浦和フットボール通信

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土田尚史SDと現役時代に約束した、あの日の想いを果たす時【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

「絶対に変えるから!」と言ったあの時の思い

浦和レッズが誕生するまでは本当に苦難の道のりであった。浦和がJリーグクラブの誘致に積極的に乗り出したが、なかなかうまくことが進まなかったのは事実だ。そこへやって来たのが、Jリーグ参加に伴い三菱自動車に移行し本拠地を探していたJSLの強豪の三菱重工サッカー部であった。縁もゆかりもなかったが、両者の思いが一致して浦和レッドダイヤモンズがスタートした。

日本のサッカーがプロ化になり、Jリーグが華々しく開幕を告げて誰しもが心を躍らせた。サッカーの御三家と称された浦和もその1つであった。浦和には100年に及ぶ「サッカー王国」のプライドがあった。浦和の誇りにかけて、最後の笛が鳴るまで走り、闘い勝利を目指すことは当然のことだ。浦和を愛する人々は、浦和を勝たせるためにスタジアムへと足を運んだ。

浦和の初代監督森孝慈氏は「2点獲られたら、3点獲る」と攻撃的サッカーを掲げて浦和は歩みだした。しかし、浦和に突きつけられた現実は、Jリーグの『お荷物』だった

勝てなくて、勝てなくて、情けなく、三菱の強豪の姿も浦和の「サッカー王国」のプライドもズタズタで本当に開幕当時は惨めであった。

あれはいつのことだっただろうか・・・。今から10年、いや20年以上前の出来事である。

「わしが現役を引退したら、いつか必ずこのクラブを変えてやる!絶対に変えるから!待っていてくれ」と力強く言い放った選手がいた。ずっと浦和の現状を直視し、危機感を持っていた選手こそが、現役時代の土田尚史SD(スポーツダイレクター)だ。

当時の土田選手の一言に目頭が熱くなったのは言うまでもない。浦和を愛する者の1人として、この一言が心の支えにもなり、現役の選手がクラブに対して危機感を持っていてくれたことが本当に嬉しかった。

当時の土田SDは、浦和を愛する人々の声援を背中に受けて、守護神としてゴールマウスに立ち続けていた。誰よりも浦和を愛する人々の心の叫びを聞いてきた。浦和が勝てずに苦しんだ暗黒の時代を選手として経験をしてきたからこそ、浦和を改革したい思いがあったのだ。それは、GKコーチになっても、浦和がタイトルを獲得しても決して変わらなかった。

「このままでは、浦和レッズはだめだ」「浦和というクラブは、誰のためにあるのか」「浦和レッズの存在意義とは・・・」

そのために何をしなければならないのか、自分ができることは何か・・・。土田SDは、現役時代からずっと今日に至るまで考え続けてきたのだ。だから立場が変わり、SDに就任してすぐに「浦和を背負う責任」の下で『浦和のために走り、闘い、そして貫く』というクラブのスローガンの徹底が大事であることを示した。

「『サッカー王国・浦和』で生まれたこの『浦和レッズ』は、アジアでもナンバーワンのファン・サポーターを誇り、どこの誰よりもサッカーを愛する人たちの期待を背負っています。その責任を背負い、全身全霊で勝利を目指し、闘う。そういうチームでなければなりません」と話す土田SDは、現役時代に「絶対に変えるから!」と話した当時と同じ志であった。

確かに土田SDは、SDの経験も他のクラブの経験もない。「本当に大丈夫なのか?」という不安がる声も聞こえてくるのは事実だ。

だが、浦和を愛し、浦和を背負う責任を一番重んじているのは土田SD本人だ。浦和に居を構え、浦和という地に根を張った浦和人だ。浦和を愛する人々と膝を突き合わせて話ができる漢だ。だからこそ、どんなに苦しくても浦和の輝かしい未来のためにやり抜く力を持っているはずだ。変革元年からの3年計画を土田SDが、どのように推し進めていくのか・・・。

決して1人では変えられない。そこは、現役時代の頃のように浦和を愛する人々とともに手をとり苦難を乗り越えていくだろう。

20年以上前のあの日の思いを果たす、約束の時が歳月を経てようやくやってきた。「浦和を背負う」責任の下で、浦和を愛する人々とともに揺るぎない浦和の未来を築く礎の歩を始めた。

Q. 「シーバー病」になってしまった場合、どうすれば良いのでしょうか?

A. 基本は、スポーツの抑制と足の裏やふくらはぎのストレッチです。それとスポーツを終えたあとのアイシングです。スパイクや靴の中にインソールを入れて支えてあげると、クッションで衝撃を和らげることができます。

Q. 選手たちのスパイクのインソールも特別に作られたものを見かけることがあります。

A. 例えば足底腱膜炎の場合は、踵に負担がかからないように土踏まずを支えるようなアーチサポートを入れます。ただ、アーチを入れすぎても他の場所が痛くなってしまうので、足に合ったものを使いましょう。履くシューズ選びも大切なことです。シューズとの適合性もあります。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。

川久保整形外科
http://www.kawakubo-clinic.j

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