浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「雪辱を果たす時」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

森脇、坪井が悔しさを言葉にする。雪辱は果たせなかった。しかし、この借りはホームで返して決勝に進もう!

「雪辱」とは、まさに恥をそそぐことを意味する。それは、辱めを受けたことから生まれた感情である。

7月13日、等々力競技場で行われた川崎戦は心の澱みとなっていた。正しくは「辱めを受けた」と言うよりは、自分達の力の無さを思い知らされた試合で、自ら辱めに陥ったのだ。

浦和の良さを何一つ出すことが出来ずに0-4で敗戦。ミシャ監督は試合後、選手達と共に等々力に駆けつけたファン・サポーターへ深々と頭を下げた。それは、ミシャ監督が初めてとった行動であった。

「浦和の監督を就任して、もっとも悪いゲームだった。完敗のゲーム」とミシャ監督は記者会見で語った。浦和を愛する者にとって、雪の様に真っ白に、洗い清めたい試合であった。

その雪辱を果たす時がやって来た。舞台はナビスコ杯準決勝。あの日と同じ等々力競技場で川崎と対戦出来る絶好のチャンスであった。前回の対戦と同じ闘い方では、同じ轍を踏むことになる。ミシャ監督が同じことを繰り返す訳は断じて無い。だが、やり方を変える監督でも無い。では、どう対処するのか?様々な思考を巡らして練習場に足を運んだ。試合2日前の練習で、DFラインを右から平川・森脇・那須・宇賀神で形成し、阿部と鈴木のボランチで4-2-3-1あった。練習中に足の違和感を訴えた鈴木啓太選手を急遽欠くことになり、前日練習では、10対10のミニゲームを行い、Bチームのボランチに那須・阿部が入り、ことごとくAチームの前線である興梠や、原口、梅崎に渡る配球の目を潰していた。AチームのGKは山岸、DFは森脇・坪井 両サイドに宇賀神・平川と10人のために、少し変則的な形であった。試合前日会見で「システムでは無く、選手達が判断していかに動くことが重要であることは理解しています。2日間、4DFをした狙いを教えて下さい」と尋ねてみた。

すると、ミシャ監督はニヤリと笑い「阿部は後のリベロにいたのを少し前にポジションをとった。いつもと変わらないと思う。数の並べ方は言い様である」と答えが返って来たので、「相手の中盤をケアするためですか?」と尋ねると「理由は何かある」と多くを語らなかった。そして「啓太、マルシオ、直輝、矢島など怪我人がいて、槙野が代表に召集されている。どう闘うか、考えなければいけない。時として、やり方を変えないといけないこともある。いずれにしても明日は厳しいゲームになる」と険しい表情をした。

ミシャ監督が狙いとするところは、川崎の攻撃の起点となる中村憲剛選手を潰し、得点力のある大久保嘉人選手とレナト選手に仕事をさせないために、良い守備からの得点のチャンスを覗うことだと思った。相手に先制点を許さなければ、ボールをポゼッションしながら自分達のリズムで闘うことが出来て、得点チャンスは生まれる。ただ、スタメンを予想するのは難しく、考えるだけでも楽しくて堪らなかった。

そして迎えたナビスコ杯ファーストレグ川崎戦。阿部・那須がボランチを組み、森脇・山田暢久・坪井のDFラインで今シーズン初の組み合わせで挑んだ。試合は、ミシャ監督の采配が見事に嵌り、前半、川崎が放ったシュートは僅かに2本であった。ピッチの中では、思う様にプレーが出来ないイライラした大久保選手やレナト選手の姿があった。

前半終了間際に、少し引き気味にパスを受けた原口元気選手がドリブルで持ち上がり、縦パスを宇賀神友弥選手に入れ、宇賀神選手からスイッチする形で受けた興梠慎三選手が、相手DFの裏に抜け出し冷静にゴールへ流し込んで先制点を決めることが出来た。後半立ち上がりには、平川忠亮選手のシュートを興梠選手がゴール前で右足でコースを変えて貴重な追加点を奪った。ここまでは、申し分ない出来であった。だが、川崎が4DFにシステムを変更して反撃に回るとゲームの主導権を握られ、3DFの山田暢久選手と坪井慶介選手の思いがけないハプニングでの交代を余儀なくされると脆くも崩れてしまった。

試合後、坪井選手は「結果的に、僕と山さんが試合を通して2枚変わってしまったのは、チームにとって計算外のことだったと思うので、バランスを崩してしまったと思う。悔やまれる。前半から、マンツーマンになっても良い形でやっていて、1対1の局面でも良いバランスで出来ていた。それを繰り返せれば良かったかなぁ・・・。両足のふくらはぎと内転筋まで攣ってしまった。もう少し頑張りたかった!」と悔しがった。森脇良太選手は「負けた原因は、全て自分にあると思う。60分過ぎには、今日の僕の状態では走るのが困難だった。情けないです。運動量が低下した。何のためにピッチに立っていたのか・・・」と唇を噛みしめた。

ミシャ監督は記者会見で「山田、坪井が非常に守備のところで相手を抑えていた。その後、交代して相手をフリーにし過ぎた。もし、槙野、鈴木啓太、山田直輝がいれば、もっと落ち着いた形で試合を進めることが出来たのではないかと思う。悪いゲームだったとは思わない。セカンドレグでしっかりと勝利を目指す」と完敗したリーグ戦とは違い、川崎に勝利する手応えを掴んだ。

前半のような闘い方が出来れば、勝利を手にすることは出来るはずである。今回は、雪辱を果たすことが出来なかったが、完敗したあの時とは違う。雪辱を果たす時は、川崎にホームで勝って、ナビスコ杯決勝へコマを進める時である。雪辱を果たし、決勝の舞台へみんなで行こう!

Q.年をとると、運動した翌々日ぐらいから筋肉痛が出るのは何故ですか?

A.筋肉が傷んだ時から炎症が始まります。12時間から24時間経つと腫れが強くなります。この炎症が強くなる時間差が受傷からある程度時間がたってから痛みの出る大きな原因となると思われます。年をとると生体反応が衰えて、炎症が起こるまでの時間が少し長くらりますので、年をとると時間を経ってから筋肉痛が出るのでしょう。数日経つてから筋肉痛を感じるのは、痛みに鈍いのでは無く、生体反応が遅いことが要因と言えます。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科クリニック
整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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