サッカーで結ばれた深い絆を感じた1日【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】
J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。
OBが一同に揃う
さいたまサッカーフェスティバル2017が開催された浦和駒場スタジアムに懐かしい人々が駆けつけた。
シトシトと降り続く雨の中、懐かしい仲間とピッチの感触に酔いしれる浦和と大宮のOBによるさいたまダービーが行われたのだ。試合は、圧倒的にOBに若手が揃った大宮側が主導権を握っていたが、岡野雅行氏が現役時代に魅せた脚力を活かしたり、土田尚史氏の「クリアー!!」と懐かしい声がピッチに響き、水内猛氏と池田伸康氏のパフォーマンスなどでスタジアムを盛り上げた。
その盛り上がりの勢いに乗って、初めてさいたまダービーOB戦を浦和が3-1で大宮に勝利を収めた。
兄弟対決になった三上卓哉氏は「試合前から、ぶつかるように兄貴は仕組んでいた。一発目は、ちゃんとぶつかろうと思った。兄弟対決は、練習試合でしかなかったからね」と照れ笑いし「さいたま市に2つのクラブがあって、環境的にはこういうことができるメリットのある都市なので、活用しながらレッズとアルディージャが盛り上げるチームがあることを改めて感じ、参加できる喜びを感じた。レッズは、動きの方が劣っていたが決めるところはちゃんと決めた」と浦和の勝利を喜びながらも、大宮と浦和の存在意義を感じていた。
ちなみに三上氏は、浦和のオフィシャルパートナーでお馴染みのアイル・コーポレーション(株)のPPP事業部で活躍している。また、兄の三上和良氏は和風ダイニング「升楽泡」を経営している。
今回のために愛媛県から遅い夏休みをもらって駆けつけた渡辺隆正氏は、今治FCで育成のコーチを務めている。渡辺氏は「駒場でデビューさせてもらって、駒場には凄く思い入れがある。知っている人たちがいて、温かく迎えてくれた。なんか家に帰ってきた感じだってみんなが言っているのが良く分かる。僕は、自分のワガママで浦和を出ることを決めたのに、凄く感謝している」と話した。
懐かしい思いで深い駒場スタジアムのピッチに立って、当時のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのだろう。「パノラマの画面で、ライトが点いていて・・・。俺、立っているんだ。ここに・・・」と感無量だったようだ。
そして「浦和があったから、高校時代にプロ選手になりたい夢を持った。現在は、今治でプロを目指してやるんだって夢を与えられるようにしていきたい。今治は、スタジアムも練習場もないところから始まった。やっと5千人のスタジアムができて、地元の人たちに身近に感じられるクラブになってきた」と笑った。
浦和があったからこそ夢に向かって走り続け、そしてプロ選手になった渡辺氏は、愛媛の瀬戸内海面した今治の地で今度は、自分が夢を与えられるようにと走り続けている。
そして、一際注目を浴びたのは、アルゼンチンから駆けつけたトリビソンノ氏であった。
勝利に拘り熱いハートを持つトリビソンノ氏の現役時代は、浦和の初代闘将と言っても良いだろう。長い髪を風になびかせながらボールを奪って攻撃を仕掛ける姿は、25年経っても浦和を愛する人々の脳裏に焼き付いている。
浦和を離れて25年の歳月で風貌はすっかり変わってしまったが、浦和を愛する気持ちは当時のままであった。
「浦和の外国人選手の中で、僕ひとりが招待された。サポーターのみなさんは、僕が故郷にいる感じ、家族の感じがした。一番変わってないのは、浦和のファンだ。凄く感動した。あの当時は、私も妻も若くって妻はいつも試合を観に来てくれていた。右も左も分からない中で、ここから始まったんだなという気持ちだった。僕は、性格的にアグレッシブに行っていたので、全部勝ちたかった。負けた時には、ずっと泣いていた」と懐かしに溢れていた。
そして「言葉の壁がある。たくさん伝えたいが・・・ただ、会話ではなく、見ただけでも元気なんだなと嬉しかった。土田、望月、名取がいた。柱谷と福田、森さん(当時の監督だった森孝慈氏)がいなくてちょっと寂しかった」と共に闘った仲間のことを思い出していた。
「僕は、家に帰ったら息子に25年前の僕の写真をもった人たちがたくさんいたことを話したい。時間も経ち、年もとった。何が一番感動したかと言うと、周りが変わっていない。あのまんまの僕を受け止めてくれているファン・サポーターがいる」と本当に嬉しそうであった。
現在は、アルゼンチンのロサリオで18歳から20歳のチームの監督をしているそうだ。
「プレーをしてきた時と同じように、大声を出して叱ったりしている」とニヤリと笑った。監督になってもトリビソンノ氏は、浦和のピッチで熱く輝いて当時と変わらない感じであった。
土田氏は「あいつが、アルゼンチンに帰る日に空港でお見送りした以来の再会だった。逢えて良かった」と嬉しそうに話した。
そして「Jリーグの中で、唯一クラブに認められているOB会の組織があるのは浦和だけだ。その活動をして6年目。活動することによって、今回は大宮のOBと繋がりが持てた。僕らのセカンドライフにも役立てていける」と話していた。
OBの中では、名取篤氏や土橋正樹氏、城定信次氏のように浦和の育成に携わる方々、堀之内聖氏や戸苅淳氏のようにフロントで活躍する方たちもいる。また、望月聡氏は国際ユニバーシーアド女子日本代表監督を務めたり、佐藤慶明氏や阿部敏之氏のように大学のサッカー部の監督として活躍していたり、佐藤太一氏は、子供たちの育成に携わってた。浦和だけでなく大宮のOBも参加して、それぞれの立場で絆を深めていた。
懐かしさだけでなく、サッカーが持つ力の奥深さを感じられる日であった。
Q.肉離れはどうして起きるのでしょうか?
A.肉離れは、ボコっと筋肉が切れるのではなく、鳥のささみのように腱と筋肉の境目から剥がれるのです。激しい運動で急激に筋収縮を強いられたときに、筋肉繊維が部分的に断裂します。筋肉のバランスが悪かったり、筋肉の柔軟性がない、筋肉が緊張していて疲労が溜まっていたり、オーバートレーニングなど肉離れになりやすいです。疲労骨折のように、徐々に筋肉が損傷していき、走った瞬間に肉離れになるような筋肉疲労肉離れがあります。小中学生では、腸腰筋の肉離れが多いです。走っていて急に走れなくなります。
川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科がリニューアル開院しました。平成28年5月6日(金)より新クリニックにて診療を開始しています。MRIなど最新施設を備えて、より良い環境の下での医療とサービスをご提供していきます。http://www.kawakubo-clinic.jp/