<無料記事>清雲栄純ロングインタビュー「ダービーへの思い」が実現する、 クラブとホームタウンの変貌。(後編)
「浦和は特別な場所だから……」 初代GMなど13年間に渡って大宮アルディージャの中枢からサッカー界を見わたしてきた清雲氏にとって、レッズとホーム浦和の動向には格別の思いがあるという。J創設とドーハの悲劇という”大変革期”に指導者としてのスタートを切り、いまは法政大学で次代のスポーツ組織を担う人材を育成する同氏からの、浦和・大宮を擁するホームタウンへの提言をお届けする。(浦和フットボール通信編集部)
Interview&Text/Mitsuho Toyota
Photo/Yuichi Kabasawa
才能の育成と輩出に欠かせない「たくさんの目」。
UF:前回の本誌インタビュー(vol.27号)で清雲さんは「育成と普及がともなわないクラブは長続きしない。支持もされない」というお話もされました。
清雲:ダービー特集でしたよね。とにかく当時のレッズ戦はナクスタでのホームゲームというのにスタンドが真っ赤。「このダービーの様相を変えるにはどうすれば良い?」を佐々木則夫(元なでしこ監督)や佐久間悟(現甲府監督)と必死になって考えている時期でした。浦和を追いかけるには、普及・育成の成果から始めるしかない……出した答えがそれだった。旧大宮市内の一拠点からサッカースクールを発足しましたが、いまや10拠点以上。スクール生は2000人を超えるはずです。ジュニアチームの創設も地元からの発声が始まりでした。当時20チーム前後で構成されていた大宮エリアの少年団から「アルディージャの子と刺激し合ってレベルアップしたい」との要請があったことが発端です。
UF:浦和サイドからその経緯を聞いていると恐ろしくなります(苦笑)。しかし昨今のJとホームタウン間の情報を拾うと、子どもたちの将来性や進路の選択肢の問題に向き合うために行政レベルからも学校レベルからも、クラブとホームタウンの連携が模索されていることを実感します。
清雲:サッカー好きな10人の子どもがいたら才能は10個。小野や稲本のような即座の習得型の少年もいれば遠藤保仁のような大器晩成型もいます。地域はその才能を見出し、その子に合った育成メニューも考えるべき使命があると思う。
UF:さきほどの地域教育の話にも通じますが「トップ登録を目ざす育成」しか視野にないJクラブのアカデミーは評価されない時代に入っています。ジュニア、ジュニアユース、ユースと成長する過程で、サッカー少年は例外なく学業や進路の関門にぶつかる。情報もじゅうぶんに共有されないまま選別が行われる育成システムのままでは、父兄も指導者も地元の子どもたちを託さなくなっている現実があります。
清雲:そこは本当に重要な部分。サッカーを続けるか、プロになるか、という問題以前に、家庭や学校での選手の生活に目が届かないようなホームタウンであっては困るのです。その子の将来を考えれば、オンザピッチばかりではなくオフザピッチが重要で「挨拶」「礼儀作法」「時間を守る」「学業両立」「公共心」などのケアは不可欠。クラブの監督やコーチばかりでなく、地元の指導者や学校の先生、その子の親兄弟まで「たくさんの目」が必要になると思います。
UF:レッズ主力にも多くの才能を送り込んでいるサンフレッチェは、広島をベースに地元の才能を継続的に見守るハードとソフトづくりに取り組んでいると聞きます。クラブと地域が連携を密にとり、指導者交流も盛んにしなければ出来ない作業でしょう。そしてそれはクラブとホームタウンの双方にとって「やり甲斐ある仕事」と思うのですが。
清雲:地元の特性やクラブのキャパシティなど事情はそれぞれでしょうが、Jクラブである以上そこは基本になると思います。
UF:昨今は歴史の浅い小規模チームの方が、理想のJクラブを目ざす意識をホームタウンと共有出来ているようにも見えます。「ビジネスがらみでなければ地元とテーブルを挟まない、関わりを持たない」という老舗クラブのホームタウンからの悩みも耳にするようになりました。
清雲:名門とかビッグクラブと呼ばれるチームほど、しがらみや硬直に縛られて地元との間のミゾが埋められないのかもしれない。クラブは売上げや収支を見越した提供物ばかりではなく、地域との協力体制を軸にすえて育成データを広く共有し、才能を見抜く眼力を地元に養わなくてはなりません。選手を送り出す地元も、受け容れるクラブも、辛抱強く交流のパイプを築いて欲しい。そこが乖離していては才能育成、とりわけ自前のエースを育てるような仕事はできないわけですから。その意味からも、私は個人的に浦和と大宮、レッズとアルディージャはカベを越えた交流の場がもっとあって良いと思う。大宮がJ1に復帰したいま、「さいたまダービー」あたりは最高のコンテンツではないでしょうか。
柱谷哲二、カズ、森保一、長谷川健太、井原正巳……清雲氏の原点になっているというドーハの悲劇のピッチ上にいた22人のプレーヤーたちは、全員がサッカー界にとどまり、いまも後進にそのキャリアを伝え続けている。
「あの悔しさが、いまも彼らの力になっていることは間違いないよね」
おなじみの柔和な笑顔でインタビューに応えてくれた氏の周囲には、折しも満開となった法政大学キャンパスの桜と、未来のJを担うかも知れない学生たちの活気が溢れていた。
(2016年4月 法政大学・多摩キャンパスにて)
「さいたまダービーを盛り上げるアイデアを追加でお願いします」という無遠慮な当編集部の要請に応え、清雲さんから後日送っていただいた回答メールを添付記載します。
「駒場は大学時代から思い出深いスタジアムです。既にアイデアが出ているように、両クラブのアカデミーを検証するためにも普及・育成の現状のを市民の皆さんに知ってもらう機会になればと思います。
1.両チームの普及の歴史を紹介し、現状と将来目標を両チームから発信する。
(大宮はスクール・クリニック、浦和はハートフルなどの内容)
2.両チームの海外戦略紹介(大宮も浦和もアセアンを中心に活動している)。
3.U12、U15、U18の試合(定期交流戦・年2日駒場で対戦)
4.アカデミーファンドの設立(年一度両クラブの混成チームを作り、アジアのクラブか選抜チームとの対抗戦を実施。地元も子供たちに対してのサポート=他のスポーツのサポート・文化活動へのサポート・調査研究事業へのサポートなど、子供たちがアクションを起こしやすい環境を両クラブが中心になって育む)
5.アカデミーファンドに賛同する地元企業の参画を募る。
6.地元企業は子供たちの成長のために地域貢献・社会貢献の名目で資金提供。
7.子供たちに夢や希望を与える事業に集約する。
その他、アイデアは沢山あると思いますがサッカーだけではなく、さいたま市の子供たちのために両チームがアクションを起こすことで行政も市民も企業も動くことになると考えます。結果として未来のさいたま市は住みやすい街・住み続けたい街となります。以上、思うがままに記しました。清雲栄純」