浦和フットボール通信

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【祝リオ五輪出場決定】矢島慎也選手インタビューを再掲載(2016/2/5)

先日、U-23日本代表がアジア大会を制覇して、リオデジャネイロ五輪出場を決めたことは記憶に新しい。優勝を決めた韓国戦では、2点のビハインドから矢島慎也選手が、浅野選手への絶妙なスルーパスを通して、追撃弾をアシスト。その1分後には自らヘディングシュートを決めて同点と、一気に流れを戻す大活躍をみせた。浦和出身プレイヤーの活躍に浦和の街も大いに盛り上がった。浦和の地域情報を配信する「浦和経済新聞」にも矢島選手が浦和から育った選手であることを知らせる原稿を書いてほしいというリクエストを受けて、寄稿をさせて頂いた。

日本代表が逆転で韓国代表を下してアジア大会を優勝してリオデジャネイロオリンピックへの出場が決定した。この決勝戦で1ゴール1アシストと大活躍した矢島選手は何を隠そう浦和出身のプレーヤー。浦和はもともとサッカーの街として歴史を紡いできた街で、現在でも各小学校を拠点とした36のサッカースポーツ少年団が活動する全国でも希少な存在となっている。その浦和の中で最も伝統のある北浦和サッカー少年団で育ったのが矢島慎也選手だ。
浦和経済新聞

矢島選手といえば、弊誌の2012年11月の特集で一度登場をしてもらったことがある。4年も前になる記事ではあるが、彼の想い、背景となっている北浦和少年団時代の思い出を語ってもらったインタビューとなっているので、今一度再掲をしたいと思う。

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浦和の「育成力」を自分のプレーで証明したい。矢島慎也独占インタビュー

ミシャ政権のもとに上位争いに返り咲いたものの、J王座、ACL出場権の奪還はならなかった浦和レッズ。悔しさが残る状況下で、地元出身の18歳のアタッカーが見せた活躍は未来への一筋の希望だった。勝負どころで輝きを見せる矢島慎也の「ワンプレー」には、周到に磨かれ、育まれてきたテクニシャンのこだわりが見える。北浦和少年団の先輩・山田直輝ら、レッズユースの仲間たちとふたたびピッチに立つゲームを心待ちにしているという新鋭MFに聞いた。浦和フットボール通信編集部

気持ちで勝つより、技術へのこだわりで勝負する

― 9月29日、アウェー柏戦(9月29日 27節 国立)のロスタイム。交代出場で登場した矢島はGK加藤からのロングスローを気迫のヘッドで繋ぎ、ポポの決勝ゴールを演出した。

UF:低迷するガンバ大阪に大敗した後の重要な試合。矢島選手のプレーにも「らしくない」ほどの気合いを感じましたが……。

矢島:(笑いながら)らしくないし、あまり好きじゃないプレーだったかも知れない。でも皆がどうしても勝ちたいという気合いが入ったゲームの交代出場だったので、その影響はじゅうぶんに感じていたと思います。とにかく大事な試合で使ってもらえたし、結果的に得点にからむ仕事もできたので良かったです。

UF:ピッチ間近で見ていてもテレビのアップ画像を見ていても、あまり気持ちを前面に出すタイプではないですね。いつも淡々とクールにプレーしている印象があります。

矢島:はい。そういうプレースタイルですね、僕は。

UF:プロになって変わって来た面もありますか?

矢島:全面に出す気持ちの部分がないわけではないんです。でも自分的には「気持ちよりも技術があれば上回れる」というこだわりの部分が大きい。そこが(自分のプレーの中に)出ているのかも知れません。今季からのプロ契約ですが、ずいぶんと慣れてきて自分のプレーが出せるようになってきていると思います。

UF:具体的には?

矢島:やはりプロに入るとスピードが全然違う。ゲーム中の局面ごとのプレッシャーの速さをいつも感じています。そこへの対応が一番変わったと思います。

UF:技術があっても上まわれない面があった……。

矢島:はい。やはり身体の強さも大きさも違うし、判断のスピードもないと(J1のレベルの中では)やって行けないと思う。

UF:ミシャ監督のサッカーはどんな印象ですか。

矢島:攻撃の時に3-6-1から変則的に変わるシステムですね。攻めの時の形は少し違うけど、ユースの時のやり方に近い。レベルは違っても動き方とかも理解しやすいです。

UF:指示自体も分かりやすい?

矢島:基本的にすごく話しやすい監督ですし、(コミュニケーションの)問題は全くないです。でもサッカーの内容的には、連携とか繋ぎの部分とかまですごく細かいところまでの目標があって、それを要求される。(現状のレッズでは)それをまだ皆が実戦で表現出来ているわけじゃないですね。監督の理想を追求しながらも、成績でも上位を目指すという段階と思います。

UF:競ったゲームで投入される機会も多いですね。矢島選手はその中でどう輝きたいと考えているのでしょう?

矢島:自分の役割で言えばシャドーのポジションなので、相手のボランチとディフェンスの間のギャップのスペースでボールを受ける場面が多い。そこから仕掛けたり、ボールを散らしたりするプレーを意識的に配分してやってます。(終盤戦になって)ブロックを固めて守りから入ってくる相手も増えてきている。そこを崩せないと(J1の上位争いは)勝てないし、上位も望めませんから……。

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直輝くんは少年団のエース。身近で遠い目標だった

― 矢島選手を輩出した北浦和サッカー少年団・吉野弘一監督は「必要以上に型にはめず、自由に」を信条とした指導で知られる。状況に応じた自己判断能力をアップさせるトレーニングだったが、少年団時代の矢島は同団の先輩・山田直輝とは異質のプレースタイルを早い段階で確立していたと言われている。

UF:少年団時代はどんなトレーニングでしたか。矢島選手のプレーヤーとしてのベースとなっているのでしょうか?

矢島:北少ではとにかくボールに触れている時間が長かったです。家の中でも触っていたし、練習の往復でもリフティングやドリブルをしたりしていました。ドリブルもスピードで抜くことは吉野先生から禁止されてましたね。急がなくて良い。常に相手の逆を獲るようにと言われてやっていました。吉野先生の指導はボール扱いを大事にする指導と思います。ボールを離し、蹴って走るのはダメなんです。いかにみんなでボールを保持してキープし続けるか。それを考え、プレーすることを教えられていました。

UF:先輩の山田直輝君はラグビーボールのリフティングという特別メニューを課せられ、自宅の駐車場でも練習を続けていたそうですが?

矢島:僕にはそれはありませんでした(笑)。テニスボールはやりましたね、僕は。こんな小さいので出来れば上手くなるのでは?と練習したことを覚えています。今もリフティングはけっこう得意です。もともと自分はスピードがあるプレーヤーじゃないから、北浦和少年団ではもっぱらテクニック重視でした。でも、だからこそプロになれたと思っています。長所はボールコントロールやテクニックと思うので、さらにそれをスピードでカバーが出来るようになりたい。そうすれば、もっと上に行けると思う。

UF:吉野監督は先日の本誌インタビューや浦和タウンミーティングなどのイベントなどで「直輝にしろヤジ(矢島のこと)にしろ、生まれ育った北浦和という地域や環境に才能を育まれた面が大きいと思う」とコメントされていましたが……。

矢島:北少は(レッズの)ジュニアユースやユースに行く先輩が毎年一人はいたので、そういう意味でも入団して良かったと思います。常に目標があるし、知っている人とか家族とか、友だちのお父さんお母さんにもいつも囲まれてサッカーをやって来た感じです。

UF:直輝先輩とはどんな交流を?

矢島:(北浦和少年団に)入団した時にすでに直輝君は有名でした。上級生だった直輝君の代のチームは県大会の常連だったしFC浦和では全国制覇。いつも近くにいたけれど、それはもう遠い存在でした。同じチームでプレーしたのは2試合くらいかなあ。一緒にやって、やっぱすごくうまいと感じたことを覚えてます。ずうっと目標の先輩でしたね。

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北浦和のサッカーは世界レベルと信じている

― 天皇杯4回戦のカマターレ讃岐戦で価値ある先制ゴールを決めた矢島は、11月3日から開幕した『AFC U-19Championship UAE 2012』に出場するU-19日本代表にも選出され、貴重な得点を決めるなどの活躍を見せた。

UF:世代別日本代表にも選出されました。日の丸を背負ってプレーをする意気込みを聞かせてください。

矢島:僕は日本代表にはずっと縁がなかったのですが、得点できたり南アフリカ遠征でもそこそこやれたりしたので……。今回も選ばれたこと自体は嬉しいけど、中東の厳しい環境で自分がどれだけできるかというと分からないなあ(笑顔で首を傾げる仕草)。でももちろんステップアップのチャンスだし、良い経験になることは間違いないので頑張りたいです。

UF:北浦和少年団の名物団長の吉川さんはいつも、「ウチの子たちは普段から遠征なれしているので大丈夫」と胸を張りますが(笑)自信はありますか?

矢島:南アフリカでも食事はなかなか一苦労で、ずうっと同じものばかり食べていたので(コンディションの維持が)大変でした。(海外ともなると)言葉の問題とかもあるから、想像もつかない厳しさがあるんだと思います。でも自分は北浦和で吉川さんや吉野さんに教わったサッカーは世界で通用すると思っています。それは直輝君が代表に選ばれて海外でも活躍し、証明してくれていることですから。

UF:矢島選手はチーム内で「いつも先頭に立ちたい」という直輝くんのタイプとは違いますよね。

矢島:直輝君はいつも先頭切ってガーッと行っちゃうタイプ(笑)。僕とはある意味、ま逆みたいに違うキャラと思います。

UF:トップチームでのデビューからプレーを見させてもらっているけど、矢島選手は落ち着いていますね。特にシュートレンジに入った時も確実にGKの股の下を狙っていたり……。自信を持っているというか、ゴールのイメージも自分の中で鮮明に描けているのでは?

矢島:そう見えますか(笑)最初はダメで、いつも焦ってしまっていたんです。でも、(そこを修正するという)課題も見えてきて……。シュートレンジでの落ち着きは練習試合の時からのテーマでした。堀(孝史)コーチや天野(賢一)コーチの指導のもとに取組んできました。ワンタッチのコントロールも大切ですが、基本的にはシュートチャンスで「意識を変える」ことが目標。(その難しさは)練習や試合ごとに克服できて来ていると思います。

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ユースの仲間たちと一緒にトップのピッチに立ちたい

― 矢島とレッズとのなれそめはやはり駒場スタジアム。サポーターの応援が聞こえる場所に自宅があり、矢島少年は試合日のたびにスタジアム音響を体感する日々を過ごしたという。

UF:初めて浦和レッズを観たときの印象を聞かせてください。

矢島:友だちと彼のお母さんに連れて行ってもらったのが最初です。応援の凄さと迫力。スタジアムの雰囲気とサポーターの姿に圧倒されました。

UF:場所は駒場スタジアムですね。

矢島:はい。あの応援の声と手拍子が耳に残り、それからは家にいてもテレビ実況を見ないで庭に出ていました。まずは駒場から聞こえてくる声援を聞いて……歓声が聞こえたその後で、得点になったのかどうか確かめたりして(笑)。

UF:マニアックです(笑)。

矢島:ですね。それから後は父に連れて行ってもらうようになりました。父もプレーヤーで観戦が好きでしたので。

UF:レッズとのプロ契約は喜ばれたのでしょうね。あの浦和のエンブレムを背負ってプレーすることについては、どのような感慨がありますか?

矢島:喜ぶには喜んでくれましたが、父は「まずはスタートラインに立てたな」といった感じでした。しかしテレビでしか観れなかった埼スタで、レッズの一員としてプレーをすることは自分自身、光栄です。サポーターの皆さんが敵地まで多数来てくれるのも、ずっとすごいなと思っていました。僕は浦和育ちだしレッズアカデミー出身なので、いまアカデミーで頑張っている後輩やスタッフにも良いプレーを見せたいです。

UF:それは矢島選手ばかりではなく、クラブの成長を示すためにとても重要なポイントと思います。

矢島:僕のようなユース出身者が、トップのゲームでも通用するところをファンやサポーターの皆さんに見て欲しい。実際に僕も直輝君、原口君、水輝君たちを目標にやって来ましたから。クラブの育成の環境向上のためにも頑張らなくてはと思います。

UF:最後に、これからのレッズを背負う立場からの矢島選手の意気込みを聞かせてください。

矢島:いまのレッズはみなの目ざす方向がブレておらず、監督を信頼していることが大きいです。やり抜く気持ちも強く持てると思うので。日本一のクラブを背負うプレッシャーはありますが、それも踏まえて選んだプロの道。自分たちの使命だと思っています。

UF:少年団、ユース時代からの地元のチームメイトがそろってJ1のピッチに立てば、埼玉スタジアムの空気もより盛り上がると思います。

矢島:ジェフとかヴェルディにも少年団時代の友だちがいて、いまも連絡をとりあう仲です。そういう子ども時代からのメンバーがクラブの中でそろって来ていることは嬉しい。来年もユース出身の阪野さん(豊史)も入ってくるので楽しみです。

UF:地元ファンはもちろんですが、選手も気合いが入るのでは?

矢島:直輝君とはスレ違いが多くて、まだヴェルディ戦でしか一緒にやったことがありません。でもあの感覚はよく憶えていますね。直輝君が縦横無尽に動いて、そのスペースに自分が入って行く。そんなプレーを、また埼玉スタジアムのピッチで観てもらいたいです。<2012年10月 浦和レッズ、クラブハウスにて>

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