浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「未来への投資 」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

新築される大原のクラブハウス

新築される大原のクラブハウス

大原に練習場の拠点を構えて23年、新たな未来投資が建設音と共に始まった

日本がまだ一度もワールドカップ出場を果たせない暗黒の時代、日本のフットボール界の水準向上と普及促進、豊かなスポーツ文化の振興および心身の健全な発展の寄与、そして国際社会における交流および親善への貢献としてJリーグが発足された。

それまでは、大手企業が支えるアマチュアが主流の日本サッカーリーグ(JSL)が存在していた。JSLに所属する選手たちは、企業で働きながらフットボールの練習に取り組み試合に臨んでいた。

Jリーグが発足されて、浦和の守護神として活躍してきた土田尚史GKコーチは、三菱重工サッカー部に所属してビーバーエアコンを担当する部署で働いていたこともあった。

天皇杯優勝4回、JSL1部優勝4回と栄光を手にした三菱重工サッカー部であったが、1989年に2部と降格し、1年で1部へと復帰を果たしさらにJリーグ入りを目指して三菱自動社サッカー部へと移管されたのだ。

そして、Jリーグのクラブとして、浦和市をホームタウンに1992年4月に「三菱浦和フットボールクラブ」が設立された。だが、設立当時は、練習場すら決まらずに東京農業大学グランド(現レッズランド)や荒川グランド、三菱の調布グランドなど転々とする流浪の民であった。

大原を練習場として活用を始めたのは、Jリーグサントリーシリーズが終りニコスシリーズが開幕する中断期間の1993年7月16日からであった。初めて大原練習場へと向かった時、道に迷いながら体育館が建っている立派な建物を目指して進むとそこは近隣の障害者センターであった。

係りの方に大原への道を教わり、何とかたどり着くことが出来たが、「これが、プロの練習場?!」と愕然と当たりを見回し、衝撃が走ったことをいまだに覚えている。

現在は、クラブ関係者や大原を訪れる人々の駐車場になっているところは、雑草が生えるゲートボール場であった。そして、「大原サッカー競技場」と看板が掲げられている大きな門を入るとすぐそばの右側には、芝生管理倉庫があった。周囲に砂利が敷き詰められたところに選手たちの車が止まり、プレハブの平屋がぽつんと建ていて、その横に筋トレルームが併設されていたのだ。

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選手が怪我してもすぐに治療が出来る体制では無かった。プレハブの端には、今では物珍しい二層式の洗濯機が置かれていた。記者室もインタビュールームもサポーターカフェもない。新聞記者は、急ぎの原稿があると洗濯機のコンセントを抜いて、パソコンの電源を繋ぎベンチや地べたに座りこんで記事を書いていた。

雨が降ると靴はドロドロになってしまう。大原を見学に来た人々の暑さや寒さを凌ぐ場所もなかった。選手がシュート練習でボールをふかすと、大きく金網を越えて行き、ボールを探すのも一苦労であった。選手たちが疲れを癒やすお風呂も無く、あるのはシャワーだけであった。

当時、一番しっかりとしたクラブハウスを持っていたのはヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)で、記者室は無かったが選手の食堂やレントゲン室もあり医療行為が出来る設備が整っていたと記憶している。フットボール環境の歴然とした差が、クラブの強さを左右すると言っても良いぐらい、当時のヴェルディ川崎は強く、浦和レッズは弱かったのだ。

しかし、浦和の練習場の大原も月日を重ねて変貌を遂げていった。福田正博氏が、ボールが外に飛び出さないようにネットを要求したり、小野伸二選手が「距離感が掴めない」と2面あるサッカーコートの仕切りを要求したりと少しづつ改善されていった。

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もちろん記者室もキャンピングカーが用意された時代もあった。そして、2003年に犬飼基昭氏が社長に就任し、雨漏りをするプレハブの環境を見て「プロのクラブの環境ではない」とクラブハウス設立へと動き出したのだ。フットサルコートも作られ、サポーターズカフェも記者室も作られ、汗をかいた選手たちのお風呂もあり、何より医療設備が整えられたことが嬉しかった。さらに、ギド・ブッフバルト氏が監督に就任すると、選手のフィジカル強化を目的に坂道が増設された。

フットボール環境が整ってきた大原練習場であったが、トレーニングルームは1993年当時のままである。トレーニングルームの窓を開けて、小野伸二選手がリハビリの自転車を漕ぎながら大きな声で歌を口ずさんだり、山田直輝選手が「回復順調だよ!」と笑顔を見せていたのを懐かしく思い出してしまう。だが、プレハブのトレーニングルームは老朽化が進み、雨漏りをするようになってしまった。

山道強化本部長は「古くなったトレーニングルームを何とかしたい」と見沼三原則で難しい問題を県と市に協力してクリアし、鉄筋コンクリート作りで半地下の3階建ての別棟を建設できるようにとしたのだ。雨でもフィジカルトレーニングが室内で出来るように天井高3mのトレーニングスペースや練習後に出前を頼んでいた選手たちの食事管理を含め、試合の移動時に寮で食事をしていたが大原で全て完結出来るように食堂の設置、さらに仮眠室や選手ラウンジなど充実した設備を計画した。

出来れば大原を訪れるファン・サポーターも、食堂が利用出来る日がくれば良いなぁなどと夢のように思ってしまう。トレーニングルームの建て替えのタイミング、建設費用、見沼三原則に基づいた認可の問題などを少しずつクリアーしていった。7月13日から始まった建設工事は、来年の9月下旬まで続く。

山道強化本部長は「せっかくなら、長期的に見てクラブのためになるものを作る。チームが安定した成績を挙げてくれることでこのようなことが出来る。選手たちに贅沢をさせるつもりはないが、クラブの価値を上げたい」と話した。

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もちろん建設費用は、ここ数年の安定した成績に伴う賞金の他に、クラブの安定した経営を支えるスポンサーやファン・サポーターの存在も忘れてならない。選手補強も大事であるが、誇れる浦和となるためにフットボール環境を整えるのは、まさしく未来投資だと思う。

流浪の民で始まり、大原に練習場の拠点を構えて23年、新たな未来投資が建設音と共に始まった。浦和が、浦和であるべき姿を求めて・・・。

川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/

川久保整形外科

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。http://www.kawakubo-clinic.jp/

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