浦和フットボール通信

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インタビュールーム – vol.1 岡野雅行 Vゴールへの疾走 (1)

ワールドカップ2010記念 特別インタビュー
ジョホールバル、そして駒場…
岡野雅行 Vゴールへの疾走 (1)
豊田充穂(コピーライター)

~ いまいましいCMタイムの中断から現地ラーキン・スタジアムの
中継映像が復活したとき、カメラは緊張にこわばりきった岡野雅行の
顔を大写しでとらえていた。
そして次の瞬間……走っている。もう走っている。
延長戦キックオフ前というのに、解き放たれた野人が
無人のワールドカップ最終予選の舞台を疾走している。
「ようやく気がついたのか、日本ベンチは」
「もとからここは岡野に決まってんだろーがぁ」
「フツーなキャラなんかじゃ決められないんだよ、ここは!」
今宵のジョホールバルにも参戦しているに違いない、
レッズサポーターたちの快哉を鮮明に思い浮かべることができる、
そんな興奮の一瞬だった。 ~
≪ 王国の観戦ノート「11月16日の記憶」より ≫

~ スタンドが硬直している。声が出ない。聞えてくるのは
客席の十分の一にも満たないはずの鳥栖サポーターのコールだけだ。
そのとき、エキストラタイムに備えて組まれたレッズ・イレブンの
円陣の中から、一人の男が走り出た。背番号7、岡野雅行だった。
一直線にバックスタンドに向かって疾走した岡野は、狂喜する
サポーターがひしめく客席に向かって血が沸き立つような
ガッツポーズを固めて見せた。
「浦和のプライドを思い出せ!」
たちまち息を吹き返したような大喚声に包まれた駒場のピッチ上で、
私は確かに岡野の心の叫びを聞いた気がした。 ~ 
≪ マガジンハウス刊 『浦和レッズJ2戦記 生還』より ≫

私を含めた多くのレッズサポーターにとって岡野雅行が特別な存在であるのは、クラブの苦闘時代をともに歩んだ感慨からばかりではない。その快足と、快活なキャラと、そして史上にも稀な“フットボールの瞬間”を2度までも共有させてくれた理由による。ともにVゴール勝ちに辿り着くエキストラタイムへの助走。いまもURAWAのサッカー好きたちに語り継がれるシーンの主役は、このワールドカップイヤーにも彼だけの道を走り続けていた。我らがホームURAWAから遠く離れた鳥取の地で、あの時と同じように……。

 

■URAWAの期待、そして日の丸の重さ…。それがワールドカップへの道。

豊田:また、岡野さんのVゴール場面が見られるワールドカップイヤーになりました(笑)。おそらく未来永劫、日本でいちばんリプレーされるサッカーの得点シーンでしょう。

岡野:本当に人生を変えたゴールですけど、もう13年も経っちゃうんですね。

豊田:日本のワールドカップ初出場が賭かっていました。だからこの試合は、世のサッカーファンには「ドーハの悲劇」(93年)に対する「ジョホールバルの歓喜」という意味合いが強い。でも私たちURAWAにとっては、あなたのゴールはさまざまな価値を持っていました。

岡野:それは感じていた(笑)。あの予選ではレッズからは(日本代表は)僕ひとりでしたし、レッズサポーターの皆なの思いも背負ってジョホールバルに向かった思いはあります。

豊田:当時の私たちが手にしていた勲章といったら、95シーズンに福田正博選手が獲った得点王のタイトルだけ。ギド(ブッフバルト)やバイン(ウーベ・バイン)は所属していても、サポーターが誇るべき財産は無きに等しい情況だった。それが日本のW杯初出場を決める主役になったのが我らが岡野(笑)。ホーム浦和にとってワールドカップの記憶といえば、やはりあのVゴールにとどめを刺すしかないんです。

 

日本サッカーが初の本大会出場を決めたワールドカップ98年大会のアジア地区最終予選は、13年を経た現在も色あせることなくフットボールファンの脳裏に焼きつく熱戦の連続。中でも日の丸イレブンが出場決定を賭けてイラン代表と争った第3代表決定戦は史上最高の激戦として語り継がれる名勝負で「ジョホールバルの歓喜」と形容されている。延長にまでもつれこんだ激闘を制し、日の丸イレブンをフランスの本大会に導いたのは浦和レッズの“野人”岡野雅行の延長Ⅴゴールだった。

(c)K.SHIMIZU

岡野:僕はレッズのサポーターの皆さんに鍛えられてあそこまで行けたと思っている。だから少しは恩返しができたというか、決めれて本当に良かったといまでも思いますね。

豊田:私たちにも忘れられないストレスがありました。ライバル韓国に先を越され、あれほど硬直したゲームしかできない状態なのに、なぜ岡野を出さないのか……。代表ベンチは野人の使い方を知らないし、使う勇気もない。使う勇気を持たなくちゃいけない情況に来ていることも解っていない。そう思いましたね。予選終盤のカザフスタン戦だったかな、カズ(三浦知良)と呂比須(ワグナー)の2トップが累積で出場停止になってもまだ岡野さんの出場がなかった時はさすがに切れた。URAWAでは「代表から岡野を取り戻せ」の声も上がっていました(笑)。

岡野:僕も同じですよ。こんなことならレッズに戻って、リーグ戦を続けているチームやサポーターに貢献したい。クラブで自分の実績を積みたい。そう思いました。サッカーやれずにベンチにさえ入れないであの連戦に帯同して行くというのは本当に……。

豊田:代表の一員という意識は大切でも、それはキツいですよね。レッズサポーターの日本代表に対する不満というのも、当時から始まっていた伝統なのかな(笑)。

岡野:ちょうどそんな時に水内(猛)が来てくれてね。「クサっちゃいけない。代表に呼ばれてるだけでも凄いことじゃないか。俺だってどれほど選ばれたかったか」なんて言ってくれて……。それで吹っ切れた。うん、とにかく代表のために自分ができることをやってやろうって。沈みがちだったメンバーに大声かけて、盛り上げたりしてました。

豊田:そして、最後の最後に大変な出番が回ってくる。延長に突入するラーキン・スタジアムに岡野さんが登場する場面……。まずは走りましたよね、キックオフ前からいきなり(笑)。それまでのあなたとレッズサポーターを含めた日本のファン全員の鬱憤を晴らすかのようなシーンで、いまも忘れることができません。

岡野:走るしかなかったというか、いても立ってもいられない状態(笑)。思いっきり走ってみたら、霧が立ち込めてるみたいな凄い雰囲気のスタンドからワァ~っと喚声が来た。日の丸もたくさん揺れていたし、「行くぞっ」っていう気分がばっちり高まる瞬間でした。

豊田:ワールドカップ、またその本大会を目ざす予選という舞台はやはり特別なものでしたか?

岡野:試合前には控室に来た協会幹部の方たちから、「この一戦に日本サッカーの運命が賭かっている。結果次第ではJリーグも危うくなる」なんて言われちゃってね。オイオイ、全部オレたちの責任になるのかよって感じ(笑)。とにかくカズさん(三浦知良)だろうと井原さん(正巳)だろうと緊張で我を忘れてしまう。ワールドカップって、予選からそんな感じの舞台なんですよ。みんなで胃薬飲んだりしている毎日でしたから(笑)。そんな中で、僕は出場時間ゼロのままあの延長戦のピッチに放り込まれた。ぶっつけ本番もいいところで、ビビるなんてレベルじゃないです。すべてがスローモーションみたいな記憶で、身体全体がふわふわしてる印象だった。

豊田:で、延長戦が始まるなり中田英寿選手からのパスが次々と……。

岡野:ヒデからばかりじゃなく、なぜか僕のところばっか絶好機がくるんです(笑)。いったい幾つ外したろう。

豊田:でもあの場面のシュート、簡単なはずはないですよね。

(c)K.SHIMIZU

岡野:どれも一瞬なんです。ビデオを見直せば、足を振るまでほんの一瞬のシュートチャンス。なのに実感としてはボールが来て足に当たるまで「どんだけ時間かかるんだ!」って思うくらいのスローモーションなんですよ。で、その間にいろんなものが頭の中を駆けめぐる。日本中の期待、家族の期待、そしてレッズのみんなやサポーターの期待……。

豊田:それだけ“重い”シュートだった……。

岡野:これがW杯の壁というか重圧なんですかね。外すたんびにヒデやみんなが「気にしなくたっていいんだよ。1本決めりゃヒーローじゃん」なんて言う。もう僕が決めなきゃ終わらないみたいな言い方(笑)。事実、そうなるんですけど。ただ決められずにグズグズしてる間に敵のクロスがアリ・ダエイにドンピシャで入って凄いシュートは飛んでくるし……「終わった」と思った、あの時は。これで負けたらマジで俺は日本に帰れないと思いながらプレーしてました。

豊田:でも、最後には決めるところも野人・岡野。きっちり詰めていたし素晴らしいフィニッシュでした。

岡野:最後の最後にオイシイことこの上ない得点が決められた。ゴールした時はGKも枠もしっかり見えてて、落ち着いてました。でもスライディングシュートしたあのシーンも、やっぱりスローモーションみたいな記憶ですね。ただ、その後がまったく真っ白(笑)。記憶が飛んでしまった感じ。ピッチ上で大騒ぎになって知り合いのマスコミやファンの方々にも凄く祝福されたはずなんだけど。

豊田:それはやはり期待の重圧から開放された安堵感でしょうか。

岡野:でもその後ホテルに帰るバスの中では、喜ぶ気力も無くしちゃった皆が一言も喋らなかったことをはっきり憶えてるんですよ。あらゆる面で精根つき果てた状態だったのかも知れない。イレブンで喜びを分かち合えたのはホテルに帰って部屋に戻った後。平野(孝 当時名古屋)が「実は俺たち、スゴイことやったんですよね?」なんて言って、ようやく皆で我に返って明るく騒ぐことができました。

 

■原点はURAWAでのデビュー。レッズサポーターの大コールを受けた、あの瞬間。

豊田:同じころ日本でも大変な騒ぎが起こっていました(笑)。

岡野:特にURAWAでは、ですよね(笑)。浦和駅前の凱旋イベントで市民の皆さんに迎えられた時は本当にビックリしました。エレベータで上にあがるまで、何をするのかまったく教えられていなかったんですよ、俺……。

豊田:夜の西口ロータリーに10,000人が詰めかけ、伊勢丹ビルの階上から手を振る岡野さんを待ちかまえていました。ちなみに同時期に中田選手(当時湘南ベルマーレ)らを出迎えた平塚駅前のファンは数百人レベルだったそうです(笑)。

岡野:ライトに照らされて逆光なので、下にどのくらいの人がいるのかまるで分からなかったけど……さすがURAWA。サッカーに対する熱が他所とはまるで違うということですよね?

豊田:歴史をひも解きますと(笑)その遥か60年前の1937年8月には、初の全国制覇を果たした埼玉師範蹴球部が浦和駅に凱旋したした際に1,000人近くの市民が出迎えて母校までの行進を行なった、という記録が残っている。

岡野:へぇー、60年も前にですか。凄げーな、それ……。

豊田:さらに付け加えますとあれ以来、JR浦和駅前は集会の規模規制が強化されたそうです。いまは選挙カー演説にも制限があるとか。

岡野:アハハ、それは申し訳ない! でも僕にとっては嬉しい体験。あんなにお世話になったレッズサポーターの皆さんに、少しは恩返しができたのですから。

豊田:恩返しどころか、日本サッカー史の重要ポイントにまたしても「浦和」の文字も刻んでくれました(笑)。

岡野:いまにして思えばあの予選はドーハの後だったし、日の丸をつける重さみたいなものが強くあった時代ということもあると思いますね。いまの日本は本大会に出て当たり前という時代になりましたけど……。闘っているな、熱いな、という雰囲気を選手が客席に伝えていかなくちゃサポーターも盛り上がらないし、サッカーも面白くも強くもならないと思うんです。そういうことを、僕はまさにレッズサポーターから学んできたわけですけど。

豊田:エピソードを伺っていて思うのですが、今回の日本代表もふくめて最近のプレーヤーにはあなたのような「サポーターに応える気概」を示すキャラクターが少なくなった気がします。

岡野:うーん、そうですね。エリートぞろいで皆が先端のトレーニングで育ってきた感じ。似たようなキャラが多い気は確かにします。もっと変なヤツとか(笑)、いろいろいても良いですよね。そのほうが面白い!

豊田:その変なヤツが、最後に大仕事をしてチームを救うことだってある(笑)。それにしても、天性なのでしょうか。岡野さんはいつもそういうスポットライトを浴びる“星”の下に生まれたイメージがあります。

岡野:星っていうか、凄いものを請け負わされる運命みたいなヤツですよね。ずうっとずうっと待たされて、「ええー、ここかよっ」ていう場面を任されてしまう(笑)。

豊田:そういえばもうひとつありましたよね。レッズの歴史を振り返ると、凄い場面でまたしても岡野さんの登場……。

岡野:ありました、ありました。ここだけはやめてくれよっていうような場面を任されたことが(笑)。
(以下次回、岡野雅行 Vゴールへの疾走(2)に続く)

 

岡野雅行(おかの・まさゆき)プロフィール
1972年、横浜生まれ。94年に浦和レッズ入団以来、J随一の快足と快活なキャラで「野人」の愛称で親しまれたレッズ台頭期を代表する人気プレーヤー。ヴィッセル神戸、TSWペガサス(香港)でも衰えぬスピードで観衆を魅了した。国際Aマッチ、27試合出場3ゴール。98年W杯プフランス大会出場。現在はガイナーレ鳥取(JFL)のエースFWとして、来季のJ2入りを目ざして活躍を続けている。

 

【ワールドカップ・フランス大会アジア地区最終予選 9戦全記録】

97.9.7 ○日本 6 vs 3 ウズベキスタン(東京国立)
97.9.19 △日本 0 vs 0 UAE(アブダビ)
97.9.28 ●日本 1 vs 2 韓国(東京国立)
97.10.4 △日本 1 vs 1 カザフスタン(アルマトイ)
97.10.11 △日本 1 vs 1 ウズベキスタン(タシケント)
97.10.26 △日本 1 vs 1 UAE(東京国立)
97.11.1 ○日本 2 vs 0 韓国(ソウル蚕室)
97.11.8 ○日本 5 vs 1 カザフスタン(東京国立)
97.11.16 ○日本 3 vs 2 イラン(ジョホールバル)
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