浦和フットボール通信

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浦和フットボール交信 – Vol.3~URAWAにとってのサッカーの意味~豊田 充穂

豊田充穂浦和フットボール交信 Vol.3
URAWAにとってのサッカーの意味

豊田 充穂(コピーライター)

折しもアップされた椛沢編集長の返信コラムを読んでいる最中だった。バンクーバー五輪の情報洪水のかたすみで、韓国に惨敗した日本代表の問題点を検証するコーナーがTV放映されていた。冒頭ナレーションでいわく、「この低迷は協会の責任か、監督の責任か、はたまた選手の責任か」。いまどきのスポーツニュースらしいアプローチだなという感想はさておき、このフレーズをそのまま私たちのケースに置き換えてみる。
「浦和レッズの低迷はクラブの責任か、監督の責任か、はたまた選手の責任か」。
大半のレッズサポーターはこんな思考ベクトルのマスコミの発声を聞いたら、少なからず違和感を持ち、反発を示してくれるに違いない。浦和レッズは誰のものなのか? ウチのチームの命運に繋がる問題を、勝手にクラブや監督、選手だけに委ねてくれるなと……。

勝たせなくてはならないレッズ。
編集長のコメントを読んで感じたのは、レッズサポーターがスタンドで積み上げてきた経験と模索である。私は彼よりさらに上の世代だから、若いサポーターの皆さんには申し訳ないが、またしても古い話から始めさせてもらう。そしてこのエピソードが、例えば編集長が訴えるところのサポーターの意識や忍耐を考える一助にでもなれば幸いだ。
前回も述べたとおり「経験の再検証」をしなければ、私たちレッズ支持者が作るべき土台は見えない。ではその経験とは何か。意図的に言い分けるなら「強いから好きな浦和レッズ」ではなく、「勝たせなくてはならない浦和レッズ」をサポートして来たという経験である。近年のレッズはACL制覇など眩しすぎる経歴が加わったためにサポーター自身も忘れ勝ちだが、このニュアンスの違いは決定的な意味を持つ。
かつての低迷時代、例えばJリーグ創成期のレッズサポーターは、いかに苦戦の連続を強いられようと安易な監督交代や補強の要求などは口にしなかった。当時のリーグの成熟度とか、ファンが持っていた情報の少なさのせいではない。駒場の応援席には当時からルディー・フェラー獲得の誤報に沸くヴェルディサポーターをあざけり、マラドーナの浦和入団を報じたスポーツ紙を笑い飛ばすバランス感覚があった(*1)。そして彼らはやみくもに強さを求めるチーム改革よりも、まずは「浦和にとってのサッカーの意味」をレッズというクラブに理解させることに心血を注いでいた。

(※1 J創設当時、リーグの盟主と「多国籍軍」を自任していたヴェルディ川崎は90年W杯イタリア大会を制したドイツ代表FWルディー・フェラーの獲得を発表したとされたが、後にこれは誤報であることが確認された。同時期に「浦和レッズ、マラドーナ獲得」の報が一部スポーツ紙トップ記事で報じられたが、これは現在も古参レッズサポーターの格好の“思い出ネタ”である。)

出ると負けのレッズが記録的な連敗を重ねるホーム駒場のスタンド。そこには例えば埼玉師範学校時代の蹴球部現役を体験した老人がいた(私の叔父もその一人である)。浦和南高校の三冠(*2)を目撃する幸福なサッカー小僧時代を過ごしたオヤジとその家族がいた(私やそのサッカー仲間たちもその典型である)。そんな親や兄貴分たちの熱をめいっぱいに受け継いだゴール裏の若い面々がいた(椛沢編集長はクレイジー・コールズの外郭エリアで声を上げていたという)。誰もが自分のサッカー史を胸に秘め、それぞれの思いをレッズに託してピッチ上に目を凝らしていた。そこには自らが育ち、成長して来た舞台であるホームタウンへの愛着が強く作用していたと思う。つまるところ当時から、ホーム浦和の客席はJリーグ以前からのサッカー観を軸に老若男女が声を合わせ、勝たなくてはならない理由をレッズに向けて吹き込み続けていたということだ。

(*2 浦和南高校の三冠達成は1969-1970シーズン。エース永井良和選手を中心としたその活躍はTVアニメ『赤き血のイレブン』のモデルとなり、全国にその名を轟かせた。『浦和フットボール通信』Vol.34号では、同校の監督だった松本暁司氏が当時の思い出とURAWAのサッカーへの提言を語っている。)

■クラブやサポーターの新世代に向けて。

昔もいまも、年齢や立場を超えたサッカーへの思いがこれほど充満しているホームスタジアムは他のJ会場には見られない。そしてこんな側面こそが実はレッズがレッズである所以であり、苦しい時に立ち戻るべき原点なのだと思う。ホーム浦和に生き続けたこの継承を、私たちはいまこそ見直す必要があるのではないか。そして改めて「浦和にとってのサッカーの意味」を、声を合わせてクラブやサポーターの新世代に向けてメッセージすべきなのではないか。このスポーツが多くの優秀なプレーヤーを育み、幾多の優秀な人材を輩出し、市民の絆を作ってきた大切な宝物であることがいま一度確認しあえれば、我らレッズサポーターの「土台作り」はおのずと浸透すると私は思う。

今回の結びに代えて、椛沢編集長のコラム要旨に私見からの回答を当てはめてみる。育成を得意とするフォルカー・フィンケの政権維持を決定したクラブ方針は、「浦和にとってのサッカーの意味」に相反しない。初タイトル獲得までに10年間を耐えたサポーターにしてみれば、補強ばかりに活路を求めず、ホームの星である山田直輝、原口元気(*3)らの将来を見据えながら目ざすレッズの戦力充実は、しんぼう強く待つ価値もあろうというものだ。

(*3 『浦和フットボール通信』Vol.21号は、2008シーズン高円宮杯を制した浦和レッズユースの優勝記念号。決勝の舞台で9得点をゲットした山田直輝、原口元気ら若きイレブンの活躍が詳細に報じられている。)

(第3校 了)

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