浦和フットボール通信

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河合貴子のレッズ魂ここにあり!「あなたの未来を信じて~田中達也選手」(11/23)

J開幕から浦和レッズを追いかけ、ケーブルテレビのパーソナティなどで活躍をしている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

ありがとう。浦和のWonderBoy。そしてその系譜を継ぐ選手たちの存在。

湧き起こる赤い歓喜「COME on SUPER達也!COME on WONDERBOY!」の歌声に、田中達也選手は喜びを握りしめた拳に、優しくキスをして高らかに拳を天に突き上げる。それは、田中選手がゴールを決めた瞬間の至福の時だ。小さい子供までが真似をするぐらいお馴染みのシーンである。何度も何度も見て来た。これからも見られると信じて来た。田中選手のフットボール人生は、赤いユニホームで始まり、赤いユニホームで終わると信じて疑った事は、一度もなかった。

しかし、来シーズンから田中選手は、背番号11番の赤いユニホームを脱がなければならない。2001年、帝京高校から加入した田中選手は背番号31番。パスを貰うと、とにかく得意なドリブルを仕掛けて果敢にゴールを狙った。その姿は、途中出場ながらも浦和サポーターの心を一瞬にして鷲掴みにし、決して放す事はなかった。オフト監督時代には「達也!ルックアップ!」と下を向いてドリブルする癖を監督から指摘された。当時の田中選手は、ストライカーの福田正博選手とエメルソン選手の背中を追いかけるように成長していった。特に、自分と似たような体系のエメルソン選手のプレーを全て盗み取るかのように一際眼光鋭く、練習中から意識をしていた。相手DFを背負った時のボールの受け方、DFをかわして裏を突く動き、シュートまでのイマジネーションを学び、プレーの幅を広げていった。浦和でのプレーが評価されて、アテネオリンピックに出場し、翌年には日本代表に召集された。正に、順風満帆であった。右足関節脱臼骨折と言う大怪我をするまでは・・・。長いリハビリを終えて、復帰を果たすも、どうしても怪我がちになってしまった。それでも田中選手は、不撓不屈の精神で何度も乗り切ってきた。人見知りが激しい選手だが、慣れるととにかく良く話す。コンディションが良いと練習中でも、一人で明るくムードを盛り上げる。闘莉王選手からは「達也!うるさい」と茶化されていた。取材する側にとっては、それが田中選手のコンディションのバロメーターみたいになっていた。

今シーズンの田中選手は、開幕戦の広島戦でスタメン出場をしたものの、怪我で離脱を繰り返した。漸く、闘えるコンディションを取り戻したが、残念な事にベンチを温める日々が続いた。山道強化部長は「サッカー選手は、試合に出る事が一番素晴らしい。今回、難しい決断だった。田中選手には、契約満了の話をさせて頂いた。このクラブの事、本人の事を考えて決めました」と苦渋の決断を本当に辛そうに唇を噛みしめながら話した。田中選手は「プロの世界なので、しっかりと受け止めています。チームが3位で、自分が力になれなかった事が、悔いが残る。監督の考える選手になれず悔しい。自分の力不足です」と自分自身を戒めるように話し、「充実したレッズでの人生だった。サッカーを続けられるなら、サッカーをやらせて頂けるなら・・・。必要としてくれるチームがあれば、そのために全力でやります。カテゴリーは問わず、チャンスを貰えるチームがあれば、そこで骨を埋めるつもりでやります。僕自身終わりじゃないし、まだまだ現役でやりたい」と力強く話した。サポーターに対しては「レッズを離れる事が決まってから、サポーターの声援を思いだした。感謝の気持ちは言葉では言えない。達也、頑張っているなという所を見せたい。頑張っている姿を見せる事が、一番の恩返しです」と未来を見据えた爽やかな笑顔で話した。年棒を下げて契約する事も出来ただろうが、試合になかなか出られない状況下で、それは田中選手にとって意味の無い事に感じた。契約満了であれば、移籍金は掛からず、次なるクラブに加入しやすい。12年もの間、浦和を支えて来てくれた田中選手が浦和を離れる事は、心が痛くて堪らない。だが、田中選手のフットボール人生を考えたら、クラブの苦渋の決断も理解出来る。

かつて、田中選手が福田選手やエメルソン選手の背中を追って来たように、原口元気選手と矢島慎也選手は田中選手の背中を追って来た。寮生活の頃に、田中選手のスパイクを部屋に飾っていた原口は「永井さんと達也さんは、俺の中での憧れの存在。日本人のストライカーであの2人みたいになりたいって思ってきた。練習場でも、全てにおいてプロ!同じポジションだけど、もっと一緒にやりたかった。僕がやっていかないとと思った。達也さんに追いつける存在になりたい。まだまだ、追いつけないけどね」と頼もしい言葉を口にした。矢島選手は「動き出しの質とか、練習から見て学んでいた。若手だけでは足りない。経験の多いベテランから学ぶ事が多い。達也さん、レッズを背負って来た人だから・・・。自分の責任と期待される事をプレーで返していかないといけない」と自覚が芽生えた。田中選手が受け継いできた浦和のストライカーのDNAは、間違いなくこの2人に受け継がれた。

田中選手なら、どんなクラブでも活躍出来る。違う色のユニホーム姿を想像する事は困難であるが、お馴染のポーズをする姿は想像出来る。誰もが、田中選手のゴールを見たいと思う。だから未来を信じて、田中選手を最高の笑顔で送り出したい。

田中達也は永遠にWonderboyなのだから・・・。

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