浦和への伝言2013 大原ノート – vol.15 どんぐり
浦和一女高OGのおふたりが、駒場~大原~浦和美園を巡る郷土の自然や史跡を楽しく散策します。
■子どもたちは、どうしてどんぐりがあんなにも好きなのでしょう。うちの娘や甥っ子、姪っ子が小さかった頃、実家近くの雑木林にお散歩に行きました。今ぐらいのよい気候のときで、林には丸いのやとんがったのや、いろいろなどんぐりが落ちていました。
■そこからです。拾うこと拾うこと、たまたま持っていたスーパーのビニール袋がいっぱいになり大人がストップをかけるまで、ともかく夢中で拾うのです。体の奥底にある狩猟採集本能が全開です。気持ちはわかります。今どき、ドロに汚れた1円玉を拾うのはなかなかおっくうですが、ころんと足元にころがったどんぐりは、大人でもつい拾いたくなります。
■どうしてなのでしょう。自然のなかには食べられるおいしい木の実もたくさんあります。でも、クルミやギンナンが落ちている状態はどんぐりと違って素手ですぐ拾おうという気持ちにはなりません。アケビもおいしいと誰かに教えてもらって食べてみるので、あのおばけちょうちんのような様子を見て、採集したいとはなかなか思えないでしょう。
■ところが、どんぐりはだめといわない限りなにも教えられなくても子どもたちは拾ってしまうのです。北から南まで、日本列島には20数種のどんぐりのなる樹があるそうです。今どきの人間には苦くて食べられるようになるまでに手間がかかりすぎるどんぐりですが、クマもリスも、そういえばどこかの国のブタもどんぐり大好きでしたね。秋になると日本列島のどこでも大量に手に入るどんぐりは、冬に向けての大切な大切な食料だったに違いありません。
■さいたまの雑木林や神社の境内はどんぐりの宝庫ですね。東京の街中で育った私は、さいたまに越してくるまでこんなにたくさんのどんぐりを見たことがありませんでした。娘は保育園に通っていたとき、先生とどこかの神社の境内でどんぐり拾いをして「ピーナツどんぐりだよ!」といってシイの実を持ち帰ってきました。炒って一粒、ふた粒食べてみながら、どんぐり拾いの思い出が持てる娘がちょっぴりうらやましかったものです。
■雑木林に落ちているのは「これぞどんぐり」といった形のコナラやまんまるで大きいクヌギ、神社や大きな屋敷森の落葉しない大きな樹の下にはシイやカシのどんぐり。どれも子どもたちがスーパーの袋いっぱいに拾っても怒られないでしょう。というか、怒らないでくださいね。現代社会では物はどれもだれかの所有物であって、勝手にとることはできません。公園だってボール遊びダメ、大きな声出してはダメ、花壇の花をむしっておままごとなんかダメ(昔、全部したことあるような…)。心の奥底の本能を全開にして採集できるチャンスなんてそんなにないのですから。
■どんぐりはだれの所有物でもない、自然からの贈り物、森からの招待状、あえていえば森の精霊トトロたちの所有物であってほしいと思います。ヨーロッパではわざわざ子どもたちを森の中で遊ばせる保育園があります。また、子どもたちの運動能力はグラウンドで指導された動きをするよりも、自由に落ち葉や倒木や石などの上でさまざまなバランスをとりながら遊んだほうが発達するともいわれています。どうでしょう。そういう場所を埼玉スタジアムやレッズランドなどに、確保するというのは。「どんぐりの森」プロジェクトなんてできるといいな。
文/百瀬浜路(ももせ・はまじ)
東京都生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、多摩美術大学卒業後、(株)世界文化社に入社。保育園、幼稚園のための教材企画、教材絵本、保育図書の編集に携わる。ワンダーブック等の副編集長などを経て、現在同社ワンダー事業本部保育教材部副参与。保育総合研究会会員。蕨市在住。
写真/黒木葉子(くろき・ようこ)
川口市生まれ。埼玉大学附属中学、浦和一女高、千葉大学工学部写真光学科卒業。大学在学中から研究テーマとしていた撮影技術を生かしフォトグラファー、イラストレーターとして活躍。セツ・モードセミナー勤務を経て、現在フリーランス。川口市在。