【This WEEK】週刊フットボールトークVol.74(2/9)
椛沢佑一(浦和フットボール通信編集長)× 豊田充穂 (コピーライター)
椛沢:大住良之さんのインタビューでは、毎回鋭い提言を頂いています。今回も『本拠地に根ざした地域のスポーツ財産であるという意識をクラブが覚悟をして運営をしているのか』というお言葉がありました。そのような努力もあって今があると思いますが、どこかのタイミングで、クラブ側にそのような意識が薄れつつあったのも事実ではないかと思います。
豊田: 言うまでもないことですが、大住さんはサッカージャーナルの第一人者として非常に「客観性」を重んじる人です。そのジャーナリストをして、その指摘……私たちはレッズを支えるそれぞれの立場から、大住さんの言葉を受け止めなくてはなりません。
椛沢:クラブ側の意識低下と共に支える側の我々、市民・サポーターも意識が低下して、お互いの溝が深まった部分もあるのではないかと思っています。Jリーグが開幕した時は、クラブも浦和に溶けこむべく様々な努力があったと聞きます。故・森孝慈さんは、様々な地元関係者、サッカー関係者と交流を持ち、浦和の街に何度となく顔を出して『あの元日本代表監督の森さん』が来てくれると繋がりが深まったと聞きますし、負けた試合の後は、サポーターの前に顔を出して『負けて申し訳なかった。また次の勝利にために一緒に闘って欲しい』という言葉をかけていたという話も聞きます。選手達も放課後の小学校にふらっと訪ねてボールを蹴っている子供たちにサッカーを教えていたりしていたそうです。Jリーグチームを欲していた浦和の街もその後、浦和レッズの常務取締役にもなった新田博利さん(現栃木SC GM)などが努力を重ねて、三菱を浦和に呼び、そして街が浦和レッズを盛り上げたと聞きます。
豊田:そうですね。20年経って、良くも悪くも浦和レッズが当たり前の存在になったところがあるというのは事実と思います。大住さんとはJリーグ開幕時、オフィシャルガイドブックのデザインを担当した際からお付き合いいただいて来ましたが、「今日は良い話ができたなあ。他でも使わせてもらおう」なんていう言葉をインタビュー後に聞いたのは初めてだな。ベテランジャーナリストをして、レッズの現状にはご自身のペンでも書き切れなかった思いもあったのだろうと思う。今号は本誌読者の皆さんにはくり返し読んでいただきたい貴重なコメントと思います。
椛沢:レッズ20周年のこの折に、再度、原点を見つめ直して浦和レッズと街・サポーターが膝を付けあわせて交流をする必要があるのではないかと思っています。実はそのような場を作れないかクラブに提案を行い、クラブ側も原点に戻った交流の場を持ちたいという反応をもらったところです。また具体的に決まりましたら、こちらでお知らせしたいと思います。
豊田:読者の皆さんも待望の企画と思います。楽しみです。
椛沢:ミシャ・ペトロヴィッチ監督にもインタビューを行わせて頂きました。浦和の街のサッカーに対する姿勢をこちらからお伝えしたところ、監督も浦和がサッカーの街であることは当然ご存知でしたね。そのような街にあるクラブで仕事をしていくことの意欲も強く感じられました。
豊田:こちらが発声する前から「ヒロシマ、ウラワ、シズオカ」のフレーズが出ましたね。清水エスパルス関係者の方から聞いているのですが、残念なことにこの“御三家”エピソードは、いまや日本のメディア人よりも外国人監督の方が良く知っているらしい(苦笑)。
椛沢:本日から浦和レッズは鹿児島・指宿で2次キャンプを行い、韓国の強豪チームなどを含め、かなり練習試合も行いながら調整を行なっていくようです。どのようなチームに成長して行くのか期待しましょう。