浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「約束~山田直輝選手」

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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レッズを優勝させる選手になるために。

浦和の街の中心部にある寿屋さんの駐車場で、地元のサッカー少年団や子供たちを集めてフットボールイベントが開催されたことがあった。

今から何年も前の話である。レッズの選手たちが出席して、クイズや質問コーナーなどで地元の少年たちと親睦を温めた。

もちろん、イベントの中には「誰が一番長くリフティングが出来るのか?!」というリフティング大会もあった。憧れのプロ選手たちを前に、少年たちは持参したサッカーボールで少し緊張しながらも、真剣にリフティング大会に挑戦していた。

リフティングが苦手で直ぐにボールを落としてしまう少年もいれば、隣の少年とぶつかって落としてしまう少年もいる中、ひときわ輝きを放っていた少年がいた。

重心がぶれず、柔らかいボールタッチで、サッカーボールにまるでゴム紐が付いているかのようにリズミカルにリフティングをしていた。ひとり、またひとりと脱落して行く中、集中力を切らさずに安定したリフティングをしているのだ。

その少年は、同じサッカー少年団の友達に「こいつ、朝までリフティングしてろって言ったら、ずっとしてるよ!凄いんだから!」と一目置かれている存在であった。

思わずその少年に「こんなにボールタッチが柔らかく、リフティング上手なら凄いサッカー選手になれると思う」と声を掛けた。すると少年は、目をキラキラ輝かせながら「もちろん、大きくなったらサッカー選手になりたい」と自分の将来の夢を話してくれたのだ。

レッズは「Jリーグのお荷物」と揶揄されるぐらい弱かったので「サッカー選手になるのだったら、レッズに入ってレッズを強くして優勝させてよ」と言うと「僕、絶対にレッズに入って、レッズを優勝させる選手になる。約束するよ!」とレッズの選手たちと大観衆を前に、堂々と臆することなく少年は誓ったのだ。

この少年が、大人になった時に夢を叶えてくれたら・・・。叶わぬ夢であってもサッカーを愛し、浦和を愛してくれていたら良いなぁと純粋な少年の心に触れて思っていた。少年は、本当に眩いぐらい輝いていたのだ。

「絶対にレッズに入って、レッズを優勝させる選手になる。約束するよ!」と言ってくれた少年が、その後どうなったか・・・。ナビスコカップ、天皇杯、Jリーグ優勝、ACL優勝と浦和は栄光を手に入れた。今や「Jリーグのお荷物」などと揶揄されることもなくなった。年月も流れ、あの少年の存在すら記憶の彼方に葬り去られていた。レッズだけを見つめ、浦和に通う日常が続いていた。

そんなある日のことである。プロ2年目になった山田直輝選手が「僕、たか姉にプロ選手になる前にインタビューされたことがあるんだ。覚えて無いと思うけど・・・」と少し照れ臭そうに話しかけて来た。

「えっ?!いつ?」と聞き返すと「ずいぶん前なんだけど、僕の小学生のころ。寿屋の駐車場でイベントがあったの覚えてる?」と言い出したのだ。

そして「僕、約束守ったよ」と山田選手は無邪気に笑ったのだ。

山田選手のその一言で、パチンとスイッチ入り、葬り去られていた記憶が鮮明に蘇った。あの少年が、年月を経て夢を叶えて、再び私の前に現れた。

正直、嬉しさと驚きで頭の中がパニックになり、それを誤魔化すように「約束は2つ。1つはレッズの選手になる。2つ目は、レッズを優勝させる選手になる。2つ目の約束がまだなんだけど・・・」と言うと、山田選手は「レッズを優勝させる選手になる。約束するよ!」と、あの少年だったころと同じように目を輝かせて誓ってくれた。

しかし、山田選手のプロ生活は、順風満帆とは行かなかった。怪我に泣き、苦しみ、復帰しても本来のプレーが取り戻せずにいた。「今年は、フルでシーズン出来る。山さんも引退して、自分も背番号6番をつけて覚悟を持って受け継いだ。だけど、上手くピッチを駆け回ることが出来なかった」と山田選手は今シーズンを振り返って悔しそうに話した。

そして、山田選手が出した結論は、2015シーズンに湘南ベルマーレへ期限付き移籍であった。相当、悩んだ挙句の結論だったと思う。「この先、どこでやろうとも浦和でプレーすることが、一番の幸せ。ずっと浦和でプレーをすることを胸に、小学校のころから、いや、物心が付いたころから、このチームしかなかった。ここで、試合に出られることが一番の幸せだ」と山田選手は言っていた。

それは、少年のころと変わらぬ思いであった。そして、山田選手は「リーグタイトルを獲ることが、夢なんで、それを叶えるためにやって行かないといけない」と身を引き締めるように言ったのだ。

湘南に移籍したからと言って、試合に出場出来る確証は無い。だが、浦和で求められるプレースタイルよりも湘南で求められるプレースタイルの方が、山田選手に合っているのかもしれない。環境を変えて、新たなチャレンジをし、試合出場を果たしてスキルアップを目指す。それが、夢を叶えるために、山田選手がやって行かないといけないことなのだ。

湘南への移籍は、「レッズを優勝させる選手になる」ために必要なことなのだと思えた。来シーズン、湘南の山田選手が、どんなプレーでピッチを駆け回るのか楽しみである。湘南で、思いっきり羽ばたけ!輝け!そしてサッカーを愛し、浦和を愛する山田選手が、いつの日か2つ目の約束を果たしてくれることを、信じて待っている。何年でも、ずっと待っている。

少年の夢は、色褪せることは決してない。どんなに苦しくても、上手く行かないことが遭っても少年の夢は、幾年過ぎても生きている。「僕、絶対にレッズに入って、レッズを優勝させる選手になる。約束するよ!」

あの日、約束したから・・・。

Q.脱臼をし易いX脚を治す手術があるのですか?

A.X脚を治すのではなく、お皿の向きをかえる手術を行います。X脚により、お皿が外側に向いているので、お皿の向きを内側に付け治す手術があります。また、外側に脱臼しないように内側からお皿の骨を外側に行かないように靱帯を作り直す手術があります。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

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