浦和フットボール通信

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吉沢康一×椛沢佑一緊急対談『We are Diamonds』その意味、重さを知ることが重要だ。

磐田戦の勝利の後、『「次」1000万人達成ありがとう これからも共に!』というメッセージと共に選手たちが『We are Diamonds』を歌った。その時にサポータースタンドから見ていて違和感を持った私は、これに対して、槙野選手にTwitterを通して、「準備したからやるという、パフォーマンスありきのメッセージは如何なものか。東京で勝って1000万人を祝うという話になって欲しい。1000万人という素晴らしい数字が軽くなったようで残念。」というツイートをした。そのことでTwitter上にて賛否両論さまざまな意見を頂いた。これは選手が行動することに、ただケチをつけるわけではなく、サポーターとして、もっと違うやり方で盛り上げて欲しいという思いがあったからだ。『We are Diamonds』を選手たちが一緒に歌うことを否定するつもりはなく、むしろ選手が頑張る気持ちを推進したい。その中でも未だ観客動員も落ち込む中で、その意味を再度考える時間になってきているのではないか。J開幕当時に『We are Diamonds』をスタジアムで歌い始めた張本人である、サポーター集団 「CRAZY CALLS」元リーダーで、ライターの吉沢康一氏に『We are Diamonds』のルーツを聞くと共に、この問題を共に考えた。

photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

椛沢:Jリーグが開幕した時に各チームが用意したサポートソングとして、浦和レッズが製作したのが『We are Diamonds』でした。まずは、このサポートソングをサポーターが歌うことになったルーツというものをまずは教えてください。

吉沢:Jリーグ開幕当時は各チームがサポートソングを製作していましたが、その中で唯一、クラブが発信した音楽をサポーターが受け入れて歌ったのが、『We are Diamonds』なんです。この歌の名前は『We are Diamonds』なんです。ある種、「Diamonds」という言葉は、企業色たっぷりなんですよね。絆というものに関して言えば、固く強いという意味で、(堅い鉱石の)“Diamond”はいいかもしれないけれども、少々の違和感もあったんです。だからこそ、それを受け入れたことには意味がありました。『チームとしてはいいネーミングだろう? いや、サポーターはそう思っていない。俺達は俺達の文化がある』という関係性がある中で、それを大事にすることによって、クラブとサポーターの双方の関係、バランス、信用が保たれた。それは未だに保たれていることだと思います。
クラブ側から発信されたものの中には他にもOKのものもあります。エンブレムもそう、チーム名もそう、そして、このサポートソングもそうで、これはある意味、クラブからの一方的な発信のものだけどサポーターが受け入れたものなんです。

椛沢:今や『We are Diamonds』はレッズの勝利の凱歌ですが、それは当時からそのような歌い方だったのでしょうか。

吉沢:今のように『We are Diamonds』が勝利の賛歌になる前には、勝利の後でなくても歌っていたことがあって、なんで今歌うんだと言われたこともあったのですが、それは英語の歌詞だったからなんですよ。日本で最初にフルパートの英語の歌詞を歌ったのは浦和レッズなんです。オレたちなんです(笑)。英語の詩だけどもクラブが発信したのであれば、俺達が歌わなければ終わってしまうという思いがありました。オレたちだから、歌詞が英語でも、覚えて歌うのも楽勝なんだと思っていました。「英語の歌詞だから歌えないなんて、そんな考えはナンセンスなだよ」って。もちろんけど、将来的には日本語の歌もあれば良いとも思っていました。それは今後考えていけば良いことだったのです。
そして『We are Diamonds』は、カバー曲だけども歌詞はオリジナルなんです。そこには浦和レッズのスピリットとして生きているものがありますよね。誰かから与えられるものは嫌。人の真似は嫌なんだけども、ただ真似が嫌なんじゃない。この歌はロット・スチュアートの歌であり、原曲である≪SAILING≫へのリスペクトもあるわけです。その中で新しい歌詞をつけたレッズ者がいて、そのレッズ者はクラブの職員だったけれど、僕らはそのことを、楽曲と同時に受け入れて全員が歌おうと思ったんです。繰り返すけれど、勝利をしなくても歌ったりしたのは、歌詞が日本語じゃなかったから広めるために歌ったんです。

椛沢:20年経って『We are Diamonds』はレッズサポーターの勝利の凱歌として定着をしました。ただ勝利をしても歌わない姿勢は今でもあります。

吉沢:そこが重要だよね。我慢すること、やらないことはすごく大事なこと。それは今までも何度もあった。サポーターが勝っても歌わなかったことがあるでしょ。試合に重い、軽いはないけれども、今日のシチュエーションでは歌わないよなというのは、レッズ者であれば誰もが分かるわけです。過去にも勝っても酷いゲームでは歌ってないわけですよ。それは、当時のスピリットが息づいているのかなと感じる部分です。

椛沢:今年から槙野選手が主導して、選手たちが『We are Diamonds』を一緒に歌うことになりました。このこと自体は画期的なことで、一体感を感じて今までにはない感覚があって素晴らしいと思うこともありますが、正直、違和感を覚えてしまう時があったのも事実です。

吉沢:オレもやっちゃいけないなんて思わないけど、やるのであれば、その感覚を分かろうとした上でやって欲しいと思う。たまたまウラマガを読んでいたら都築龍太のコーナーの中で、選手が歌うことについて書いてあって、「それはいいんじゃないの?でも俺はやらないよ」と都築は言っていた。都築からすると、それはサポーターのことであって、一緒に歌えたらいいけど、いつもそうじゃないよ、ということなんだと思う。

椛沢:そうですね。常に勝ったらやるというイベント感ではなくて、今日は勝ったからみんなで歌いたいんだという気持ちから来る行動であることが理想だとは思います。

吉沢:そうなんだよね。この前のように、ダラダラして歌うもんじゃない。歌いたいから歌うものだから。

椛沢:『We are Diamonds』の歌詞の意味、それを歌うサポーターの気持ちというものをしっかりと感じて行動をできれば、自ずと良いものができると思いますね。

吉沢:そうだね。あの歌は「お前たち勝て」ということは一切言っていないんです。「どんなときにもお前たちの近くにいる。そして一緒にいる。それがあるからWe are Diamondsであり、そして我々がWe are Redsと叫べるんだ」と。それが一人称であるから、そこに対してのYOUがある。YOUがあってWEがある。それは分身なんです。それを理解すれば自ずと何をすれば良いか分かる。選手たちは、まず100%でプレーをすればいいんです。
基本は100%プレーした選手がヒーローインタビューしている後ろで、≪We are Diamonds≫を奏でてやりたいんですよ。『We are Diamonds』を奏ででいる中でインタビューを受けて、それが聞こえてくる。それが美しい。「いつもそばに立っている。いつも一緒にいるよ、永遠に」だよ。どうしてそうなのか、それはREDSが自分自身だから。選手は分身で、どんどん変わっていく。分身なので影のようにいなくなるけれども、彼らのスピリットの中には浦和レッズがあることは永遠なんですよ。この前のOB戦で行った時に、多くの人たちが感じたと思うのですが、選手もサポーターも、レッズにかかわっている全ての人たちがいつまで経っても浦和レッズであるわけです。

椛沢:『We are Diamonds』は、20年間サポーターが歌い続けているクラブへの強烈なサポートソングですよね。

吉沢;だから、けっして選手たちを待って歌う歌ではない。そこらへんを間違っちゃいけない。あの歌のバックボーンに何があるのか知ってもらいたい。歌は93年にJリーグができた時に、全チームにチームソングがあった中で、唯一、今もスタジアムで歌われている歌なんです。軽くないんですよ。『ときめいてハットトリック』(93年当時のサンフレッチェ広島のチームソング)とは違うんだよ(笑)。その重さを考えたら、無理に選手がピッチに出てきてやる必要がないのかなとも思う。

photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

椛沢:広島もサッカーの御三家ではありますけども、槙野選手の広島時代は純粋にサッカーのことで盛り上げるのは難しいから、自分がピエロになってでもサッカー界を盛り上げたいという部分で色々な仕掛けをしてきたんだと思うのですが、浦和でそれをする必要があるのかなと思ってしまう部分もあります。浦和ではフットボールで盛り上げられる土壌があるから、その感覚を大事にして欲しいという思いもあります。

吉沢:俺が一番思うことは、槙野はサイドバックだと思っているから、代表ではインテルミラノでレギュラーをはっている長友と争わないといけないわけです。そうしたら、上がった後には一生懸命ダッシュで戻れって(笑)。彼は上がるけども、残念だけど必死に戻っているように見えない。必死になって走ることが感動を呼ぶんだよ。それは俺だけじゃない、色々な人がそういうことを見ているの。レッズの良い所は新加入の選手に温かいことだけども、全員が受け入れるわけでもないのが事実。椛沢も浦和だったり埼玉であったり、レッズを含めた上でのサッカー観、スピリットはなんとなく掴んでいると思うんだ。野人・岡野や福田正博は埼玉にとっては異質だったけども、福田なんかは埼玉が望んでいたストライカーの形だった。浦和にはセンターフォワードがいないから。西野朗さんみたいなクールな選手は出てくるけど、センターフォワードが出て来なかった。岡野もそういう存在だった。浦和とか埼玉の中で補ってくれる選手は受け入れられる。彼らはそういう環境でプレーをしていることを知るべきだと思う。
現状、観客離れが未だに止まっていない。逆に加速している。この前の磐田戦は、夏休みの試合でも28,000人。3位と4位のマッチなのに、いつお客さんが入るんだよという状況になっている。これはイベントありきじゃない。『We are diamonds』ありきじゃない。浦和レッズありきなんだよ。浦和レッズの理念の3つのことを守れば人が戻ってくると思うんです。それは、いつも100%走っているかということです。厳しい見方ではあるけれども、この前の試合でさえ、100%で走っているか、戦っているかということなんです。

椛沢:今回の件でも強く感じたのは、これは日本全体に言えることなのかもしれないですが、新しいものこそが全てで、古いものは捨てて変わっていくことが美しいというような考えが強くある気がします。それはどんな分野でもそうで、日本では長く続いてきた良いものが、寸断されて続かずに、新しくなってしまう。それではダメで、続いてきた良いものを継続させながら、新しい良いものを取り入れていくという考えから進まないと文化を構築するのは難しいと私は思っています。浦和レッズの文化においても、それは同じことが言えると思います。レッズサポーターの文化の創始者でもある吉沢さんから今のサポーターにメッセージを送るとしたら、どんな言葉でしょうか。

吉沢:文化の捉え方はそうだね。欧州では街並み一つを見ても昔のものが残されながら新しくなっている部分があるけれども、日本の街はすべて新しくなってしまっている。サポーターに言いたいのは、今のあなたみたいな人達はもっとたくさんいるということ。オレの考えなんだけど聞いてもらえる? こういう話。3年前からずっとスタジアムに来ていると言っている人がいるんだけど、そう言ってるその向こうには20年間スタジアムに通っている人がいる。そういう時代になった。今のスタジアムには20年前に自分達が夢を見ていた美しい光景がある。(苦しい時代に頑張った)オレたちがいるから、今のお前たちがいるんだという思いもあるので、レッズのことをよく知りたい新しいファンの人は、昔のユニフォームだなと思ったら、着ている人にそれを聞いてみても良いと思う。それを聞かなくても、そのユニフォームを見るだけでも浦和レッズの歴史を感じられるわけです。応援の中心のところの住人だった人から、そんな彼らを見守ってきた人もいる。そこにこそ浦和レッズの核があって、どちらの人たちもいるから浦和レッズは成り立っているんです。どちらの人たちも『We are Diamonds』の詩にある通り、「いつも君のすぐ側に立っているし、君のために歌っている」。そういうことを新しいレッズ者の人、つまりファンやサポーター、移籍してきた選手、ずっと在籍しているけれどなかなかそれが分からない選手たちが分かれば、浦和レッズというチームにもっと深みが出てくると思う

椛沢:『We are Diamonds』の意味というものを再認識する良い機会になったと思います。
こういうことを考えることで、レッズが創り上げてきた熱狂を継続させて、人を呼び戻す力にもなるんじゃないかと思います。我々は日本代表のスタジアムのような雰囲気の熱狂を創りたいわけじゃないですから。

吉沢:サポーターは『We are Diamonds』を暑い日も寒い日も風の日も雨の日もずっと歌い続けてきた。歌えない時が何ヶ月も続くときもあった。そんなことを新しく入ってきた人は知るべきだし、長くいた人は伝えるべきだと思う。サポーターのことだから、どのメディアも触れてこなかったのは事実。そもそもオレが「歌おう」っていう言い出しっぺなんだから、これを言わなかったことも罪なのかもしれない。だから、オレは今のことは知らないけれども、当時はこのような思いがあったことを今回は伝えたいと思ったんですよ。今は記者席という場所の住人なんだけど、『We are Diamonds』のシャワーを浴びたくって記者室を飛び出して、スタジアムの溝の下からこぼれてくる『We are Diamonds』 のしずくを、口を開けて聞いたり、もっとシャワーを浴びたいから、階段を上がってピッチに近い所で聞いたりとか、みんなのことをよく見たりする。スカーフを一人ひとりがスタジアム中で掲げている姿を見ると感慨が深いんですよ。Jリーグが始まった頃、いつかこの場面が来るだろうと思っていたことが、いま現実に広がっているわけです。だから選手たちは歌っても構わないけども、変なイベントは止めて欲しい。結果的にそれで喜ぶ人がいるかもしれないけども、それをしたことに対して嫌悪感を抱く人も出てきてしまうのが事実。それが残念。彼、あっ、槙野選手ね。彼は大きな期待を受けてきているから、槙野というキャラクターで許されると思っているかもしれないけども、それには若すぎる、彼のキャラクターを作るのはこれからだから。浦和レッズにおける結果というものは、チーム成績だけじゃない。人が入ってなんぼ。だから、選手はまず選手バスでテレビゲームなんかしてちゃいけないわけ。スタジアムに向かう沿道でチームバスを待っているファンに手を触れって言いたいね。ワシントンやロビー、(小野)伸二といった偉大な先人たちがそうしていたようにね。そんな小さいことがとても大切なんだよね。

photo by (C) Kazuyoshi Shimizu

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