浦和フットボール通信

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Remember 11.27:URAWAは、あの日を忘れない “ゴール裏”の10年。 得たもの、そして失ったもの。

11.27 浦和レッズがJ2降格したあの日から14年の月日が経った。いま、一度あの時の想いを噛み締めたいと思い、本誌2009年11月の特集「URAWAはあの日を忘れない」をアーカイブにて公開を致します。
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福田正博のVゴール。揺らぐはずない“赤い悪魔”の勝利の証しは、J2転落という終幕に変わり果てた。だが、駒場の客席は、すぐさまイレブンの奮起をうながす「We are Reds!」をコールする人々の海に……。あの日、スタンドに交錯したレッズサポーターの声を先導したコールリーダーにとっての11.27とは? それからの10年間とは?

≪ プロフィール 猪野政人 ≫ Masato Ino
77年、川口市生まれ。都内IT企業に勤務。小学生時代からサッカーに親しみ、高校のサッカー部ではCB。Jリーグ開幕に際して「浦和に3・4万人規模のサッカースタジアム建設」を求める署名運動を単独で開始した経歴を持つ。クレイジーコールズ時代を経てURAWA-BOYSの創設に参加。以来、レッズの激動期であった04年中盤までグループ代表・相良純真の傍らを固めるコールリーダーとして“浦和のゴール裏”を牽引した。「2万人の声はそんなもんじゃないだろ!」等の煽りはいまも語り草だが、本人は振り返ることはしない主義。「でもあの日を語ることの意味は、やっぱり大きいですよね」 今回取材のために初めて11.27のVTRを観なおしたというかつてのレッズ援軍の旗手はにこやかに語ってくれた。―――インタビュアー/椛沢佑一

浦和フットボール通信(以下UF):唐突ですが、あの頃のスタンドに立っている夢を見ることは?

猪野:普通にあります。でも、苦しい夢ではまったくない。赤く染まった客席を前に気持ちよくコールしている夢です。ただ現実の11.27の記憶となれば当然悔いは残る。直接対決なのだから仕方ないけど、11.17(対市原、最終戦)にピークが来てしまいましたね。皆がひとつになって準備して、駒場に日本じゃないくらいの雰囲気作って、最後に福田正博が決めて……。レッズにしかできないこの試合をやった10日後に落し穴が待っていた。で、やはりその日のスタメンに福田の名前はなし!(笑)。今もって腹が立つ情況でしたね。

UF:その降格を味わった浦和レッズが、いまや常勝を求められています。

猪野:苦しんでいる現状を見ていると、当時の福田のような「絶対的存在」を軸に闘えない部分が気の毒というか……ひとつになれる感覚がないだろうなという印象は受けます。

UF:その「絶対的存在」とは、たとえばURAWAに置き換えられる?

猪野:その通り。勝てない時代だったけど、僕らには福田がいて、なじみの仲間がいて、駒場という家があった。これがURAWAと言い切れる軸があったんです。だからこいつらをJ1に戻らせようという気持ちも固まったし、復帰には誰もが忘れられないドラマがあった……。ただ、こういう結束を現状に求めるのは酷でしょう。いまのレッズはスケールが違うし、これはチームの「登り坂の時代」にだけ持てる一体感ですから。

UF:いまや福田正博を知らず、勝つのが当たり前と考える世代も増えてきています。

猪野:クラブとサポーターの関係が難しくなりました。常勝と言われるほど負ければサポーターは「上から目線」になるし、問題に突き当たれば互いの説得力やリスペクトの保ち方も難しくなる。クラブとサポーターがともに階段を登って来たキャリアがウチの特性なのですから……。レッズはまだ常勝のレベルにないし、サポーターもそういう意識は捨てるべき。極端な話を言えば、駒場の2万人からやり直し、クラブも僕らも人作りをやり直し、熱狂を作り直す。そういう原点回帰ができればレッズは魅力あるクラブに戻れると思います。10年を見据えるなら駒場開催を増やすくらいの覚悟は必要。千葉戦とか広島戦とか、リバイバルが観たいカードを選んでね(笑)。埼スタだけではせっかくの試合前後にURAWAの街が遠すぎます。お客さんが増えても、レッズらしさを作るのは人と人の繋がりなのだから。

UF:10年を経たいま、改めてレッズサポーターへのメッセージがあれば……。

猪野:コールリーダーを降りたのは、諸事情で客席に来られなくなった面々の受け皿を作りたいという思いがあったから。古参の人たちはクラブとサポーターの間に立つ術も知っています。それぞれの立場から11.27を風化させない努力をする。それがURAWAらしさと“レッズ愛”を伝えることに繋がると思います。

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