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最強レッズが初のリーグ王者に。大サポーターの後押しを受けて、ブラジル人助っ人が躍動 浦和レッズ編【浦和・埼玉サッカーの記憶】

クラウドファンディングで実現した浦和埼玉のサッカーの歴史を残す書籍「浦和・埼玉サッカーの記憶 110年目の証言と提言」が 浦和フットボール通信SHOP、(須原屋書店浦和本店、コルソ店、武蔵浦和店、松田青果、WAベーグル)にて1500円(税別)にて好評発売中です。このコーナーでは書籍で掲載している内容をご紹介します。

浦和・埼玉サッカー名勝負

地元サッカーの黎明期から、浦和レッズのアジア制覇まで……サッカーの街を熱狂させ、その過去と未来を繋いだ全30戦を振りかえる。今回は埼玉浦和サッカーから見る、浦和レッズ名勝負10番から悲願のリーグ初優勝を決めたガンバ戦を紹介します。

浦和レッズ 名勝負10番

1993年、Jリーグ開幕のころ。浦和・埼玉の高校サッカー群の栄光はすでに過去のものとなっていた。
しかしサッカーを愛しささえ続ける人々が暮らす街は、日本初のプロリーグ創生においても後世に語られる足跡を刻む。オリジナル10に名を連ねながら惨敗を重ねる地元クラブを鼓舞し、リーグ制覇からアジア王座、そしてクラブワールドカップへの参戦へ……。ホームスタジアム・駒場サッカー場の客席には、この国のスポーツに初めて登場した“サポーター”が陣取った。そして忘れかけていたこの地の合言葉を、大音響のメッセージでなぞらえて見せた。「浦和を制するものは、世界を制す」―――

【収録試合】
1 ■1993年5月29日 浦和レッズ vs ヴェルディ川崎
2 ■1999年11月27日 浦和レッズ vs サンフレッチェ広島
3 ■2000年11月19日 浦和レッズ vs サガン鳥栖
4 ■2003年11月3日 浦和レッズ vs 鹿島アントラーズ
5 ■2004年11月20日 浦和レッズ vs 名古屋グランパス
6 ■2004年12月11日 浦和レッズ vs 横浜Fマリノス
7 ■2006年1月1日 浦和レッズ vs 清水エスパルス
8 ■2006年12月2日 浦和レッズ vs ガンバ大阪
9 ■2007年11月14日 浦和レッズ vs セパハンFC(イラン)
10■2007年12月13日 浦和レッズ vs ACミラン(イタリア)

GAME8 2006年12月2日 Jリーグ ディビジョン1 第34節

最強レッズが初のリーグ王者に。大サポーターの後押しを受けて、ブラジル人助っ人が躍動。

リーグ優勝獲得に向けて、試合前から浦和の街は赤く染まった。試合当日もJリーグ最高観客動員数を記録した62,241人のサポーターが赤に埋め尽くしたスタジアムは、J開幕から13年待ち続けたサポーターの思いが詰まっていた。

Jリーグ記録となる埼スタの大サポーターが後押し。ポンテ、ワシントンがゲームを決める。

初のリーグ優勝を目前に、埼玉スタジアムにはJリーグ記録を更新する62,241人のサポーターで埋め尽くされた。圧倒的な赤の中に浦和レッズの大きなエンブレムがビジュアルによってスタンドに浮かび上がる中で、キックオフした。ガンバが21分に先制点を決めた。しかし静寂は一瞬だった。27分、ワシントンのパスを受けたロブソン・ポンテがシジクレイを華麗なドリブルでかわし、ゴール左隅にゴールを決めた。これで優勝が大きく近づいた。この年の得点王に輝いたワシントンが44分にポンテの右からのクロスを合わせて逆転ゴール。後半に入り59分にもワシントンがヘディングで押し込み3点目。その後ガンバに1点を返されるもタイムアップのホイッスルが鳴り、浦和レッズのJリーグ初優勝が決まった。感慨深い表情でインタビューを受けるギド・ブッフバルト監督が「浦和レッズが一番です」と発するとスタジアムが大きく湧いた。浦和レッズが初めてJの頂点に立った。

Jリーグ ディビジョン1 第34節
浦和レッズ 3(2-1、1-1)2 ガンバ大阪
2006年12月2日 埼玉スタジアム2002 観客数:62,241人
◎浦和レッズ 得点者:ポンテ、ワシントン2
◎ガンバ大阪 得点者:マグノ・アウベス、山口智

浦和レッズ 先発メンバー
監督:ギド・ブッフバルト
GK:山岸範宏
DF:内舘秀樹、田中マルクス闘莉王、ネネ
MF:三都主アレサンドロ、鈴木啓太、長谷部誠、平川忠亮、山田暢久
FW:ロブソン・ポンテ、ワシントン

Mr.REDS福田正博氏が浦和レッズ名勝負10番を解説

――特に2003年以降はタイトルを獲るという一体感のパワーがあったと思います。そして2006年に念願のリーグ初優勝を果たします。前年に天皇杯優勝を果たした後でも、ワシントン選手を補強するなど、優勝を狙うというクラブの本気の姿勢が伝わってくるものがありました。

福田:当時ライバルのガンバ大阪を率いていた西野朗監督は「レッズはチェルシーだ」というような言い方をしていましたけれども、Jリーグの中でビッククラブになるような進み方をしていたと思います。あの当時の浦和はそのぐらい強烈でした。補強をしっかりと重ねて、それが本気度に繋がり結果にも繋がっていた。勝たなければいけないというチーム内の緊張感もありましたし、サポーターにもその本気度が伝わって、みんな真剣に応援をして優勝を獲ろうという空気になっていたと思います。勝つためにはどうしなければいけないのかということを考えて進んでいた時期だったと思います。

――観客動員数という部分でも2005年以降は埼玉スタジアムでの開催数を増やしたこともありますが、平均観客動員数においても4万人を超える数字となり、事業部分でもビッククラブに向かって突き進んでいた時期でした。リーグ優勝を決めたガンバ戦もJリーグの最高観客動員数を記録する62,241人のサポーターが詰めかけて、浦和レッズの勢いを示す最高の雰囲気の中でリーグ優勝だったかと思います。

福田正博 (ふくだ・まさひろ) 1966年生まれ。神奈川県出身。95年に50試合で32 ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王になる。ミス ターレッズと呼ばれ、浦和レッズの絶対的な存在として 活躍。サポーターから愛された。Jリーグ通算228試合 93ゴール。日本代表45試合9得点。 2002年現役引退 後、テレビ解説者などを経て2008年より3年間、浦和 レッズトップチームコーチを務めた。現在はテレビ解説 者などを中心に活躍中。

なぜ浦和はサッカーで盛り上がるのか?「浦和・埼玉サッカーの記憶 110年目の証言と提言」好評発売中

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