浦和フットボール通信

MENU

河合貴子のレッズ魂ここにあり!「ブーイングを歓声へと」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

FC東京戦で死に物狂いで勝利を目指さなければ、天皇杯敗退の代償が泡と消える

「勝利」と言う結果が、喉から手が出るほど欲しかった。それも、ただ勝つだけでなく内容も相手を圧倒する「勝利」が欲しかった。

夏の暑さとJリーグ戦の日程を考慮して、ターンオーバーして臨んだ天皇杯3回戦。相手は、J2で9勝4分け14敗と18位のザスパクサツ群馬であった。

ターンオーバーしたメンバーで、圧倒した内容で勝利することが出来れば、チームの底上げの証となる。ほぼ固定しているリーグ戦のスタメンにポジション争いが白熱すると思っていた。リーグ戦の後半に向けて、カードの累積や怪我などによる欠場が出ても同じクオリティーで闘える選手層の厚さの証明にもなると思っていた。

試合前日にミシャ監督は「昨年、山形に負けて天皇杯を去った経緯がある。なんとしても勝ち上がる。トレーニングでやって来たことを出してくれると私は信じている。山形の敗戦から成長している。前進している姿を見せられると思う」と話し、ターンオーバーしたメンバーに信頼をおいてピッチに送り出した。

当然、リーグ戦で試合出場のチャンスを掴めない選手やスタメンを虎視眈々と狙っている選手たちは、気合が入った。李忠成選手は「リーグ戦のスタメンに食い込みたいですし、良いアピールが出来れば勝利はついて来る。雑草魂だ。結果が欲しい」と意気込んでいた。矢島慎也選手だって、濱田水輝選手だって、群馬戦のピッチで闘った選手たちは、全員が同じ気持ちであった。

しかし、結果は1-2の逆転負けであった。

リーグ戦の広島と同じように群馬は、5バックにしてしっかりとブロックを作って守備を固め、浦和の楔となる縦パスを狙っていた。浦和は焦らずにサイドに揺さぶりをかけながら攻撃を仕掛けた。李選手がPKを決めて先制しても攻撃の手を緩めずに2点目を獲りに行った。浦和が放ったシュートは、実に群馬の2倍以上の18本であった。決定的なチャンスは何度もあった。度肝を抜くマルシオ・リシャルデス選手のミドルシュートだってあったし、試合終了間際の那須大亮選手の折り返しを阪野豊史選手のヘッディングシュートだって・・・。

だが、群馬は試合巧者であった。前半は1点リードされても耐え、後半に浦和が疲れて足が止まるのを我慢強く待っていた。そして、勝負所のタイミングを見て、足の速く機動力がある青木孝太選手と身体能力も高くテクニックを持っているダニエル・ロビーニョ選手を59分に投入してきたのだ。浦和にとっては、嫌な時間帯で厄介な2選手がピッチに入って来た。

山田直輝選手が試合後に「あの2人が(青木選手とロビーニョ選手)ベンチにいるのが分かっていたから、出て来る前に何としてでも2点目を決めたかった」と悔しがるほど相手の試合運びも分かっていたのだ。全ては、追加点が獲れずにいた、攻め疲れであった。ゲームキャプテンを務めた坪井慶介選手は「結果を出すことが全てであった。こういうメンバーで結果を出せなかった」と唇を一文字にして悔しさを噛みしめていた。

試合終了のホイッスルと共に、選手たちに浴びせられたブーイング。「もっと出来る選手だろ!?」「何しているんだ!情けない!」そんな罵声も聞こえて来た。それはターンオーバーして試合に出場したメンバーに期待していたからである。誰が好きこのんで、愛するクラブの愛する選手たちにブーイングをするものか?!ブーイングをする方も悔しくて堪らず心が痛いのだ。

街灯に照らされて、鳴く蝉が虚しさを逆なでする。寝苦しい熱帯夜に拍車をかけるような天皇杯敗退となった。「これで良かった」などと思う者は、浦和の名の下では1人もいない。ピッチで闘った選手たちは、己の不甲斐なさを身に沁みながらもっと眠れぬ夜を過ごしただろう。手に入れることが出来なかった結果を悔やむ。そして「このままでは終われない」と奮起するはずだ。ブーイングを歓声へと変える日を目指して・・・。

 

Q.膝に血液が溜まり、腫れてしまう場合を教えて下さい

 

A.血液が溜まってしまうのは、関節の中の半月板が切れてしまい関節の袋から出血がある場合と、軟骨が傷んで出血することがあります。あとは、怪我で前十字靱帯損傷などです。膝を捻ったあとに腫れていると、それは水が溜まっているのではなく、多くは血液が溜まって腫れている場合です。怪我をして、水が溜まっている場合と血液が溜まっている場合では、大きな違いがあります。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科クリニック 整形外科・スポーツ整形・リュウマチ科・リハビリテーション
http://www.kawakubo-clinic.jp/

パートナーサイト

ページ先頭へ