浦和フットボール通信

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浦和フットボール交信 – Vol.4~原点回帰の"Go to ASIA"~椛沢 佑一

椛沢佑一浦和フットボール交信 Vol.4
「原点回帰の“Go to ASIA”」
椛沢 佑一
(浦和フットボール通信編集長)

早いもので、シーズンオフは終わりJリーグが3月6日に開幕した。開幕戦は鹿島の得意な形に持ち込まれ、彼らの長所を出し、浦和の長所を全く出せない展開となってしまった。そんな試合については、厳しい意見も多くなってしまうのは仕方ないことだろう。しかしここで吐き捨てるだけの意見を言うだけではレッズのためにはならない。実際のスタジアムでの現場の空気はどうだったのか、そして開幕前にクラブから発されたメッセージに今シーズンへの道標が記されていた「Talk on Together」での話をしたいと思う。

■ 開幕・鹿島戦後のゴール裏の空気感
奇しくも昨シーズンの最終節で優勝を目の前で決められた鹿島アントラーズと今シーズンも2年連続で開幕戦。内容としては完敗。昨年の開幕以上に何も出来なかったんじゃないかというゴール裏の声があったが、完敗の中の悔しさからチームが一つの方向に向かって進もうとしている意志が見えたことに微かな光を見出して、さあ次へいこうぜ!という気持ちを持ったサポーターが多かったように感じた。そんな試合後のゴール裏の空気感だった。試合前には新シーズンを戦う選手達に向けてゴール裏からは「勝負を仕掛けろ浦和、狙えACL」というメッセージ、10年前から掲げられ続けている「Go to ASIA」の幕が掲げられた。
(*1)

(*1 UFFVol.20号ではアルカディシア戦を現地取材し、レッズサポーターのアウェーでの応援ぶりを詳細にレポートしている)

我々サポーターはACLという存在がまだなかった10年も前からアジア進出、世界への挑戦の夢を見続けてきた。実際にそれは2008シーズンに現実となり、アジアの頂点、世界クラブ選手権出場を果たした。このことでひとつの達成感を味わってしまったところがあるが、今一度、原点回帰でアジアを目指してきた気持ちを取り戻す必要があるのだと思う。3月に刊行した「浦和フットボール通信Vol.36」では今での開幕を振り返る特集企画を展開した。レッズの歴史を振り返ると、重要なキーワードは「反骨精神」なのではないかと思う。レッズサポーターは勝っているクラブをただ応援するよりも負けているクラブをなんとかして勝たせようという気持ちをもって応援をしてきた。だからこそ、他のチームにはない熱狂や情熱が生み出されている。「勝たせなくてはならない浦和レッズ」をサポートしてきた、という前回コラムの豊田さんの指摘どおりである。近年はクラブも強くなり、そんな気持ちが薄れてきているように見受けられるが、浦和レッズが浦和レッズであるためには我々サポーターはその気持ちを思い返さなければならない。

■クラブの意志を感じることができた『Talk on Together 2010』
Jリーグ開幕の4日前の3月2日に埼玉会館にてクラブの考えをサポーターに示す「Talk on Together2010」が開催された。これは10年前よりサポーターの意向を反映したイベントであるが、例年、話の内容よりも空気感でクラブの意気込みがある程度伝わってくる。今年の印象は「クラブとしての目標は定まった」という感じだろうか。橋本社長、柱谷GM、フォルカー・フィンケ監督、この3者が同じく述べたのは、何がなんでもACLの出場権を獲得する、ということだった。これがクラブの中で決められた最低タスクであり、延長線上に何らかのタイトルを獲得するという目的が掲げられた。昨年は土台を創るという下に目的がぼやけて、ヤキモキするサポーターも多かったが、今年はその目的ははっきりと示された。チームを引き続き、構築しながらある程度の結果を求める。サポーターとしてもこの方向に向かって、結果を求める姿勢も出しながら応援をしていく必要がある。柱谷GMからは気になる発言もあった。4種、小学生年代についての話だ。それについては今まで浦和にはFC浦和の存在があった。(*2)


(*2  UFF VOl.28では「新星の原点」と題してFC浦和をめぐる座談会を特集。サッカーの街のPRIDEが脈々として受け継がれている育成体制があることを記した。)

これは浦和の少年団から選抜された選手達がチームを作り、全国大会の頂点を目指していた伝統のチームであり、山田直輝、永田拓也、岡本拓也などがOBであるが、昨シーズンをもって一つの方向性の中から活動がなくなったとのことだった。FC浦和の存在があったため、浦和レッズとしては小学生年代のチームは持たず、ハートフルクラブでの普及レベルに留めていた背景がある。FC浦和の活動がなくなったことを受けて浦和レッズとしてどうしていくのかという質問に対して、柱谷GMは、新たにレッズとしてのジュニアチームを作るか、平日に通えるトレセンのような組織を作って、レッズが高いレベルでの指導を提供して週末は少年団での活動をしてもらうという2つの方向性の中から探りたいとのことだった。クラブとホームタウンを考えた時に地元の才能をどのようにフォローしていくかはクラブとしても重要な課題になってくる。「浦和フットボール通信」としてもこのトピックについては今後も深く取り上げていきたい。

(※ FC浦和は2008年の全国少年団選手権で優勝を果たし、浦和フットボールのレベルの高さを示した。優勝した多くの選手達は現在レッズJrユースで活躍する。UFFVol.19ではFC浦和を大会中追いかけて優勝レポートを掲載した。)

橋本社長も壇上で「浦和レッズは地域の誇り、宝だ」と発言をした。そのような存在にもっとなるために地域とクラブとの関わりについては、もっと考えてやれることは多い。地域や我々サポーターがクラブに関わりをもってクラブを支えていく形になっていけば良い。あの選手が良い悪い、監督が良い悪い。そのようなサッカー談義もサッカーの楽しみのひとつではあるが、90分間の試合を切り取って話をするだけではなく、サポーターとしてはもっと広い視点やホームタウンの歴史、クラブが歩んできた時間を顧みて考えることこそが浦和レッズが地域の代表として輝かせるために必要な力となってくる。そうやって今までも浦和レッズは大きくなってきたのだから。これが前回の豊田充穂さんのコラムの「浦和にとってのサッカーの意味」についての答えにもなって行くのではないかと思う。

(第4校 了)

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