浦和フットボール通信

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「今季はヒラ、ツボ、啓太の優勝経験者に期待をしたい」 『セレモニープレゼンツ山田暢久トークライブ』 レポート(2014/7/30)

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浦和レッズのパートナーのセレモニーが、7月29日浦和区のTINA LOUNGEにて、『セレモニープレゼンツ山田暢久トークライブ』を開催された。セレモニー互助会に新規入会した40組80名が招待をされて、束の間の時間を楽しんだ。司会は本誌でもお馴染みの河合貴子さんが務め、サポート役として、共に山田さんとレッズでプレーをした堀之内聖さんが参加した。

まず、堀之内さんはレッズに加入した時の山田暢久さんの第一印象について「ヤマさんの第一印象は無口で怖い人というイメージがあった。でも、岡野さんが戻ってきてから、イジられるようになって、今では、こんな感じになってますけど(笑)」と語った。

先日行われた山田暢久さんの引退試合についての話では、それぞれ引退試合の感想を語り、山田さんは「引退試合は、前半で息が切れて、これは、90分持つか分からないと思いながらプレーをしていた。」と話し、堀之内さんも「関根、矢島などの若手が問答無用に仕掛けてきて、イジメにあった。」と語ると、山田さんが「ハーフタイムで、ミシャ監督が現役選手に怒って、せめて同点にしろという指示が出ていたらしい。」と舞台裏を教えてくれた。

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豪華なOBが集まった引退試合であったが、山田さんは「長谷部は高校の後輩ですから、脅して来させた。ワールドカップで負けた翌日には一報を入れました。」と語った。さらに引退試合は息子さんとプレーをして、「息子が、プレーをちゃんと出来るのか心配だった。最後のプレーでは、本気でボールを奪われて、そこで子供の成長を感じた。」と父親らしい一面を見せた。

「スパイクを脱いだ時は、なんとも思わなかったんですけども、やはり今日で最後なんだなという思いは込み上げてきた。」と山田さんが引退試合を振り返った。

山田さんは、20年間レッズでプレー。その身体の強さの話題にもなり、「僕は、あまりケアをしなくても大丈夫だった。逆に身体を気にしすぎだから、怪我をするんだと、ホリとか達也には、言ってきました。身体の強さは、親に感謝ですね。20年間、自分でもよくここまで出来たなという思いはありますけど、まだやれたかなという思いもありました。」と生まれながらの身体能力の高さを感じさせる発言だった。

山田さんは、リーグ初優勝をした2006年シーズンはキャプテンとしても活躍した。その時については、「ギドがたまたま自分をキャプテンにしてくれた。自分に自覚を持たせるためにキャプテンに指名したのだと思いますけど、恵まれた時にやらせてもらえた。」と語り、河合さんが「ギドは、ヤマは素晴らしい選手。メンタル的に大人になれば、もっとすごい選手になる。だからこの壁を乗り越えさせるためにキャプテンに指名する」と言っていたと当時のいきさつを語った。

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堀之内さんも山田さんのキャプテン姿について「当時は、代表選手などがたくさんいる中で、飄々とキャプテンをやる姿がすごかったなと思いますね。闘莉王、啓太、ポンテなど、キャプテンっぽい選手が多かったので、ヤマさんのようなキャプテンでバランスが取れていたのかも。あとは、ヤマさんは勝負運を持っていた選手だと思います。」と当時の印象を語った。

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山田さんは、「自分は選手の文句を全部聞いて、それは監督に伝える。連絡役が一番多かった。あとはキャプテンだからと、飯をおごらせられたことが多かった。」とキャプテンだった当時の役割を語った。

「06年は失点をしても追いつけるという雰囲気があったし、ホーム無敗で、選手もそれを意識していて、ホームだから負けないという気持ちがあった。」と優勝したシーズンの雰囲気を振り返り、堀之内さんも「当時はサポーターが引き分けでもブーイングで、勝って当たり前の雰囲気を作ってくれて、逆にそれが良かったのかもしれない。」と黄金時代の雰囲気を思い返していた。

今季も現在は首位で、06年以来の優勝の期待が掛かる。山田さんは「今年は全体を見回してもレッズが一番安定をしている。優勝の可能性が高いのではないか」と今季の優勝を期待した。

優勝するために期待したい選手はという問いに対しては、「ヒラ(平川)、ツボ(坪井)、啓太は一緒にやってきた選手だし、頑張ってもらいたい。彼らは、優勝経験者の重みがあると思うし、3人のひと言が大きいと思う。」と語った。

最後は参加者からの質問コーナーになり、山田さんの後に6番をつけている山田直輝選手に対してのメッセージを聞かれて、「直輝は、他の選手は着たくないと言う中で、自分から6番を着たいと言ってきてくれた。ユース上がりの選手ですし、期待をしている。現在、チャンスがあまりないですが、長い目で見守っています。彼は練習でも手を抜かないタイプの選手。怪我は無理をする時に起きるので、ぼくのようなプレーを見てくれれば、怪我をしにくくなると思う。」と暢久さんらしい期待とアドバイスをした。

レッズ退団が決まった後に他チームのオファーがあったのかという問いに対しては、「鳥取からはオファーがありました。岡野さんが冗談なのか何なのか分かりませんでしたけど(笑)鳥取がJ2だったら行ったかもしれない。他のクラブも話はあったけども、金額提示の所で迷ったようで正式のオファーにはならなかった。最後の最後まで現役をやるかは迷いました。」と答えていた。

最後はプレゼントコーナーと写真撮影が行われて、トークライブはあっという間の時間が終了をした。浦和を引退をした選手が、浦和の街でサポーターと同じ時間を共有することができるのは貴重な時間であると感じたイベントとなった。

 

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