浦和フットボール通信

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荻原拓也がU-19ブラジル代表戦で感じた世界との差【河合貴子のレッズ魂ここにあり!】

J開幕から浦和レッズを追いかけている”タカねえ”こと河合貴子さんによる浦和レッズコラム。毎週、タカねえの独自視点の浦和レッズを語ります。

世界で闘う23戦士を目指して

「自分の中でやり切れない気持ちが強いですね。かなり・・・」とうつむきながら荻原拓也選手は、悔しさを噛み締めるように思いを吐き出した。

U-19日本代表は、10月にインドネシアで開催されるFIFA・U-20ワールドカップ2019アジア最終予選を兼ねたAFC・U-19選手権インドネシア2018に向けて、9月2日から13日までメキシコ遠征を行った。メキシコ遠征でU-19ベトナム代表、U-19メキシコ代表、U-19ブラジル代表、U-20クラブ・アメリカと闘った。

浦和からは、浦和の未来を背負う若き2人の勇者である橋岡大樹選手と荻原選手がメキシコ遠征していたのだ。実は荻原選手にとってこのメキシコ遠征は苦い自責の念に駆られるものになっていた。

「メキシコ戦は、もともと前半と後半で総入れ替えで均等分けでやった。ブラジル戦はガチでいってスタメンで出られたが、特にプレーに関与出来ずに交代させられた。

相手にボールを持たれた状態で、後半から少しオープンになった状態で自分はやってやろうっていう気持ちで前半は堪えることにした。でも、評価されないまま交代させられてしまった。すごく悔しくて・・・。

クラブ・アメリカ戦の前に、体調不良になって試合に絡むことが出来ずに終わってしまった。すごく後悔している」とメキシコ遠征を振り返った。

荻原選手の砂を噛むような悔しい思いが、伝わってきた。すべては、サッカー王国ブラジル戦だ。試合開始からブラジルに主導権を握られ防戦一方になっていた。荻原選手の得意のスピードを活かしたドリブル突破も左足から繰り出すクロスも思い切りの良いシュートも、自分らしいプレーが何ひとつ出せなかったのだ。後半にブラジルの疲れが見え始めて動きが鈍くなる時間帯に望みを掛け、好機が来ることを信じてただただ堪えしのいでいた。

前半を0-0で折り返すことができたが、影山監督は試合の流れを引き寄せようとハーフタイムに3選手を入れ替える大鉈を振る決断をした。平川伶選手(FC東京)から斎藤未月選手(湘南)、久保建英選手(横浜FM)から斎藤光毅選手(横浜FCユース)、そして荻原選手から東俊希選手(広島ユース)であった。

東選手は、今シーズンからトップチームに2種登録されていて8月22日に開催された天皇杯・3回戦名古屋戦でデビューし、9月2日にはプロ契約した選手である。荻原選手と同じ左利きで、切れのある突破と正確な左足のキックでチャンスメイクができる選手だ。

だからこそ、余計に悔しさが募るのは当然のことであった。

結局ブラジル戦は、52分に東選手がPKを与えしまいブラジルに先制されるも、虎視眈々とチャンスを狙い、DFの裏へとタイミングよく抜け出した田川亨介選手が冷静に決めて1-1で引き分けに持ち込む結果となった。

影山監督はブラジル戦を振り返り「サッカー王国ブラジルと対戦できたことは世界の上位を目指す日本にとって、そう甘くはないことを気付かせてくれました。プレッシャーを何度も続けても、個やユニットで簡単に剥がされてしまう。複数の選手で連携連動してボールを運ぼうにも、プレッシャーが厳しく、顔を上げることができないなど、ブラジル選手とチームのレベルはこれまでの対戦相手にない高いものでした。日本人らしく規律を保ち、集中を切らさず最後まで戦った結果、引き分けに持ち込むことができましたが、我々がもっともっと高いレベルを目指さなければいけないことを教えてもらったと感じています」という言葉を残していた。(引用・JFA公式ホームページより)

いかに、サッカー王国ブラジルとの対戦が厳しく、世界のトップレベルとの差を痛感させられたか分かるコメントであった。

そして、影山監督は「厳しい言葉になりますが、今回参加した選手すべてがAFC U-19選手権インドネシア2018に臨めるわけではありません。世界への切符を得るために、戦える23人を選んで、万全の準備でインドネシアへ向かいたいと思います。森保一監督率いるSAMURAI BLUE(日本代表)が、見事な始動をした今こそ、我々U-19日本代表がアジアで逞しく戦い、SAMURAI BLUEへ挑戦をする選手が出てくるよう、個とチーム、両方で成果を求めていきたいと思います」と話していた。(引用・JFA公式ホームページより)

果たして、メキシコ遠征での荻原選手は影山監督の目にどのように映ったのだろうか・・・。世界と闘える23戦士となり得るだろうか・・・。悔いが残るメキシコ遠征ではあったが、荻原選手は気落ちしている場合ではなかった。23戦士になるためには、まずは浦和で結果を追い求めていく。

「こっちに帰ってきてから次の日に練習できて、身体も動く、怪我人も多くってなると何かワクワクっていうか、すごいですね。チーム大好きなんで!浦和が本当に大好き!日の丸を背負って闘うことは、モチベーションがあがるけど、浦和のために結果を出したい」とはやる気持ちを抑えきれないほどであった。

愛する浦和のために誠心誠意つくして闘い、勝利を追い求め続ける荻原選手。その先は、世界と闘う23戦士の道へとなるはずだ。

Q. マレット指になってしまった場合は、どうすれば良いのでしょうか?

A. サポーターや装具で固定します。酷い場合は、2本のピンをさして串刺しにする手術をすることもあります。ずれているところにピンを入れることで固定します。最終的には、ピンは抜きます。

川久保誠 profile
1981年慶應義塾大学医学部整形外科教室入局。93年医学博士。94年英国リーズ大学医学部大学院へ留学、修士課程修了。96年より慶應義塾大学病院膝関節・スポーツ外来担当。東京歯科大学市川病院整形外科講師を経て2004年4月より川久保整形外科クリニック院長となる。浦和レッズレディースのチームドクターも務めた。
川久保整形外科 http://www.kawakubo-clinic.jp/

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