浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「価値のある無失点~永田充選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

自分自身のプレーを見失った同じ埼玉スタジアムで、同じ相手を無失点で抑えることが出来た。永田選手にとって、価値のある無失点での勝利となった

ゴールデンウィークに突入し連戦が続く中、選手達に疲労が重くのしかかり、パフォーマンスの低下や怪我に繋がる状況になっている。

この時期は、どのチームもターンオーバーをして総力戦で試合に挑んでいる。浦和の場合は、4月19日の川崎戦で槙野智章選手が右太腿裏を軽い肉離れで戦線離脱を余儀なくされ、後方からの推進力を失ってしまった。

4月26日に行なわれた柏戦では、槙野選手に代わり、濱田水輝選手が左のストッパーを務めた。そして、中2日で行なわれた横浜FM戦では、ミシャ監督は満を持するように永田充選手を初めて左のストッパーで起用したのであった。

横浜FM戦の勝利の笛が埼玉スタジアムに鳴り響いた瞬間、永田選手は安堵の表情を浮かべ、攣った足を庇うようにピッチに身体を投げ出した。チームの勝利はもちろんであるが、永田選手にとっては、何よりも嬉しい無失点の勝利であった。

思い起せば永田選手は、昨年3月30日に行なわれた第4節の新潟戦で左太腿ハムストリングの肉離れを起こし、復帰戦となった7月17日の第19節横浜FM戦で、マルキーニョス選手に裏をつかれ先制点を許してしまった。浦和は逆転をするものの齋藤学選手と栗原勇蔵選手に決められて、2対3で敗戦。

約4カ月ぶりの試合となった永田選手は、試合勘が無く厳しい試合となった。何とか本来のプレーを取り戻そうとするものの、気持ちばかりが前に行き、焦っているようにも思えた。この試合から永田選手の苦悩の日々が始まった。失ったのはポジションだけでなく、自信までもが永田選手から消失していったのだ。

ベンチを温める日々が続く中、苦悩しながらも練習のミニゲームで必死になって食らい付いて行く永田選手の姿があった。永田選手に代わって3DFの真ん中でプレーする那須大亮選手もポジションをそう簡単には譲らない。「ミツが(永田選手)練習中から、『いつでも俺がいます』ってアピールしていたから、俺も気が抜けずに集中出来た。ミツの存在は、大きかった。感謝している」と那須選手はいつも話していた。

那須選手は、同じポジションを争うライバルとして永田選手の存在を認めていたのだ。だから、那須選手も必死になって闘争心を剥き出しにして、勝利と言う結果をピッチの中で追い求めていた。永田選手にとっては、苦しいシーズンになっていた。

今シーズンになり、永田選手にようやく笑顔が戻って来た。オフシーズンにしっかりと身体を作り上げた永田選手は、コンディションが良く手応えを感じていた。開幕してからもいつでも出場出来る準備はしていた。

開幕戦となったG大阪戦では、右足を痛めた那須選手に代わり75分に途中出場を果たした。「途中出場で、不安よりはやれるという気持ちが大きかった」。短い時間であったが、永田選手にとっては、メンタル的にも大きな1歩であった。

4月6日の仙台戦で負傷交代をしたが、すぐに復帰することが出来て少しづつであるが、永田選手の持ち味である高さとロングフィードを生かしたプレーが戻ってきたのだ。

そして、初めての左ストッパーとなった横浜FM戦では、槙野選手とは全く違うプレーを見せて存在感を出した。永田選手は、左のストッパーに入ったことで、身体の向きを斜めにしてワイドに視野をとりリスクマネージメントをしながら安定した守備をみせた。試合後、永田選手は「結果で示せるアピールが最低限出来た。那須さんが中心に声かけてくれたし、最後は本当に気力ですが守りきれて良かった。今日は、前に上がらなくて良いと指示があって、阿部さんとか宇賀神が、槙野のやっている役割を果たしてくれたのでディフェンスに集中出来た。

前半は、問題無く出来たが、得点した直後から多少退いてしまい受け身になってしまった。勝ち切れたのは大きい。勇蔵(栗原選手)が最後に上がって来たので『こっちにくるなぁ』って思っていた。残り15分は、やばかった。ロングボールを蹴りたかったんですが、延命措置をしてました。1本蹴るとたぶん行く(肉離れを起こす可能性がある)と思った。もう少し体力をつけます」と笑った。そして「槙野のようなプレーを監督は要求しているポジションだと思う。槙野のプレーの真似をしようとは思わない。僕は僕で出来ることをやれば良い。だが、同じクオリティーで出来る選手が、良い選手だ。阿部さんは、そういう選手だ。そう言う選手になりたい」と身を引き締めて話した。

昨年、自分自身のプレーを見失った同じ埼玉スタジアムで、同じ相手を無失点で抑えることが出来た。永田選手にとって、価値のある無失点での勝利となった。この価値のある無失点を足掛かりに、更なる上を目指して永田選手の闘いは続く。永田選手の笑顔の向こうに、熱い闘志が見えた。

Q.オスグット病になってしまって飛びだした骨はどうなるのでしょうか?

A.オスグット病で出っ張った骨は、治りません。成長期を終えて14歳ぐらいになると大人の骨になってきます。大人になり成長すると出っ張った軟骨は、骨に変わり脛骨に付着します。痛みはおさまりますが、出っ張った骨は治らないので正座するとときどき痛いと言う症状が残ります。大人になり痛みが強い場合は、出っ張った骨を削る手術をします。また、オスグート病がある子供のごく稀に、ジャンプの着地の瞬間などに出っ張った骨が裂離骨折を起こしてしまう場合があります。オスグート病は慢性の痛みですが、急に強い痛みが怪我で起こるとこの病気を疑います。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科クリニック 整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/

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