てずじまい。勝負にならないギャップがあって、ホームグラウンドに居ながら絶望的な気分になりました。

川上:まあレイソルのことならともかく、レッズに関しては部外者だから僕があれこれ言える立場ではないのだけれど……。

UF:しかしホーム浦和のフットボール史を飾った重要人物です。

川上:では答えられる範囲で(笑)。あれだけ外から見える人事の動きなどが1シーズンの間に起こってしまうとね。たとえばレイソルとの最終戦時点では、ジェリコ・ペトロビッチ監督は降板してしまっていたわけでしょう? クラブチームの現場レベルとして想像すると、人事の動きやその余波に翻弄されているうちに1シーズンが過ぎてしまう。そんな感覚だったのではないかなあ。クラブスタッフも、肝心の監督や選手たちも。

UF:それは戦わずして差ができてしまう情況なのでは?

川上:傍らから見ている立場だから確かな事情は分からないですよ。ただ、こういう混乱はレッズやレイソルに限ったことではないんです。Jのクラブ経営に模索の段階があることはどこも同じと思う。長い間には強化の方向転換などは必ず起こる。ただね、混乱を来たしている組織の雰囲気というのは、監督やベンチワークなど、目に見える部分にも現われてしまうものだよ。たとえばさっき小見さんとネルシーニョ監督の関係の話が出たけど、小見さんにしたって強化の責任者としての自分の立場がクラブ内部で確立されていなくては、肝心の監督をサポートする仕事なんて満足に出来るものではないと思う。(編集部注:小見幸隆氏の統括ダイレクター就任は2010年から。それ以前の4年間はスカウト部門と編成部長を歴任する予備段階があった)

UF:そういう混乱を来たす、もしくは混乱の最中にあるクラブというのはどのような情況なのでしょうか。いま少し説明をいただきたいです。これは亡くなった森孝慈さんも浦和レッズに関して非常に気にかけていた部分なので。

川上:立場上からもこういう比較を口にするのは好ましくないとは思うけど……。この仕事(りーグ・コミッショナー)をしていれば、各クラブの情況というのは薄々感じられるシチュエーションはありますね。担当試合の前に各チーム首脳とゲーム開催に関する留意点や改善事項を意見交換する席、つまり「あるべきJリーグ戦」の進行を確認し合う会議が行なわれるのです。そこに出席していると各クラブの現状くらいはそれなり垣間見ることはできますよ。

UF:やはり順位を反映させた雰囲気がある?

川上:それは鹿島アントラーズの首脳陣とかを見ているとね。確かにしっかり運営されている安定感を感じる。ああいう雰囲気というのは、やはり強豪たる運営を続けてきた組織の自信からくるものではないでしょうか。

UF:その意味では、アジア王者にもなったガンバ大阪の西野朗さんの監督体制なども強固なものなのでしょうね。

Photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

川上:そうそう、そう言えば西野君。(レッズ監督の)就任の可能性だってあったんでしょう? むろん詳しい経緯は知らないけれど、個人的な願望を言わせてもらうならね。(取材陣の方を振り返って同意を促す仕草)それは西野君にやって欲しかった。彼あたりが先頭に立ってくれればね……それはレッズも変われると思いますよ。

≪以下、次号(1月18日配信予定)に続く≫

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