浦和フットボール通信

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メルマガ創刊記念(2) マーク・ラッセル インタビュー

 ■ 始めに。
『浦和フットボールメルマガ』が創刊された。最先端を自任するメールマガジンにあって、注目されるコンテンツがフットボール母国のジャーナリスト、マーク・ラッセル氏の手による「欧州通信」である。
ホームタウンとサポーターの意向を置き去りに、ビッグクラブへの階段へ邁進するマンチェスター・ユナイテッドの現状を嘆く地元ファンの声。そして、その対極に位置する旧市民クラブ「FCユナイテッド・マンチェスター」を支える、かつてオールド・トラフォードのゴール裏を埋めていた“赤い悪魔”たちの葛藤……。2年前の本誌連載時にレッズサポーターの反響も呼ぶレポートを手がけた同氏に、連載再開の意気込みとURAWAへの思いを聞いた。
(浦和フットボール通信編集部)
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メルマガ創刊記念インタビュー
「欧州通信」 Mark Russell
マンチェスターの郷愁。浦和の愛。
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■初めて訪れたURAWAに感じた“懐かしさ”。
浦和フットボール通信(以下UF)
:マンチェスターの新興クラブ「FCユナイテッド・マンチェスター」の奮闘と、そのイレブンを支えるために立ち上がった市民たちの心情を綴ったあなたの連載“Red Rebels(赤い反逆者たち)”は、レッズサポーターの間でも話題を呼びました。

マーク・ラッセル:あなたたち編集スタッフからその話を聞いて、改めて喜びと驚きを感じました。本当に日本のフリークの情熱には敬服する。日本の名物の“オタク”という人種は、アキハバラ限定ではないことを知りました(笑)。

UF:今年のワールドカップ期間中に来日して、本誌・椛沢編集長とお会いになったそうですね。

ラッセル:私の日本でのパートナーであるコモリさんと、古い友人である豊田充穂さんの紹介で会うことができました。思ったよりずっと若いリーダーなのですね、彼は。

UF:しかも場所はURAWAであったとか……。

ラッセル:「力の紅」という魅力的なパブが会合場所だった。そこでイングランド人である私と妻が、3人ともURAWA在住の男たちに囲まれてサッカーの話題に熱中したわけです(笑)。日本には何度か来ているのだが、この場所にはフットボールの引力がある。今回もハコネとマウント・フジ、アカサカも訪問したが、私にとってはURAWAがいちばん楽しく、そして安らげる場所でした。

UF:やはりフットボールを感じますか?

ラッセル:編集長に会った時に店先でバーベキューができる「力」も案内してもらったし、ミスター・コモリの自宅に行く時には埼玉スタジアムも見ることができました。強いフットボールへのリレーションを感じた。懐かしさ、みたいなものと言っても良いでしょう。こういう街から浦和レッズや『浦和フットボール通信』、そしてあの3人のような男たちが生まれてくるのだと痛感しました。

UF:豊田さんとは古い知り合いなのに、実際に顔を合わせるのは初めてだったそうですね。

ラッセル:彼とは広告ビジネスでの付き合いがあり、電話やメールではずいぶん前から頻繁に連絡をとってきたのですが、実際に顔を会わせるのは初めてでした。ロンドンで何度か会うチャンスはあったのですが、彼はイングランドに来たときはサッカー観戦を最優先する。FAカップ戦でユナイテッドとシティが勝ち上がって対戦すると聞いて、私との会合をスッポかしたのだよ(笑)。

UF:ひどい話です(笑)。でも、それはさぞかし激しいゲームになったでしょう。

ラッセル:ユナイテッドはエリック(カントナ)の引退が近かったし、シティは当時プレミアから陥落していた。願ってもない顔合わせになったので、ロンドンでも「奇跡のダービー」とか言われてダフ屋が出る騒ぎになっていました。結果はユナイテッドの勝利でしたが、シティも凄い数のサポーターをオールド・トラフォードに送り込んでいた。彼のチケットを手配してあげたのも私なのだが、奪い返して自分で現地に駆けつけたい気分でした。

UF:あなたは40年来の本家“レッド・デビル(赤い悪魔)”。幾多の黄金時代を見届けてきたマンチェスターの証人ですものね。

ラッセル:私が生まれた直後にミュンヘンの悲劇があり、マンチェスターは悲嘆のどん底でした。やがて生き残りのボビー(チャールトン)やトリノから帰って来たデニス・ローを中心にしたユナイテッドがイングランド王者に返り咲いたのが子ども時代。ジョージ・ベストやブライアン・キッド、ノビー・スタイルズが売り出し、ボビーを先頭に欧州王座に突き進んでいた頃が、私とユナイテッドがもっとも血気盛んだった“デビル時代”ですね(笑)。

UF:伝説の名将、マット・バスビーの時代……ですか。

ラッセル:あの頃のマンチェスターの盛り上がり、そしてクラブとサポーターの結束は、恐らく二度と再現できないものでしょう。バスビーが演出し、私たちの声に応えるスターたちが活躍したあの時代を経験してしまったから、私はいまもこの仕事や生活から離れられないのだと思う。


(c)Alastair Adams

■ありったけのマンチェスターへの想いを書こう
UF
:現在の日本の「マンユー・サポーター」にはあまりに遠く、想像もおよばない時代です。

ラッセル:それはイングランドにおいても同じでしょう。超えられないサッカー観の世代間ギャップは、選手にもクラブにも地元サポーターである私たちにも存在します。ユナイテッドはその後に二部降格も経験し、サポーターは苦しい時代を経験してきました。しかも我々に限らず、リヴァプールもチェルシーも、イングランドの中心をなすスタジアムの雰囲気は継承されてきたはずでした。でも英国の市場開放経済、それにともなうプレミアリーグの変化、さらにはチャンピオンズリーグの出現などが激変の引き金になったと思います。

UF:そこに、2年前にあなたが本誌連載で解説したアメリカ資本によるユナイテッドの経営権制圧が起こります。

ラッセル:マルコム・グレイザー(アメリカ人投資家)の手に落ち、本拠地や地元サポーターを置き去りにして進められるユナイテッドのクラブ運営の方針と肥大化。この選択が「赤い悪魔」の名のもとにイレブンと結束し、劇的なフットボールを演じてきたオールドトラフォードのスタンドに深い影を落としました。マンチェスターに漂い始めた“ビジネス”の匂い。緊迫した闘いにはそぐわないこの雰囲気が、どれほど私たちの戦意を低下させたのか。あなたたちレッズサポーターなら理解してくれるでしょう。

UF:当時のあなたのレポートによれば、55000人レベルだったオールド・トラフォードが76300人の収容に拡大。デニス・ローやボビー・チャールトンが活躍した60年代には最高8.50ポンドだったシーズンチケット価格が、836ポンドにまでハネ上がった……と記されている。フットボール新参である日本では、資本参加が盛んだった当時のプレミアリーグを評して「スポーツビジネス上の成功例」として捉えていたジャーナリストもいたのですが……。

ラッセル:そのジャーナリストは自国にいながら浦和レッズのスタンドを知らないに違いない(笑)。フットボールを知る人であれば、このスポーツはビジネスのために存在するのか?という疑問が当然に沸くはずです。イギリス人にとってもイタリア人にとっても、ドイツ人にとっても、かつての欧州ではフットボールは「民衆のもの」でした。スタジアムは工業地帯や貧困層が住む街にも平等にあり、周囲の家々も貧しかった。ファンは自分の生まれた場所のクラブのプレーヤーかサポーターになるのがふつうで、イレブンも大半が豊かとはいえない家庭の出身。つまりサポーターと選手とクラブに同じ血が流れていた。だから、ホームの民衆とサポーター、クラブとイレブンの皆が結束を固める闘いが、いかに大きな熱狂と感動を呼び起こすものであるかを誰もが熟知していたのです。


(c)Mick Dean

UF:そんな地元のマンチェスターっ子の思いを乗せて誕生したクラブが、2005年設立のフットボールクラブ・ユナイテッド・マンチェスター、通称「FCユナイテッド」なのですね。

ラッセル:いまの若い世代や子どもたちのファンは、プレミアリーグ創設以前のフットボールはまったく知らないし、偉大なプレーヤーたちの記憶もない。同時にベストやデニス・ロー、チャールトンやカントナらが「私たちの街のどういう環境」から生まれてきたかも知りません。マンチェスターにおいて当時のチームが頻繁に引き合いに出されるのは、郷愁の思いばかりではないのです。当時の私たちのホームタウンの姿は、フットボールの母国に住む私たちの原風景。あの土壌がなければ、ネビル兄弟やベッカム、ギグス、スコールズらが顔をそろえるユナイテッドは出現しなかったと思うし、これからも現れないと思う。私たちは当時のマンチェスターの空気を呼び戻さなければなりません。その使命を象徴するクラブがFCユナイテッドなのです。

UF:マーク、ありがとう。連載がとても楽しみです。インタビュー最後に、あなたの本誌連載のくだりを載せてエールとします。

ラッセル:こちらこそありがとう。私もとても楽しみだ。
(2010年9月4日)

~ 明らかなのは、いまや我らは愛するUCユナイテッドのピッチ上の相手のみならず、マルコム・グレイザー率いる米国資本の手に落ちたユナイテッドの「現状」と闘っているという真実である。おそらく私のリポートは、古典的ともいえるフットボールのサポーター心理に根ざすものだろう。そしてそれは、プレミア支持者たちにさえ普遍的に受け容れられるものではないことも自覚している。だがこの半年間、『浦和フットボール通信』のスタッフと交信するうちに、私は自分なりの確信を得たのだ。日本サッカーの古都に住むフットボール支持者に向けてなら、FCユナイテッド・サポーターの動向は、伝える価値があるのかも知れないと。降格の惨状から立ち上がり、アジア王者としてあのミランに挑む立場に返り咲いたキャリアを築いたレッズ援軍になら、私の心情を説く意味があるのかも知れないと。~

『浦和フットボール通信』2008年5月(Vol.15)号掲載“Red Rebels”第1話より

マーク・ラッセル(Mark Russell) プロフィール
イングランド北西部・ボルトン生まれ。サポーターとして、またスポーツ関連情報をメディアに配信するリサーチャーとして30年以上にわたりマンチェスター・ユナイテッドを見守ってきたフリー・ジャーナリスト。イングランド、スコットランドなど英国サッカー変遷の研究を専門領域とし、リヴァプール、エバートン、ブラックバーンなどのクラブに関して長い調査歴を持つ。少年時代から熱狂的な“赤い悪魔(マンチェスターユナイテッド・サポーター)”であったが、米国人投資家のマルコム・グレイザーが経営権を握りアレックス・ファーガソン監督の専制政治が敷かれた90年代後半からの同クラブの一辺倒な拡大路線(ビッグクラブ化)に絶望。志を同じくするマンチェスター市民の熱望によって結成されたFCユナイテッド・マンチェスター(Football Club United Of Manchester)の支持者となり、その動向のレポートを海外のメディアに向けて発信する活動を行なっている。

★欧州通信「オールドトラフォードに背を向けて 2010 From Manchester : マーク・ラッセル」は
9月8日創刊『浦和フットボールメルマガ』にてお届けします。
詳細は→コチラ
 
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