浦和への伝言2012 大原ノート – vol.13 十二日市(じゅうにんちまち)
浦和一女高OGのおふたりが、駒場~大原~浦和美園を巡る郷土の自然や史跡を楽しく散策します。
■ささやかなコラムですが、ありがたいことに読んでくださる方がいらして、今回は取材のリクエストをいただきました。浦和の暮れの風物詩、十二日まち(じゅうにんちまち)です。調神社(これを「つきじんじゃ」と読まれるとどこのことかと考えてしまいます。「つきのみや」じゃないとね)を中心にした歳の市です。
■大宮は氷川神社を中心に十日市(とうかまち)があり、私が大宮の小学校に通っていたころは十日市の日は(つまり12月10日は)授業が早仕舞いになりました。だから十日市に行くことを推奨しているのかと思いきや、PTAが出動して見張りのように立っていたりして、なんとなく「歳の市」というのはアブナイものなのかなあと思った記憶があります。さて、今はどんな位置づけなのでしょう。
■浦和の十二日まちというと、なぜか中山道などの表側の記憶がなくて、調神社(つきのみや)の裏の木立のなかに怪しげな小屋が並んでいる、というイメージなのはどうしてでしょう。そうか、高校の帰り道に裏側からしか行ったことがないからでした。それにたぶん小学生のときの「歳の市はアブナイ」という根拠のない思い込みも影響したかもしれません。
■でもね、本当に怪しい雰囲気だったんですよ。なんといっても「お化け屋敷」があったんですから。夏の遊園地じゃありません。寒~い歳の瀬、四時半といえば日も暮れ、調神社(つきのみや)裏の大木にはカラスがたくさんとまっていて、それで「お化け屋敷」ですよ。純真無垢な女子高校生だった(?!)私と友だちは看板のろくろっ首を横目で見つつ、やはり制服のままこんな「いかがわしい」ところには入れないと(すごく入ってみたかったんですが)通り過ぎたものです。
■ですから、今回、もし四十年たった今も「お化け屋敷」があったら絶対入ってみようと、これを取材のメインテーマにしようと、張り切って行ってきました。
■ありました! 記憶の「お化け屋敷」ほどおどろおどろしい感じはありませんでしたが、表通りのにぎやかな夜店を抜け、調神社(つきのみや)にお賽銭を上げて、さらにその奥に進むと木立の中にありました。いいですねえ、この非日常な感じ。そもそも歳の市の魅力というのも同じではないでしょうか。普段はただ通り過ぎる街路に突然出現する怪しい町、怪しい食べ物、怪しい賑わい、たくさんの不思議な縁起物。そう、非日常こそがエンターテインメントの肝なんですよね。
■そういう意味ではレッズも同じかもしれません。静かな変化の少ない街に突然出現した怪しい賑わい、非日常。どうも同じような状況に反応してしまう私がいるような気がしますが…。
■さて、いよいよお化け屋敷です。おばちゃんが呼び込みを始めました。「きゃあきゃあ楽しいお化け屋敷」だそうです。ええっ、おまけに「制服の女子高校生は100円引き」ですって! そんなあ、なんだかイメージ違うんですけど。「怪しく」ないじゃないですか。「100円引き」は四十年前はなかったし。と思ったら、すぐ後ろに並んでいたお父さんと一緒の小学生男子が「やだ、やめる」としり込みしてくれました。そうこなくては。
■それで実際ですか? あはは、それは料金を払った人の秘密です。でも、ちょっとだけ。お化けの出てくる黒幕の後ろで四十年前からこのご商売をしていそうなおばあちゃんが、うれしそうに仕掛けのひもを引いているのが見えたのはここだけの内緒の話です。
文/百瀬浜路(ももせ・はまじ)
東京都生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、多摩美術大学卒業後、(株)世界文化社に入社。保育園、幼稚園のための教材企画、教材絵本、保育図書の編集に携わる。ワンダーブック等の副編集長などを経て、現在同社ワンダー事業本部保育教材部副参与。保育総合研究会会員。蕨市在住。
写真/黒木葉子(くろき・ようこ)
川口市生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、千葉大学工学部写真光学科卒業。大学在学中から研究テーマとしていた撮影技術を生かしフォトグラファー、イラストレーターとして活躍。セツ・モードセミナー勤務を経て、現在フリーランス。川口市在。。