『サッカーデイズ』著者 杉江由次ロングインタビュー Vol.2
ボールを追う子どもたちがいる。見守るコーチと家族がいる。そしてそのフットボールライフの本拠地には、彼らの期待を一身に担うトッププロが闘うスタジアムがそびえ立つ―― 誰の目にも明らかな“理想のJタウン”を体現し、揺るぎなく継承するプロセスの影には、どれほどの名も無きサッカー愛が存在するのか?
話題の新刊『サッカーデイズ』の著者にして「本の雑誌社・炎の営業」と知られる杉江由次氏ロングインタビュー、第二弾をお届けする。
インタビュアー/豊田充穂
Profile 杉江 由次
1971年埼玉県生まれ。本の雑誌社勤務の傍ら、スタジアムに足しげく通うレッズサポーター。著書に『「本の雑誌」炎の営業日誌』(無明舎出版) 2013年8月にサッカーで笑いサッカーで泣く家族の日々を熱く描き出す、全てのサッカー人に捧げる感動エッセイ『サッカーデイズ』(白水社)が出版された。
●サッカーと暮らす、 URAWAの空気を お届けします。『サッカーデイズ』著者 杉江由次ロングインタビュー Vol.1
豊田:杉江さんは結婚を機に浦和に越されて来たとか。
杉江:はい。駒場にも埼スタにも通いやすい緑区を選び、シーチケホルダーになったのは95シーズンからでした。サポート密度にも拍車がかかったけど、何よりインパクトを受けたのは娘のチームの父兄たちが交わす地元限定の「サッカー繋がり」談義のボルテージ。あれは強烈でしたね。
豊田:分かります。凄い熱気なのでは?
杉江:テーマとズレるから著書には書いていませんが、正直あれほどURAWAが色濃くアピールされる場面はないと考えます。「○○君のパパは武南のMFだった○○さんのチームメイト」「知ってます、その2年上が○○FCでコーチやってる○○先輩」「それって○○公園近くに住むご一家でしょ?」っていう感じ……たちまち頷きあう輪が燃え広がって、即席でサッカー部OB会みたいな盛り上がりが出来あがってしまう(笑)。
豊田:あれが始まっちゃうと他所の人は入って行けないでしょう。
杉江:果ては「僕は○○中学サッカー部」「あ、私も○○中だけど小学校では○○少年団」にまで行き着く……同じ埼玉なのに春日部のサッカー歴なんて出る幕ないんです(苦笑)。ああ、ホーム浦和のヒエラルキーはレッズが軸ではないんだ。埼スタのスタンドに掲げられてはいても、「王国浦和」の本当の正体ってこの結束なんだと思い知らされる瞬間ですね、あれは。
豊田:お察しします。杉江さんにしてみれば、そりゃ居心地が悪いよね。
椛沢編集長:(横から割り込んで)その会話、豊田さんもよくやるんです。良くないクセですよね、浦和の人の(笑)。
杉江:その通り! 正直悔しいし、気分わるいっすよね、あれ(苦笑)。でも言わば「江戸っ子自慢」みたいなものなのかな。聞くほどにホームタウンへの愛着を知らされるし、自分もその輪に入りたい気分が掻き立てられる会話なわけです。
椛沢: 古くからの地元のサッカー好きの方は60~70代でも熱を持って話されるし皆さん本当に詳しいですよね。
杉江:横山謙三さんの話まで出ますしね(笑)。でもすなわち、それこそが親子三代四代で続いているURAWAの継承の証し。聞かされる者はそこで「ここではサッカーは特別なんだ。地元の人の繋がりを担う宝なのだ」という事実を認識するわけです。
豊田:逆にいえば偏屈とも見えるそのサッカー愛が根底になければ、平坦ではなかった浦和レッズへのサポートだって重大な危機局面を迎えていたかも知れない。
杉江:それはその通りですよね。
豊田:唐突ですけど、11.27は見ていますよね。
杉江:もちろん。バックスタンドの西側で……。自転車10分の帰り道がなぜか2時間かかったのですが、その記憶はまるごと飛んでしまいました。
豊田:代表戦とかも?
杉江:以前はよく見てました。韓国に負けた97年W杯予選あたりは深く印象に残っています。
豊田:国立競技場でのデイゲームですね。念のため……それってプレス席で観たのではないですよね。
杉江:そりゃもう、熾烈なチケット争奪戦を乗り越えて。
豊田:失礼しました。(椛沢編集長を振り返って)杉江さん、侮れない……こりゃ本物だ。
杉江:浦和人、いけてますか?(笑)
豊田:それはともかくとして(笑)。つまり強調したいのはサッカー愛の継続というのは、一人のファンのキャリアにおいても痛みとかキズと表裏一体であること。そしてURAWAには、それが長い年月をかけて幾層にも積み重なっているということです。
杉江:本当にそう思います。
豊田:私の経験の中では、その価値をいちばん具体的な言葉で示してくれたのが降格した頃の小野伸二キャプテン(当時)なんです。当時の浦和の苦境に反して、彼の地元・静岡のJクラブである清水と磐田はチャンピオンシップを争う絶頂期だった。そこで彼に質したわけです。「それでも小野君が浦和レッズでプレーすることの価値は?」と。
杉江:(身を乗り出して)回答は?
豊田:「クラブの価値は本拠地で決まる。つまりホームタウンで決まる」と、はっきりとそう言うんです。「駒場のスタンドとゴール裏を見ればそれが分かる。プロを目ざす自分にとって、この本拠地のお客さんの前でプレーすることが一番重要と思った」と……。当時まだ20歳ですよ。静岡出身であることを差し引いても、凄いサッカー観を持った子だなと驚愕した記憶がある。
杉江:さすがですよね、そのコメント……。
豊田:ちょうど同じ頃、J2の我らがレッズは、岡田監督率いる札幌に1分3敗という大苦戦を続けていました。地元北海道出身の人材をクラブ幹部に招き入れた岡田さんは、サッカーに対する地元シンパシーの活性化に成功。ホーム厚別競技場にレッズサポーターを迎え撃つ大観衆を集めることにも成功していたのです。その形勢を見た著名なスポーツコメンテータ氏が、NHKのスポーツ特番でこう言った。「いまやJの地域密着を体現するホームタウンは浦和ではない。コンサドーレを支える札幌である」……。
杉江:いやはや、それはちょっと(苦笑)。
豊田:我々にしてみれば思わずニヤリですよ。J2の何年かを耐えたくらいでそのサッカー愛、本物ですか?と。
杉江:確か、そのすぐ後に厚別は……
豊田:2年後に札幌が日ハムを誘致してコンサドーレがJ2に足場を固めてしまうと、本拠地・厚別にはたちまちに閑古鳥。歓声が響きわたる北のスポーツ拠点は、白いユニを着た日ハムファンで埋まった札幌ドームばかりになってしまった。
杉江:なるほど。
豊田:これはほんの一例ですが、サッカーのホームタウンを支え続ける地域の心意気というのは生優しくはないのです。サッカーが駄目ならプロ野球……程度の覚悟では、簡単に燃え尽きてしまう。
杉江:そうそう、思い出しました。11.27の駒場を見て「涙で拍手なんて生ぬるい。イタリアだったら暴動ですよ」とか、分かったようなコメントを出した海外サッカー通きどりの作家先生もいましたね。
豊田:(深くうなづきながら)ああ、おられましたね。
杉江:その後の世界事情を見ても、リーベルもユーべも、自軍のトップリーグ落ちは涙ばかりで、サポーターの暴動なんて起こらなかった訳ですが。
豊田:誰にも任せられないということと思います。地元のサッカーの経験値とサッカー愛は、自分たちで大切に語りついで行かないと……。
杉江:激しく同意です。自身を省みても、僕は浦和レッズよりも先にURAWAという場所のサッカーの継承を知らなかった。この街では浦和レッズのほうがあとから来たものなんですよね。さらに、「真に地元のサッカーに関わっている人ほど、レッズから遠い位置に居たりする」という現実も、かなりショックでした。
豊田:それって杉江さんのようにこの街に飛び込んで少年指導なりに携わり、地元のサッカー愛に生身で触れないかぎり、本質的には理解できないことなのでは?
杉江:そうかもしれませんね。こういう現実を浦和レッズには真摯に捉えて欲しいです。地元少年団で名を馳せたエースの子がレッズとアルディージャのジュニアユースに受かりながら、アルディージャを選んでしまう。彼らの憧れの選手がレッズの選手ではなく中村俊輔であったりする……正直、僕は悔しいです。レッズのエンブレムが、URAWAの親子の憧れの対象にならないことなんて、あってはいけないことと考えますから。
(この稿了 2013年10月・浦和区内にて)