浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「フットボールを愛する心 ~ラモス瑠偉氏」

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

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浦和の未来、日本のフットボールが歩むべき道を熱く語り合いたい

遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。今年も浦和と共にどうぞ宜しくお願い致します。

鹿島が天皇杯で19冠を飾り今年が始まった。クラブワールドカップで自信をつけた鹿島は、やっぱり強かった。

年末年始を腑抜け状態で過ごす中、お笑い番組よりもフットボールにテレビのチャンネルを合わせてしまい、高校選手権の熱い思いに心が揺さぶられた。

名門校ともなるとサッカー部員は100名を越す。予選を勝ち抜き、晴れの舞台に立てるのは、ほんの一握りの選手たちだ。ピッチに立てない他の選手たちの思いを背負って、勝利を目指して直向きにボールを追いかけて走る彼らたちは本当に輝いていた。嬉し涙も悔し涙も、フットボールを愛する心を象徴していた。日本のフットボールは、本当にたくさんのフットボールを愛する心で支えられているのだと実感した。

日本のフットボール界を愛する心で長年支えている1人にラモス瑠偉氏がいる。ラモス氏は、日本がまだワールドカップ出場を夢見る時代の1977年、ブラジルから日本へとやって来た。当時、20歳であった。日本語も分からず、しかもフットボール発展途上国だった日本にやって来て苦労も多かったと思う。名門の読売クラブに所属して、Jリーグ開幕当初からヴェルディ川崎の黄金期を支えた。背番号10番を背負って、日本代表としても活躍した。

ボールタッチが柔らかく、細かいテクニックとパスセンスが輝いていた。Jリーグ開幕当初、浦和はラモス氏率いるヴェルディ川崎にどれだけ泣かされたことか。対戦相手ながら、ラモス氏のプレーに脱帽した。選手として本当に素晴らしい選手であった。勝利に貪欲で、フットボールと真摯に向き合い、納得がいかないことがあればとことん追求する熱く真っ直ぐな印象がある。

古き良き時代の『大和魂』を持ち、日本を愛し、ある意味とことん日本人で、日本のフットボール界を常に考えている人物だ。

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現役を引退してからも、試合会場で顔を合わすと「浦和どう?」「調子良いんじゃん」などとラモス氏の独特な口調で気さくに声を掛けてくださりフットボール談義に花が咲くことがしばしあった。

今から何年も前のことである。「機会があれば、浦和の監督、やってみたいねぇ」とラモス氏が言い出したことがあった。「どうしてですか?」と尋ねると、ラモス氏は「だって、そうじゃん!あんなに熱いサポーターがいるんだよ!一緒に闘いたいね。優勝したいね」と目をキラキラ輝かせて答えたのだ。

そして「ねぇ~浦和の街を案内してよ。サポーターが集まる力とか、いろいろと行って見たい。浦和のみんなといろいろと話して見たい」と熱く語りだしたのだ。真剣に浦和のことを思い話すラモス氏の熱い心と接し、嬉しくなってしまった。多くのファン・サポーターを抱える浦和が、Jリーグのリーディングクラブにならなければいけない。それは、日本フットボール界の未来にも繋がるなどと夢をお互い語ったものだ。

そんなラモス氏が、昨年の暮れも押し迫った12月29日、脳梗塞で倒れた。緊急入院を余儀なくされたものの幸いなことに順調な回復を見せ、言語障害はみられずハッキリと意思疎通が出来る状態であることをご自身のブログで報告した。

大事に到らずに本当に良かったとひとまず安堵した。だがまだ予断は許さない。しばらくの間は、活動を休止することとなった。あんなにフットボールを愛する心を持っているラモス氏だけに、残念でならない。

でも不骨の精神で絶対にラモス氏は、復活してくれると信じている。あの日「浦和の街を案内する」とラモス氏と約束したことは、未だに果たしていない。元気になられたら、必ず浦和の街を案内すると誓う。だから、浦和で待っている。また、浦和の未来、日本のフットボールが歩むべき道を熱く語り合いたい。まだまだラモス氏から教えてもらいたいことがたくさんある。無理は禁物であるが、一日も早いご回復を心から願う。

Q. 疲労性の筋肉の炎症について教えてください。

A. 疲労骨折があるように、疲労性の肉離れがあります。また、筋肉の損傷ではないですが、疲労からくる炎症でMRIを撮影すると真っ白になっていることもあります。肉離れではないですが、症状として肉離れに近いです。また、こむら返りを起こし、疲労が取れてない時に肉離れになりやすいです。疲労を溜めないために、適切なクールダウンと休養が大事です。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/

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