浦和フットボール通信

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【追悼企画】名将・松本暁司が語る「赤き血のイレブン」の時代

1969年に浦和南高校で高校三冠を達成するなど、「赤き血のイレブン」を作り上げ、数多くの日本代表選手などを育て上げた、松本暁司先生が、9月2日に逝去されました。
浦和フットボール通信でも2009年12月の特集に登場頂き、「赤き血のイレブン」当時の思い出をお話いただきました。ここに哀悼の意を表すとともに、かつての記事を掲載させて頂きます。

2009年取材時の松本先生

たとえ浦和レッズが苦戦を強いられても、埼玉スタジアムのスタンドに、この横断幕を見つけるとURAWAのサポーターは元気になる。誇り高き“あの頃”の熱気を知っているオールドファンなら、尚更だ。

赤いユニフォームの胸に輝く「南」の文字!超高校級の11人を自在に操る松本暁司監督の必勝采配!そしてあの三冠を決めた永井良和の独走ゴール!
今のレッズサポーター達に見せてあげたかったな。いや、本当に凄かったんだ……。
(インタビュー&構成 豊田充穂) <2009年12月号掲載>

浦和フットボール通信(以下UF):懐かしい写真ですね。松本監督や永井選手はもちろん。GK福家、DFの土屋にサイドの森田に、砂賀、奥田……。イレブン全員を思い出させそうです。

松本:あれから40年ですか。いやはや昔話になってしまいました(笑)

UF:今回の写真は三冠チームのゴールキーパーで主将を務めた福家三男さん(元川崎フロンターレGM)からお借りしました。

松本:本当に懐かしい。生徒はちゃんとこういう記録を整理してくれているんだな。

UF:監督は言えば当時の「時の人」。お忙しかったですものね。

松本:この前年に日本代表がメキシコ五輪で銅メダルを獲得し、サッカーが注目を集めていた頃でした。総体で活躍と永井は夏あたりからマスコミに追い回されるし、勝ち続けるほどにヒートアップして三冠達成の前後は騒ぎの頂点。現在の高校チームのように運営の作業分担なんだなんて望むべくも無い時代だから、遠征の手配から審判などの大会進行まで、監督自らがこなさなきゃなりませんでした。おまけに成果を出せばユースの代表監督とか指導者育成の担当まで仰せつかってしまう。体がいくつあっても足りなかった記憶があります。

UF:そんな条件下で夢のようなチームを作られました。かつて永井良和さんにインタビューした折に、その猛練習のエピソードをお聞きしたことがあります。

松本:また話のネタになるようなことばっかり喋ったんでしょ、アイツは(笑)。まあ厳しい練習メニューだったことは確かだが……。静岡の長池実先生(故人・当時の藤枝東監督)などと競り合ったり、意見を交わしたりして、日本サッカーの将来を担う少年育成を模索した成果でしょうね。

UF:常勝の南高は全国のサッカー少年の憧れの的となり、ついには「赤き血イレブン」としてアニメ化されるに至ります。監督は闘将の松木監督で、永井選手は天才プレーヤーの玉井真吾(笑)。

松本:あのキャラクター設定には参ったけど(笑)。ちょうど選手権が西宮球技場を主とした関西から関東開催へ移管されようとしていた時期。高校サッカーの人気を考えれば、多少の演出には協力したいという思いがありました。原作の梶原一騎さんが学校まで挨拶に見えて、校舎やグラウンドを取材して行かれましたね。

UF:南高をそこまでの強豪に仕立て上げた具体的なポイントとは?

松本:まずはスピード。走りとか判断の「速さ」を伴ったテクニックを身につけさせなくては、世界に太刀打ちできるプレイヤーは育成できないと考えていました。次にそういう「個の才能」をチーム作りの中で見極め、育てていくノウハウです。浦和勢も含めて日本の高校サッカーにはその二つの育成ポイントが決定的に不足していましたから。

これが、三冠を決めた伝説のゴール。69年度全国選手権決勝・初芝高戦で30メートルの独走からGKもかわして決勝シュートを放つ永井良和

UF:永井選手はこの才能を代表するエースストライカーでしたね。三冠を決めた初芝戦の決勝ゴールは後々までURAWAのファンの語り草になりました。

松本:あの舞台で独走してゴールキーパーまでフェイントで外すんだからね。あれから随分経つけど彼のように足元にボールが吸い付くようなドリブルができるダッシュと技術をあわせ持った選手はいまだに出てきません。入部してきた永井のプレーを見た時に「これで全国全国で勝負ができる」と直感したことを思い出します。

UF:南高は彼以外にも優れたタレントの宝庫でした。選手のスカウティングなどはどうされていたのですが?

松本:意外に思うかもしれないけど、当時の私はスカウティングは一切やりませんでした。近年はそれをやらないと選手を集められないし、タイトルも狙えないんだろうけど。南高でサッカーをやりたい、赤のユニフォームを着たい、そう志願して入学してきたメンバーだけで全国制覇を目指してきました。

UF:さすがですね。「赤き血のイレブン」の真骨頂です。

松本:スカウトされたりすれば高校生の選手には甘えが出るし、道のりの苦しさにも耐えていけない。当時はそういう考えのもとに部の結束を図っていましたね。逆に時代が変わった後は地元の有望選手が様々な優遇を用意するた他県高校に行ってしまうようになった。よく言われる「才能の県外流出」に繋がってしまったわけです(苦笑)

UF:選手のグラウンドマナーモードも話題になりました。「三冠を果たしても涙おそか表情さえ変えない」というサッカーマガジンの記事のくだりをいまだに覚えています。

松本:相手があることだ、ゴールを決めたぐらいで喜ぶな、冷静に残り時間のプレイを考えろ、勝ってタイムアップを聞いても笑ったりするな、喜び合うのはみんなでロッカールームに帰るまでとっておこう。イレブンに対してはそういう意識を徹底させました。そこから生まれるウチの雰囲気が勝負にまで影響を及ぼすと考えていましたから。

UF:当時の常勝の気概が蘇ります。最後に何度も受けた質問だとは思いますが……URAWAに、もう一度「赤き血イレブン」を集める方策は?

松本:私の答えも繰り返しになるけど(笑)。URAWAや埼玉県は、幾多の才能があるはずの場所なんです。ちょうど全国選手権の予選が行われていますが、率直に言って埼玉の8強や4強を争うチームとしては不満を感じる。先ほど申し上げた「個の才能」などはまだまだ引き出せていない印象を受けます。

UF:「赤き血のイレブン」を」育てた松本監督としては、そこは譲れない部分でしょう。

松本:例えば選手と1対1で、指導者自らがとことんキックの基礎を教え込むトレーニング法があります。チーム戦術を身につけさせるにしても、やはり監督自らがピッチに立って連携の細部までをイレブンに体得させるメニューだってある。指導システムが合理化されたせいか、昨今の監督は選手と間近に接することなく、遠くから指示を送っているイメージが強いですね。こういう指揮官に選手の本当の才能を引き出すことができるのか。選手もこういう指揮官に信頼を置き、熱意を持って応えることができるのか。改革のポイントはこのあたりだと思うな。指導の現場にいる先生方に是非とも考えていただきたいと思います。

(2009年11月浦和区内にて)

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浦和南高校三冠達成までの足跡

1969~1970シーズンにおいて、浦和市立南高校(現さいたま市立浦和南高校)は当時の高校サッカー3大タイトルを独占する史上初の快挙を達成した。総体予選決勝で王者・浦和市立を7-1で倒す衝撃のデビューを飾って以来、松本監督率いるイレブンは全国大会において「抽選勝」もない全勝の完全制覇。敗戦はエース永井を欠いて挑んだ国体・関東予選で喫した一敗のみ。圧倒的な強さで前人未到の偉業を果たし、浦和、浦和西、浦和市立に続く「URAWAの盟主誕生」を世のサッカーファンに印象付けた。

◎全国高校総合体育大会(69年8月・宇都宮市)
2回戦 〇4-1 松本深志高(長野)
3回戦 〇6-0 佐賀実業高(佐賀)
4回戦 〇3-2 初芝高(大阪)
準決勝 〇2-1 宇都宮工高(栃木)
決勝  〇4-2 清水市商(静岡)

◎国民体育大会(69年10月・長崎市)
2回戦 〇9-0 高松南高(香川)
3回戦 〇1-0 広島市商高(広島)
4回戦 〇2-0 大分工高(大分)
準決勝 〇2-0 藤枝東高(静岡)
決勝  〇4-0 大垣工高(岐阜)
◎全国高校選手権大会(70年1月・西宮)
1回戦 〇1-0 熱田高(愛知)
2回戦 〇3-1 遠野高(岩手)
準決勝 〇3-0 韮崎高(長崎)
決勝  〇1-0 初芝高(大阪)
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