浦和フットボール通信

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Remember 11.27:URAWAは、あの日を忘れない 未来へのテーゼとしての11.27。 豊田充穂

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二人のレッズサポーターのコメントを聞くうちに、当時、ことの
次第も知らない人々からかけられた台詞が甦った。
「たかがスポーツの応援。プロ野球に鞍替えすりゃラクじゃん」
「弱いのに敵地まで追っかけて……プロとして甘やかし過ぎでしょ」
「応援をやめる厳しさも、ファンとして必要ではないですか」

やめたらどうなっていたか?

愛するわが街のフットボールクラブは「消滅の危機」を迎えていた可能性がある。降格がもたらす財政上の損失は深刻で、サポーターの動員と応援の実績がなかったら支援打切りも視野に入れるスポンサーが実在した。トップリーグ復帰を誓うJ2のホームゲームを、駒場で戦えるか否かも不明。改革の気配がないフロント幹部に退陣を迫るホームタウンの活動には2日間で3千名の署名が集まった。そんな体たらくのクラブよりも至宝・小野伸二の将来を憂いたサポーター有志からは、彼の退団を認めさせようとする声が上がり始める……。新しい世代のサポーター諸兄には信じられないかも知れないが、これがわずか10年前の浦和レッズの姿である。

Jの「100年構想」の十分の一に過ぎない時間帯を経て、このクラブと支持者たちはどん底から這い上がって来た。ことにACLを世に知らしめたアジア制覇以降は、“ビッグクラブ”とまで祭り上げられることもしばしば。スポーツファンはおろかマスコミや企業までが、赤く染まった埼玉スタジアムを舞台に“世界を目ざすレッズ”という次なるストーリーを夢想しているとしても何ら不思議はない。だが、いつも満員のスタンドを前に億単位の移籍金で獲得したスター選手をそろえるクラブがいったい世界中に幾つあるのか。その隆盛は誰の手により、いつまで保たれるのか。ホームタウンを作る100年のスパンがいくら復唱されようと、時間という現実は監督や選手、クラブとその組織環境までも刻々と塗り替える。

20年後、そして30年後。私たちが再び11.27のメモリアルを迎えるその時に、「勝つところだけが見たい」サポーターはレッズ戦の客席に残っているだろうか。「サッカーはビジネスの一環」と考えるスポンサーは、クラブとの契約を継続しているだろうか。浦和レッズを時を超えて支え続ける存在は、真にその存在の意味を理解する者とホームURAWAだけ……。10年を経たいまも、あの日に刻まれた私の思いは変わらない。

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