浦和フットボールメルマガ創刊号
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真に浦和と浦和のフットボールを愛する声を集める読者参加型メールマガジン
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│ 浦│和│ フ│ ッ│ ト│ ボ│ー│ ル│ メ│ル│ マ│ガ│
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URAWA FOOTBALL FANZINE
Vol.1 2010.09.08
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・週刊フットボールトークVol.1…… 椛沢×豊田の対談「創刊にあたり」
・VIPインタビュー……………… 森孝慈(初代浦和レッズ監督)
・欧州通信………………………… オールドトラフォードに背を向けて2010
・埼玉サッカー情報………………… 高校選手権予選2次リーグ進出校決定
・編集後記…………………………… 創刊号は如何でしたか?
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◆週刊フットボールトークVol.1
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椛沢佑一 (浦和フットボール通信編集長)× 豊田充穂 (コピーライター)
椛沢:浦和フットボールメルマガを創刊いたしました。ご登録頂きましてあり
がとうございます。このメルマガでは、フリーマガジン「浦和フットボール通
信」では伝え切れなかったフットボールタウンURAWAのサッカーから、レ
ッズへの提言。マンチェスターからは、以前浦和フットボール通信の「欧州通
信」コーナーで大反響を頂いた「FCマンチェスター」の話など、ヨーロッパ
のホームタウン、サポーターの最新動向もお伝えしながら、ホームタウンとし
て、サポーターとしてフットボールとどう関わっていくかを読者の皆様と考え
ていきたいと思います。一方的配信というよりも皆様にも参加して頂きながら
配信をしていきたいと思いますので、宜しくお願いします。
さて、先日の鹿島戦は、チームもサポーターも総力戦の雰囲気を作り、死力を
尽くして鹿島と戦いましたがロスタイムで追いつかれてドロー。あそこまで一
体となったURAWAが負けることは少なかったように思うのですが、いまだ
にあるべき結束が作れていないという現状を実感しました。8月24日に開催さ
れた「Talk on Together」でのフロントからの発信は、残念ながら、ほぼ「フ
ィンケ監督の下で土台作りをしている」というニュアンスを言葉を変えてくり
返すのみ……。クラブとしての覚悟、意識統一が感じられなかったことが要因
かと思います。
豊田:ある意味、閉塞感のようなものがありましたね。それとともに僕が感じ
たのは「ひとつのクラブがひとつの方針を貫く」ということの難しさです。
ワールドカップ前のNHKのインタビューで、ヨハン・クライフが自分が基盤
を築いたスペインとオランダのプレースタイルについてコメントしました。
例によって自信満々の語り口なのですが、多面的に、しかも時間をかけて自分
の影響力を与え続けてきた、しかもそれを自分の目で確認してきたキャリアを
匂わせていました。で、始まった大会の結果は両チームがファイナリスト(笑)。
スーパースターが牽引して王者になれる時代は終わったと盛んに言われるけど、
じゃあスタイルを貫いて組織が動き、栄冠を掴むにはクライフほどのカリスマ
が統率しなくちゃならないのかと思えてしまう。
椛沢:スペイン代表の躍進の影にあるのは間違いなくバルセロナの存在ですね。
スペイン代表はほとんどバルサとレアルの選手で構成されていますから(笑)。
そのバルセロナがあそこまで徹底したパスサッカーのスタイルがあるのは、豊
田さんが仰っているクライフの存在があると聞きます。彼が創ったクラブの
ポリシー、アイデンティティが守られているからこそ、育成に関してもその
クラブポリシーの元で必要な選手を育成することができるので、登場してくる
選手もピッチで表現しているフットボールもブレることがない。
豊田:となるとレッズは大変だな。よほど組織体制の素地を固めてフィンケを
支えない限り、またしても「何も残らない政権交代」を強いられるでしょう。
たとえフィンケが若手のキャリアを伸ばす手法を以後のゲームで見せたとして
も、その手法やノウハウは誰が受け継ぐのか? そもそも橋本社長の退任後も、
レッズはその「ポスト・フィンケ」の意味を理解するフロントで構成されるの
か? スペイン代表ほどは待てないですよね(笑)。編集長が言うとおり、
いろんな意味で覚悟とか長期ビジョンとかが見えてこないと、レッズ支持者は
気が揉めるばかり。
椛沢:浦和レッズの過去の歴史は、時々の監督がそれぞれの志向するフット
ボールを展開してきた印象が強い。成績が出なければ当事者に責任を負わせ、
体制を変える仕切り直しがくり返されてきました。そんな流れに終止符が打た
れたのが塚本高志社長時代。ここからレッズの憲法を作ろうと、森さんをGM
に招いて3年計画が提示された時は”本気”を感じましたね。すぐに塚本社長
から犬飼社長へと交代劇が起こりましたが、森さんがクラブの土台をしっかり
と示してくれたことが、その後の数々のタイトル獲得への素地となって行った。
犬飼社長の退任後、それが崩れてしまった感じは否めず、現状はフィンケ監督
の指揮下で人もボールも動くフットボールを謳う改革が進んでいるはずなので
すが……。社長もGMも交代する中で進展は感じられず、これは「フィンケ監
督の采配のみを拠り所とする改革?」という疑念があり、森さんにコメントを
いただくことになりました。土台作りをするポイントを伺ったわけですが、答
えは明確でしたね。(詳細はVIPインタビューを参照) クラブが明確なビ
ジョンを持ち、その統制下で進んでいるか否か。橋本社長以下の現体制からは、
その部分が見えてきません。
豊田:インタビュー原稿を作っていて、あまりに厳しい内容だったので、
森さんの笑顔を思い出しながら然るべきところに「(笑)」を入れたのですが、
チェック段階で外されました。甘さを感じさせる部分は入れたくない……
そういう意思表示をされたのだと思います。あの時代に自らの手で浦和レッズ
の舵を切った立場としては当然かも。我々はレッズや浦和のこういう「経緯」
や「前提」となるポイントをしっかり掴んで伝え、レッズやレッズサポーター
の糧として行かなければなりません。
椛沢:我々は、サッカーの街・浦和をホームタウンにするクラブチームを応援
しているわけですからね。この街の人が誇りに思えるクラブチームとして、
いつまでも輝いていて欲しいと思っている。アジアでURAWAを声高に叫ぶ、
あの達成感をまた体験したい。浦和というチームは、常にその権利を得ていな
ければいけないクラブでもある。そのための覚悟をクラブには持って頑張って
もらいたい。我々サポーターも当事者として色々と考えていく必要があると思
います。レッズはそうやって大きくなってきたクラブですから。「浦和フット
ボールメルマガ」では、読者の皆様とも一緒に考えていく参加型のコミュニテ
ィーにしたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。
☆「クラブの土台作りについて皆様のご意見をお待ちしております。」☆
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└─→ info@urawa-football.co.jp
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◆VIPインタビュー:第1回森孝慈ロングインタビュー
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「森孝慈ロングインタビュー・完全版」
■始めに。
浦和レッズ創成期の証言が少なくなった。よってレッズの間近にいる私たちに
も、このクラブがいかに誕生し、どんな人々の熱意によって支えられてきたか
……つまり「浦和レッズが浦和というホームタウンに存在する意味」を語り合
う機会も後退しているように思う。
このメールマガジンのスタートに際し、当編集部は創刊号「VIPインタビ
ュー」の取材を森孝慈さんにお願いした。サッカーどころ御三家の広島県出身。
早稲田サッカーの黄金期を築き、メキシコ五輪銅メダルメンバーにして浦和レ
ッズ前身の三菱重工サッカー部主将。指導者に転じた後も日本代表監督、そし
て我らがレッズ誕生後も監督として、GMとして多大な貢献を果たしたキャリ
ア。この人物以上に、浦和とレッズの足跡を語るべき人材はいないだろう。
(浦和フットボール通信編集部)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【 第1話:レッズの土台づくりに疑問あり 】
■歴史を知らなければ、「土台」はイメージできない。
浦和フットボール通信(以下UF):よろしくお願いします。いただいた名刺
はご自身のオフィスのほかに、「一般社団法人 志の会 理事長」「埼玉県障
害者スポーツ協会 副会長」「財団法人さいたま市公園緑地協会 副理事長」
の3つ。「志の会」はメキシコ五輪代表イレブンの皆さんが、長沼健さんの死
去に際してサッカーへの志を受け継ぐために結成された会ですよね。
森孝慈(以下森):まだメディアの皆さんにはあまり認知してもらえていない
かも知れないけど…… 健さん以下、当時の私たちイレブンを中心に
「サッカーを通じて得た経験」を広く社会に還元させていただこうという主旨
の会です。
UF:そのほかは相変わらず我々の地元、埼玉・浦和のために尽力いただいて
いる立場を記した名刺です。
森:そうですね。やっぱり浦和との縁は深いな。それにしても、この『浦和フ
ットボール通信』は無料マガジンなんですか。じゃあ刊行資金はどうされてい
るの? 広告だけ? それは大変だね。(バックナンバーの本誌に見入る)
UF:はい。それこそ地元商店街の小さな広告主さん等にまで支えていただい
て、なんとか4年目の刊行に漕ぎ着けております(笑)。
森:それはそれは、熱心な……。でもまあ、浦和というところは昔から
こういうサッカー好きやレッズ好きな人たちのいろんな活動で支えられてきた
街だよね。
UF:ありがとうございます。おっしゃる通り、ご存知の通りのサッカーの街
ですから(笑)。さて、本日はほかならぬ浦和レッズの現状に関して森さんの
コメントをいただきに参りました。フィンケ政権誕生から1年半余、信藤健二
TDから柱谷幸一GMへの交代あり、闘莉王選手を始め複数の主力選手の放出
あり。さまざまな手順を踏んでも浦和レッズの戦績は停滞したままです。
森:うん。確かにうまく行っていないというか……
苦しんでいる印象があるよなぁ。(宙を見上げ、考える仕草)
UF:「土台づくり」を標榜してスタートしてから時間も経ちましたが、
なかなか結果が付いて来ない。かつてハンス・オフトとともに劇的な変革を実
現した元GMとして印象をお聞かせください。
森:私はその「土台」という部分がどうも良く分からないのだが。土台づくり
というのは、何の蓄積もない新しいクラブがゼロの状態からコンセプトを決め
て始めることを指すものでしょう。レッズというクラブが改めて、いま土台づ
くりを宣言するというのは、何とも……。
UF:レッズはすでにアジア王者まで経験したクラブです。
森:私もいまでは内部の近況を詳しく知る立場ではないからね。断定的なこと
はいえないんだけど。でも、今季ももう半ば過ぎでしょ? この時点でレッズ
は当然に優勝争いをすべきチーム、していなくちゃならないチームのはずなん
だけどな、私の心の中では。そんな折に当のクラブが「今季はチームの土台作
り」という位置づけで取組んでいるとしたら、私には少々理解しがたい部分が
ある。
UF:私たちサポーターはもちろん、クラブ内部にさえ言えることと思うので
すが……。ことの経緯や前提を知らなければレッズの「土台」の意味は理解で
きないし、そこに疑問も抱かないと思うんです。本誌はその隙間を森さんの証
言で埋めて行きたい。
森:順番にお話しよう。塚本社長(高志 当時浦和レッズ代表)から協力要請
をもらったのはGM就任の2002年の前、まだ01年のシーズンが続いている終盤
だったな。うん、Jリーグも10年目あたりに差しかかる”節目”の時でした。私
はJの立ち上がり、つまりレッズ誕生までと初期の監督は担当したのだけれど、
その後は浦和を離れていた。横浜マリノスでGMをやり、その後アビスパ福岡
でアドバイザーをやっている頃でしたね、レッズからお話をいただいたのは。
UF:私たちが降格を経験し、J1に戻ってきた直後のタイミングでした。
森:そうだったよね……うん、レッズのあの降格劇にはビックリというか、私
もショックでした。で、その後も外から見ていて、もっとやれるはずだ、やり
かた次第でもう少し改善できるのでは、という思いは持っていた。そこに塚本
さんからね、まあとにかくレッズの現状を変えてタイトルを獲りたいというよ
うな電話をもらったわけです。
UF:具体的な内容は?
森:クラブの基盤づくりをやりたいから、レッズに帰って来て協力して欲しい
と……。そうそう、まさに「土台づくり」の要請ですよ(笑)。「プロチーム
として10年近くになるのにレッズというクラブには積み上げてきた成果という
ものが全くない。毎年毎年、着実に成果を上積みできる組織にしたい。まずは
基礎からしっかり指導できる監督探し、それが最初の仕事になる。ぜひGMと
して協力して欲しい」、そんな内容の言葉でした。浦和への思い入れは強かっ
たし、やりがいある仕事と考えてお受けしたわけです。同年12月7日にGMと
してレッズと契約し、初仕事がハンス・オフトとの契約交渉でした。
■「改革の実績」で決めたハンス・オフト招聘。
UF:強く感じるのは「クラブ内部のプロとしての組織を固める」という視点
から考えるのなら、塚本さんの体制下で森さんとハンス・オフト監督のコンビ
が行なったこの年の「土台づくり」の方が、意義もアナウンスもずっとはっき
り発声されていたことです。ファンにも分かりやすかったし、ナビスコ制覇と
いう初タイトル獲得の成果も残した。この時期をきっかけに、レッズが内部の
意識においてもクラブのイメージにおいても「弱小時代の悪循環」から脱した
ことは明らかで、この前提がなかったらアジア制覇にまで続くレッズの成長は
なかったと思う。代表自らがクラブ体質を変える意思を示し、その意を受けて
森さんがGMに抜擢され、監督としてオフトを招聘する……非常に整理された
プロセスを経験したわけですから。
森:うん。ああいうカタチをね、もう少し続けられていたらな、という気分は
あるよね。
UF:以下は森さんが就任した02年のシーズン初頭、「語る会」における塚本
社長のコメントです。「いままでのレッズには成長への指針とスタッフの意思
統一がなかった。森君に”レッズの憲法”を作ってもらい、ハンス・オフトと共
に日本一のサポーターの期待に応えるチームを作って行きたい」。
森:そうでしたかねぇ。塚本さん、そこまで言ったんだ……。
UF:当時、レッズのドキュメントも執筆させてもらっていたので間違いあり
ません。メモも残っている(笑)。監督選びまでのエピソードまで披露してく
ださいましたね。「森君が”監督はオフト”って言ってくれないかな、と思って
いたら、その通りに名前を上げてくれた」と……。会場は埼玉会館の小ホール
だったんですが、とにかく詰めかけた500人のファンの様子が印象的でした。
全員が息を飲み、塚本さんの一言一言にヒザを乗り出す状態。
「今度こそレッズは変われるかも知れない」
という期待が充満した客席だったんですけどね、あれは(笑)。
森:うんうん……。
UF:それまでの「語る会」でも会場が静まり返る時はありましたが、違う意
味でシーンとなってしまうような場面だったりしたわけで(笑)。さらに、塚
本社長に続いてステージに登場したオフトの就任宣言が以下です。「レッズの
急務はスタイルの確立。どのようなサッカーをやるのかという意志をクラブ全
体で共有し、サポーターにスピリットを感じさせるゲームを見せることがノル
マと考えている」……10年を経てこういう内容を復唱することは、レッズ支持
者として何やら悲しい気分なのですが。
森:なるほどね(苦笑)。翌年(02シーズン)に向けてはオフト監督、ヤンセ
ンコーチの体制を固めてスタートした。ところが半年後には親会社(三菱自
工)より社長交代の辞令が出て、犬飼社長に交代となるわけです。あまりにも
期間が短すぎて、我々も「おや?」という気分が強かったのだけれど。塚本さ
んとしても「志なかば」の辞任をどう受け容れたのだろう。忸怩たる思いもあ
ったのでは……。犬飼さんも種々の計画実行やチームの強化という面でも大き
な功績を残されたけど、組織としての経験という意味ではね、あの時塚本さん
にもう少し代表でやってもらっても良かったな、という気分は残りました。
UF:ともにクラブを担われたあの時点までに、森さんは塚本さんとのご面識
は?レッズのことについて話し合われたことなどはあったのですか?
森:いいや、それはない。レッズで常務をされていた頃にクラブオフィスで紹
介される機会があっただけ。ただ、名前は前から存じてはいましたよ。三菱自
工時代は本社人事部におられたから。
UF:すると塚本さんは、気持ちの中では森さんとハンス・オフトというライ
ンを事前に自分でイメージしていたということになりますね。それも凄いこと
と思いますが(笑)。では、森さんからご覧になった塚本さんのクラブ経営の
特性は?
森:クラブの代表といってもいろいろなタイプの人がいます。塚本さんに関し
て言えば、理想を強く持ちながらも”線引き”は本当にキッチリやる方だった。
決めるべきは決める、任せるべきは任せる。自分が考える(レッズの)将来像
を内外に提示した後は、監督選びにおいても「現場を預かる森君に任せる」の
一言。あとは自分でイメージしている人がいたとしても口にさえ出さない。そ
してそれは(GMである)私に対してばかりでなく、クラブ内の各部署、たと
えば監督がいてGMがいて、強化担当がいて、育成担当がいて、あらゆる面に
おいてキチッと線を引いていた。これは各スタッフにあるべき「責任と権限」
を示し、それを自覚させることを考えておられたのだと思います。「土台づく
り」と言うなら、あの塚本さんの仕事はレッズの成長のための路線をはっきり
示したと私は思う。
UF:いずれにしてもあの時期が、クラブとしてのレッズ史が大きく動いたタ
イミングだったと思います。
森:そうだね。塚本さんから犬飼さんに政権は交代したけれど、私自身はGM
として三年計画を作成して、計画自体は進めていました。04年までには優勝を
争う地力を持つ「大関」、それ以降は優勝争いに絡む「横綱」を目指す。しか
もその力を毎年維持することが大切だと考えていた。うん、やり遂げることは
出来なかったけど、一定の素地は残して退任した印象は私にもあるんですよ。
レッズは常に優勝争いに加わる順位を保つ。多少の波はあるかも知れないが、
落ちても5位くらいまでは確保する。これからはこういう力を維持するノウハ
ウや経験を蓄える時期だから、自信を持ってやってくれと……スタッフや選手
諸君にもそう言い残した記憶がある。結果的には03年にナビスコ制覇、04年に
ステージ制覇、05年にはリーグ年間2位と、クラブの成長には一区切りの成果
が現われていたと思う。翌年の06年にはリーグタイトルを現に獲ってくれたわ
けですし。浦和の今シーズンが「土台づくりの年」と位置づけられることに違
和感を持つのは、こういう経緯を踏まえての印象からでしょうね。
UF:監督はやはり、オフトしかなかったですよね。
森:選んだ理由ですか? うん、あの時代の日本代表チームにあって、協会
(日本サッカー協会)とかメディアとかの周辺までを含めて、ズバリと改革に
対応して見せた監督……そういう実績を考慮した部分は当然ありました。対抗
馬も考えてはいた。ブラジルの代表監督だったカルロス・パレイラ。ワールド
カップ・アメリカ大会の優勝監督だよね。エメルソンなどブラジル組の主力メ
ンバーがいたし、Jではブラジル人監督の成功例もあったので、最終局面では
2人に絞って考えました。パレイラにも興味はあったのだけれど……
うん、レッズを変えるためとなればそういうネームバリューのリーダーよりも
オフトしかいない。そう思った。結果は”ドーハの悲劇”になってしまったけど、
あの予選(93年 W杯アメリカ大会予選)の時も「いま好調で、代表に使える
サイドバックはいないか?」なんてリクエストされて選手情報を提供したりし
た仲でね。私とのコミュニケーションという意味からも安心だった。
UF:納得ですね。オフトが森さんや横山(謙三)さんの後を受けて日本代表
監督に就任したのは、日本のサッカー界の旧体質がまだまだ歴然と残っていた
時代。あの頃の環境下で日本代表史上初の外国人監督となり、ワールドカップ
予選で韓国に勝つレベルのチームと環境をつくる改革をやってのけた監督なん
ですから。
森:そうそう、地ならしというかね。まだ基礎ができていないチームでいろん
な情況を整理して環境を整え、若手も中心に据えて強化体制を作る。そういう
手腕があったな、彼には。日本代表に加えてJクラブ(サンフレッチェ広島、
ジュビロ磐田など)でも経験を積んでいた。いろいろ選べるような時代でもな
かったけど、私が知るかぎり当時のレッズには最適な監督であることは間違い
なかったと思います。クラブの内部情況は復帰前からいろいろ聞いてはいたけ
ど、いざ就任となって落合弘君や中村修三君ら現場を知っている人間から詳細
も聞かせてもらって……。ちょうど大学卒業の若手なども、複数入団するタイ
ミングでもあったのでね。
UF:聞くほどに的確なクラブマネージメントがあったことが実感できます。
ただ残念なのは……昔もいまも、レッズはそういう「流れ」を持続できない…
…。
森:うん。そこなんだ。そういうノウハウや経験が引き継がれない。レッズは
そういう問題を抱えている。
≪以下、次号(9月15日配信)に続く≫
*『森孝慈ロングインタビュー・完全版』は以降、第2話「経験を蓄積できる
レッズへ」、第3話「広島で育ち、浦和と戦った青春」、第4話「レッズ誕生
秘話と浦和の未来」と続きます。ご期待下さい。
森 孝慈(もり・たかじ)プロフィール
1943年、広島県生まれ。修道高校から早稲田大学に進み、主将として「世界の
釜本」らとともに天皇杯制覇など同校の黄金時代を築く。卒業後、67年に三菱
重工入社。同社サッカー部および日本代表の主力MFとしてメキシコ五輪で銅
メダルを獲得した現役時代を経て指導者に転じ、81年より日本代表監督に就任。
独自の観点と戦術から革新的なチーム作りを果たし、W杯メキシコ大会予選
(85年)ではすでにプロ化していた韓国代表と本大会出場を賭けた伝説の名勝
負を演じる。Jリーグ創成期には浦和レッズ創設のため尽力し、初代監督も務
めた。横浜マリノス、アビスパ福岡でフロント経験を積んだ後、02年に塚本高
志代表(当時)の要請を受けてGMとして浦和レッズに復帰。ハンス・オフト
監督を擁立し、プロクラブとしてのレッズの改革に多大な貢献を果たした。常
に日本サッカー界のエリートコースを歩み、浦和レッズの成長にも貴重な役ど
ころを演じたURAWA史上の重要人物である。
……………………………………………………………………………………………
◆欧州通信 オールドトラフォードに背を向けて 2010 (vol.1)。
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From Manchester : マーク・ラッセル
親愛なるレッズサポーターズへ。再びこうしてフットボールの醍醐味を語り合
える機会を得たことを嬉しく、そして光栄に思っている。私のモノローグは、
2年前に『浦和フットボール通信』紙上に連載されたエピソードと同じく、
フットボールそのもののドキュメントではない。愛すべきこのスポーツに熱狂
する人々。つまり、あなたたちと同じサポーターの日々とこころの葛藤を描く
エピソードであることを、改めてお伝えしておこう。
私はイングランド北部の小都市・ボルトンの生まれ。プロスポーツの調査にた
ずさわるビジネスのかたわら、マンチェスター・ユナイテッドの応援に情熱を
傾ける生活を続けてきた。その歳月は自らフットボールに明け暮れていたハナ
タレ小僧時代も含めれば、ゆうに40年近くにおよぶ。その歴史の中には、
サー・マット・バズビーとボビー・チャールトンによる「ミュンヘンの悲劇」
(58年の欧州チャンピオンズ杯、ユーゴでのアウェー戦帰国途上のミュンヘン
で起こった飛行機事故。ダンカン・エドワーズらユナイテッドの主力選手など
乗員・乗客23名が死亡)からの復活劇もあったし、衝撃的だったジョージ・ベ
ストやビル・アストンのデビューもあったし、”神”エリック・カントナととも
にリヴァプールやチェルシーと闘った時間帯や、信じられないような逆転劇で
欧州王座に返り咲いたカンプノウでのバイエルン・ミュンヘン戦も含まれる。
だが、イングランド男としてはありふれた私の「赤い悪魔」の人生は、2005年
に設立されたある弱小クラブの誕生とともに終りを告げた。密かに抱いていた
自分のフットボールの理想に照らせば、このクラブとともに闘い勝利を追い求
める生活にこそ、自分自身のゴールがあると感じたからだ。北部リーグのセカ
ンドディビジョンに登場するやいきなりリーグ王者に登りつめたそのチームは、
マンチェスターの誇り・ユナイテッドと同じ本拠地、同じ真紅のカラーのアイ
デンティティを掲げ、名称を「フットボールクラブ・ユナイテッド・マンチェ
スター」(通称、FCユナイテッド)という。
この変節への引き金は、サポーターの間では「ジョージ・ベストの栄光」とし
て語り尽くされた67~68シーズンの欧州チャンピオンズ杯獲得から30年後に起
こった。赤い悪魔の象徴だったマンチェスター・ユナイテッドが、オーストラ
リアのメディア王(ルパート・マードック)の買収劇に巻き込まれるという屈
辱を味わったのだ。この忌まわしい買収劇は、まだ「赤への忠誠心」旺盛な当
時のデビルたちの手によって帳消しにされたが、さらに7年後に起こったフッ
トボールへのビジネスの介入を我々はついにせき止めることができなかった。
キャリアを築いてきたユナイテッドの経営権は、アメリカの資本家マルコム・
グレイザーの支配下へ。さらにその後に続いた地元サポーターを置き去りにし
てのマンチェスター・ユナイテッドの運営方針と肥大化は、かつてヨーロッパ
を赤のイレブンとともに席巻してきた悪魔たちの熱狂に冷水を浴びせる副作用
をもたらした。つまりFCユナイテッド誕生の経緯は、我々のホームタウンを
覆っていたこの絶望感と無関係ではないのだ。生まれたばかりのこのクラブは
マンチェスター近郊のバリー・スタジアム(ギグレーン)を本拠地とし、誇り
高き闘いを続けている。イレブンがまとうユニフォームのカラーは、我々には
見なれた黒とマンチェスター・レッド。そして同じレッドが占有するゴール裏
には、かつてジョージ・ベストやノビー・スタイルズの戦友だったキャリアを
持つ悪魔たちによって占拠されている。自分たちと価値を共有し、自分たちと
ともに成長し、自分たちと同じゴールを目ざす……FCユナイテッドのホー
ム・ギグレーンには、マンチェスターのフリークたちが久しく見失っていたク
ラブへの「夢」の気配に満たされている。
ではここからは、8月22日に開幕したばかりのFCユナイテッドが所属するEV
O-STIKリーグ(ノーザンプレミアリーグ・プレミアディビジョン。7部に相
当)の模様をリポートしよう。ちなみに「EVO-STIK」とはレスターシティに本
社がある著名な接着剤メーカーのブランド名である。
我らがクラブの開幕戦はリヴァプールの地元クラブ、マリンFCとのアウェー
戦であったが”頼れるニューカマー”マイク・ノートンがPKを含む2得点を叩
き出して快勝。敵地・アリヴァスタジアムまで駆けつけた同志たちのサポート
に報いてくれた。もとよりリヴァプールは我らにとっては因縁ふかい街だが
(嫌いだがリスペクトすべき赤のクラブがある)、マリンFCは前シーズンの
FCユナイテッドの上を行くEVO-STIK9位のチーム。戦前は苦戦が予想されて
いただけに上々の滑り出しと言える。
この一戦で勢いを得たFCユナイテッドは、ギグレーンにナンウィッチ・タウ
ンを迎えた第2節のホーム開幕戦(25日)も”我らが10番”の点取り屋、ジェ
ローム・ライトが決勝点を決めて2連勝。押し上げたDFからの配球を左サイ
ドで受け、軽快なステップで敵の最終ラインを破って右ポスト際に決めたシ
ュートは、1900人近くが入場したバリースタジアムを大いに沸かせた。今年も
スタンドは赤白黒のトリコロール(MUFC、そして浦和レッズと同じ配色
だ)に染められた「FCUM」の横断幕で彩られている。だが、何より私の目
に焼きついたのは、バックスタンド前列に掲げられていた
「SOLIDARITY GLAZER OUT!」(グレイザー追放連合)の緑と黄色の横断幕
だ。今年もマルコム・グレイザーの手に落ちたマンチェスター・ユナイテッド
との対決を夢見る、長い長い戦いが始まったのである。
以上、我らがFCユナイテッドの今季キックオフ直後にお届けする1回目のコ
ラムである。私がなぜこの連載を担当することに喜びを感じているか、なぜ彼
方のサッカーの街・URAWAにいるレッズサポーターたちにシンパシーを感
じているか。多少なりとも判っていただけたら幸いだ。(9月22日号に続く)
マーク・ラッセル(Mark Russell)プロフィール
イングランド北西部・ボルトン生まれ。サポーターとして、またスポーツ関連
情報をメディアに配信するリサーチャーとして30年以上にわたりマンチェス
ター・ユナイテッドを見守ってきたフリー・ジャーナリスト。イングランド、
スコットランドなど英国サッカー変遷の研究を専門領域とし、リヴァプール、
エバートン、ブラックバーンなどのクラブに関して長い調査歴を持つ。少年時
代からの熱狂的な”赤い悪魔(マンチェスターユナイテッド・サポーター)”で
あったが、米国人投資家のマルコム・グレイザーが経営権を握りアレックス・
ファーガソン監督の専制政治が敷かれた90年代後半からの同クラブの一辺倒な
拡大路線(ビッグクラブ化)に絶望。志を同じくするマンチェスター市民の熱
望によって結成されたFCユナイテッド・マンチェスター
(Football Club United Of Manchester)の支持者となり、その動向のレポー
トを海外のメディアに向けて発信する活動を行なっている。
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◆埼玉県サッカー情報
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このコーナーでは埼玉県に関連するサッカー情報を掲載します。
○天皇杯2回戦
浦和レッズ7-0東京国際大学(埼玉県代表)
○全国高等学校サッカー選手権大会 兼 埼玉県高校選手権
予選1次リーグを勝ち上がり2次リーグに進んだ高校が決定。
■2次予選からの出場校
西武台、市立浦和、武南、埼玉栄、川越南、正智深谷、西武文理、大宮南
■1次予選ブロック代表校(1次リーグ戦を勝ち上がった高校)
浦和東、本庄第一、大宮東、伊奈学園、不動岡、浦和南、坂戸、川口北
越谷西、越谷南、成徳深谷、川口、昌平、聖望学園、松山、熊谷
○埼玉県社会人サッカーリーグ1部13節の結果
与野蹴球会 1-2 与野八王子クラブ
武南クラブ 0-5 浦和レッズアマ
坂戸シティ 3-0 AVENTURA KAWAGUCHI
パイオニア川越 2-1 セボジータス
○全国ビーチサッカー大会2010関東大会の結果
・REDGRANT FC 2010
・Iwatsuki/tzk
・与野
の3チームが埼玉県代表として出場。
REDGRANT FC 2010が2次リーグに進出するも敗退。
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◆編集後記
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如何だったでしょうか。浦和フットボールメルマガ創刊号。
近年、レッズが強くなってからは昔ほどレッズを強くしようという真剣な議論
がサポーター界隈でも少なくなってきているような気がしてなりません。
レッズを強くしてきたのは街・サポーターの情熱もあってこそだと私は思って
いますので、この情熱をこのマガジンから発せられればと思っています。
「真に浦和と浦和のフットボールを愛する声を集める読者参加型メールマガジ
ン」ということで、読者の皆様と浦和を考えながら、他の媒体では、なかなか
発せられることのない市民・サポーター視点での提言などを行いながらフット
ボールをより楽しめる内容にしていきたいと思っております。今までそんな場
所がなくなってきたと思っている方も多いかと思いますので、この機会にドシ
ドシ皆様からのご意見・ご感想もお待ちしております!
浦和フットボール通信WEBサイトで展開している『浦和フットボール交信』
でも椛沢編集長と豊田氏によるコラムを展開中です。併せてご覧下さい。
https://www.urawa-football.com/column/lequipe/toyota_13/
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