浦和フットボール通信

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<無料記事>清雲栄純ロングインタビュー「ダービーへの思い」が実現する、 クラブとホームタウンの変貌。(前編)

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「浦和は特別な場所だから……」 初代GMなど13年間に渡って大宮アルディージャの中枢からサッカー界を見わたしてきた清雲氏にとって、レッズとホーム浦和の動向には格別の思いがあるという。J創設とドーハの悲劇という”大変革期”に指導者としてのスタートを切り、いまは法政大学で次代のスポーツ組織を担う人材を育成する同氏からの、浦和・大宮を擁するホームタウンへの提言をお届けする。(浦和フットボール通信編集部)

Interview&Text/Mitsuho Toyota
Photo/Yuichi Kabasawa

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これからの社会がスポーツ界に求める人材育成。

UF:清雲さんの現在の肩書は法政大学スポーツ健康学部学部長。スポーツマネジメントを学び、将来的にJクラブのような地域スポーツをひろく担う組織人材を育成しておられます。

清雲:日本のスポーツビジネスは米国に比べるとまだ1/100の市場規模。でも少子高齢化が進む将来においてこの分野の人材需要は確実に伸びるし、そうあるべきと思います。当学部は組織マネジメントの体系や構造を学ぶ「スポーツビジネス」、中・高の教員や各種目の指導者を養成する「スポーツコーチング」、アスレチックトレーナーなどを目ざす「ヘルスデザイン」の3コースから成り、スポーツ関連の経営から健康な心身をつくるノウハウまでを学ぶカリキュラムで構成されています。卒業後の進路も多岐に渡っています。

UF:志望する若者も多いのでしょうね。

清雲:今春も定員165名に対して3000名に届く志願者があり増加傾向です。

UF:創設から23年、これもスポーツ界の潮流を変えたJリーグの成果といえるのでは? 若い人材が地域スポーツのマネジメントに組み入れられれば、選手育成のみならず地域活性にも地元の人材育成にも大きく貢献すると思えます。

清雲:ですが、彼らがここからJクラブやJFAに直に行くことは恐らく出来ないわけです。一般企業の中で地道な業務やマネジメントなどの実務を正しく積まなければ戦力にならない。好きという理由だけでサッカーのビジネスを志望する学生は多いけど(笑)まずはそこを理解させることが第一歩ですね。でも在学中の体験を糧に大きく伸びて現場で活躍する教え子も多く驚かされる。私たち指導者や仲間との出会いが影響するあたりは(サッカーの)コーチ時代を思い起こす充実感があります。

UF:古河電工時代チームメイトの永井良和さん(浦和南高校OB・元日本代表)もたびたび登場いただいているのですが、清雲さん世代はサッカーが「日本スポーツ界の変革」の先頭に立って国際化に進んだ時代を歩まれた、という印象がある。古くはデットマール・クラマーさんとともに協会と代表を変えた長沼健さん、岡野俊一郎さんの五輪銅メダル時代。川淵三郎さんが牽引したJ誕生の時代。清雲さんがハンス・オフトと立ち会った「ドーハの悲劇」から、ジョホールバルを経て日韓共催に至るワールドカップ全盛時代……。

清雲:それらの方々とともに見てきたサッカー先進国、特に欧州フットボールの現場が私の教育原点になっていることは間違いないですね。

UF:とりわけ清雲さん、永井さんが指導者年代になった後のプロクラブのマネジメントや地域貢献といった側面は、日本社会におけるポーツのあり方を決定的に変えました。よって本誌はくり返し、これらの方々の証言を地元に伝え続けなければなりません。

地域とともに環境をつくり、オープンであること。

清雲:74年W杯(西ドイツ大会)の際に代表メンバーとして欧州へ遠征しました。ルーマニアで練習マッチをこなした後に、森孝慈さんらとプレミア(当時のイングランドリーグ)とブンデスリーガの名門クラブを3カ月かけて研修する機会をいただいたのです。そこで出会ったのが「総合型地域スポーツクラブ」。あの時代に贅沢な経験でしたが、(欧州では)すでにお祖父ちゃんから孫までのファミリーが様々なスポーツに親しみ、観戦し、談笑する風景が見られた。その後も選手や指導者としてヨーロッパや南米に行く機会を得て、この光景を再確認することが出来ました。地域住民がクラブを舞台に結びつくその様子を学生たちに伝えると、春休みや夏休みを利用して現地へ出かける学生も毎年います。

UF:川淵三郎初代チェアマンが提唱してきたシューレ談話(sportschle 百年構想の源となるドイツのスポーツクラブ呼称)に一致しますね。川淵さんは我々のホーム浦和でも講演されましたが、開催したのは「Jの理念を実現する市民の会」。実は先日、同会のイベントで浦和レッズ・淵田敬三、アルディージャ鈴木茂の両代表と村井満チェアマンが「地域密着」をテーマに対談されまして(2月開催『浦和&大宮 Jクラブと街の未来図』)。200名を超える参加がありました。

清雲:実はその前日に鈴木代表との会食があり「明日、おふたりと会う」と聞いていました(笑)。しかし両代表とチェアマン登場か……やっぱり浦和は特別だな(感嘆しながらイベントを報じる本誌前号と参加者アンケート結果に見入る)。

UF:会への地元ファンからの反響は大きく、「こういうクラブと市民の接点は増やすべき」「定期的に開催してほしい」「長期展望に立ったクラブ幹部との意見交換は重要」といった感想が多数。サッカーの街を名乗る地元メディアの立場から言えば、「大宮があんな活動してるなんて初めて知った」というレッズサポーターの声があったことはショックでしたが……。

清雲:私の在任中から「レッズがやれない所からやる」が方針なので(笑)。レッズランドの規模には及ばないが「多種目に多世代が関われる身近なスポーツクラブを」という地元要請に応え、2002年より見沼区に「さいたまスポーツクラブ」というNPOクラブを設立。ヨガやエアロビ、卓球などを地元の方々が楽しんでいます。私も欠かさず月例会に出ているしアルディージャの人間も理事に名を連ねていますが、設立からクラブハウス建造・運営まで、活動の中心を務めたのはすべて地元の方々。収支よりも「大宮という地域とともにスポーツ環境を作り、その意義を共有する」ことがテーマです。この組織からアルディージャを知ってファンになるケースも多いと聞くので力を注いで行きたい。

UF:10年20年をかけても、目ざすは欧州型の「総合型地域スポーツクラブ」でしょうか?

清雲:日本人が文化としてスポーツを受け入れる環境になれば加速すると思います。両親が働く時代に子どもはイジメや引きこもりなどに陥る危険も高くなる。学校がムリなら近くのクラブで色々な活動や人間に触れてキッカケがつかめるかも知れない。いつかは同じような境遇の後輩を助ける機会に恵まれるかも知れない。そこには学校とは違う地域での教育があるわけです。オープンで、多世代が集える場所であることがポイントになると思います。

UF:存続の資金が気になりますが?

清雲:この理念に賛同して地域貢献を考えている個人や地元企業の出資も一部ありますが大半は会員の会費で賄っています。欧州のクラブでも潤沢な資金で運営しているクラブばかりではありません。ビッグクラブでもナショナルカンパニーに加えて地元企業のサポートを大切にしている。金額からは見えない「それ以上のもの」があることを知っているからでしょう。ホームタウンの人たちが何を考え、誰が地元のキーパーソンなのかもしっかり見定める……そんな運営方式です。要は地元の人々や企業から「自分たちが盛り上げる」とか「このクラブは私たちの誇り」と言ってもらえることが肝心なのですから。

<後編に続く>

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