浦和フットボール通信

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【This Week】ミハイロ・ペトロヴィッチ監督 独占インタビュー(2)

6年におよぶサンフレッチェ監督時代のミシャの成果には、ホーム浦和のメディアとして注目すべき要素は随所に見出すことができる。古くからのサッカーどころ・広島とタッグを組んでのユニークな育成環境を構築してみせた同監督は、我らがホーム浦和でも持ち前のスタイル構築と才能育成をベースに置いたリーディングが出来るのか……。新指揮官がURAWAの未来を語る、興味尽きないメッセージ第二弾をお届けする。 (浦和フットボール通信編集部)

ミハイロ・ペトロヴィッチ プロフィール
1958年、旧ユーゴスラビアの首都ベオグラード近郊のロズニツァに生まれる。愛称はミシャ。古豪レッドスターのユースチームを経てFKラド・ベオグラードにてプロキャリアをスタート。国内の数クラブを渡り歩いた後、85年にオーストリアのSKシュトルム・グラーツに移籍。93年に引退するまでをこのクラブで過ごした。96年、同クラブのアマチュアチーム監督に就任。同時期にトップチームの監督を務めていた元日本代表監督のイビチャ・オシムと出会い、2年間にわたって指導者としての薫陶を受ける。その後、スロベニアのクラブを指導した後、03~06年には監督としてシュトルム・グラーツを率いた。06年6月に来日しサンフレッチェ広島の監督に就任。リーグ戦10位の成績で07年にはJ2降格を経験するも、翌年には圧倒的な強さでJ2を制してJ1復帰。翌09年には昇格クラブとしては過去最高のリーグ戦4位の成績を収める。10~11年は2年連続で7位。11年11月にサンフレッチェ広島からの退任が発表され、2012シーズンより浦和レッズ監督に就任した。

【Jのお手本になるようなクラブになること。それがレッズの使命】

UF:かれこれ70年間に渡ってウラワ、シズオカ、ヒロシマはサッカーの三大王国といわれてきました。多くの地元の指導者達がいまも情熱をもってサッカーの指導にあたっており、そのトップにレッズが位置しています。6年におよんだあなたの広島時代の功績を拝見すると、地域と一体となって地元の子供たちをフットボールという過程を経て育成し、トップチームまでリンクさせるという作業を完成されたと考えます。

ミシャ:ありがとう。私自身がどのような指導者であるかは、既にURAWAの皆さんは良く分かっていますよね。今の言葉はうれしいです。私にとっては褒め言葉だ。それを頂くことができ、ありがとうという気持ちを伝えたいと思います。

UF:あなたの実績の証明する柏木陽介、槙野智章、森脇良太、駒野友一という4人のプレーヤーがいます。彼らはサンフレッチェと地元広島のジョイントによる育成機能の中で育ち、フル代表や年代別代表選手にまで登りつめました。このようなクラブと地域との深い繋がりによって好選手を生み出すことは素晴らしい仕事だと思います。同じ“サッカーの街”のファンとして、あなたの広島での実績に地元のファンは非常にシンパシーを感じています。

ミシャ:浦和レッズにも下から育ってくる優秀な若手は多いと思いますよ。我々がその若くてタレントのある選手たちとトレーニングを積み重ねる中で、近い将来にレッズで育った選手が代表チームに入っていくことも実現するのではないかと予想します。

UF:浦和レッズというクラブは、良くも悪くも就任した外国人監督のそのような発言によって、ホームタウン、サポーターともども敏感に反応します。そのメッセージの影響力によって、結果が左右されてきた歴史があります。

ミシャ:(心得ているよ、という仕草で盛んに頷く)このホーム浦和においては、サッカーの街である地元のプライド。そしてその地元を代表する若手プレーヤーに期待がかかることは当然でしょう。ただそういった選手は、立派にピッチに立つためのクオリティを備えていなければなりません。ここまでトレーニングをしてみた中で、浦和には若くて才能がある選手がいることは間違いない。私が100%言えることは、それらの選手の中からレギュラーに昇格し、やがては代表選手に名を連ねる選手が出てくるということです。

UF:そのような広島におけるあなたの成功は、クラブサイド、自治体、監督ご自身という3者の志向性の一致がなければ、成し遂げられなかったのではないでしょうか?

ミシャ:確かにそうだが、私の広島でのエピソードはもはや過去のことです。私はこのURAWAという街で、サンフレッチェを上まわるイレブンを創りたいのです。そして現在よりももっと多くの若手を抜擢してトップチームに入れて育てたいし、より多くの代表選手を輩出していきたいと思っています。浦和というクラブのポテンシャルは高いのです。そして何より、日本一といわれる数多くのレッズサポーターを擁するクラブです。そういうクラブは、他のクラブから手本となるようなクラブでなければいけない。これはとても重要なことです。そのような浦和レッズの認識が日本のサッカー界をあるべき方向に導き、そのような存在に成長することが日本サッカー界に良い影響を与えると思います。私が考える理想のクラブを、ホームタウンURAWAとともに目指したいと考えます。

【強豪に返り咲き、6万観衆を呼び戻す進路を確立したい】

Photo by(C) Kazuyoshi Shimizu

UF:あなたが考えているクラブの将来設計、残してくれるであろうクラブへのメンタリティ等は、私たち地元のレッズ支持者にとってはとても重要です。もはや勝敗よりも期待している部分と言っても良いでしょう。どうぞ納得できるまで時間をかけ、思った通りの仕事をしてください。URAWAの地元メディアとして非常に期待しております。

ミシャ:ありがとう。ただいちばん大切なのは、私がレッズの監督に就任したことではありません。私が去った後も浦和レッズが成長を続け、真の強豪クラブに成長し、長きに渡って良いクラブになるための活動が続けられることです。私は常に「クラブのために」というスタンスで仕事をするつもりですから。そのためには現在だけの話ではなく、1年後も2年後も、もっと将来にも、クラブが成功するためにどんなプランを組織内で共有すべきかを考えなくてはなりません。どういう風に若い選手を育てて行くのかを、考えながら進まなくてはなりません。それは監督である私ひとりで出来ることではない。選手はもちろんクラブスタッフやサポーターの助力があって、すなわち皆さんの力があって初めて成り立つことなのです。

UF:今日お話頂いた将来へのステップを埼玉スタジアムの3万人の観客が見ることができれば、それはやがて6万人に膨れ上がることでしょう。

ミシャ:私たちが展開するサッカーはスペクタクルなものになるでしょう。埼玉スタジアムの客席を埋めるサポーターはそのスペクタクルに溶け込み、楽しむことができるでしょう。フットボールに熱狂する埼玉スタジアム、すなわちURAWAのポテンシャルはレッズのかけがえのないバックボーンです。我々はスペクタクルなサッカーを実践しなくてはならない。6万人のサポーターがそれを楽しむ環境をいま一度創り直さなくてはなりません。

UF:なるほど、あなたが理想とする浦和レッズの将来像が良く理解できました。最初のインタビューとしては100%のものだったと思いますね。

ミシャ:(盛んに頷きながら)言うのは簡単ですが、今日のお話を実現する仕事はハードなことだと思いますよ(笑)。ただ私たちは「自分たちこそが成し遂げて見せる」という意志をピッチの中で示していきたいですし、それを皆さんに観てもらうつもりです。我々は多くのことを言葉にして言うのではなく、自分達の行動で、ピッチ上の仕事で示したい。浦和レッズがどこへ向かっていくのかを示したいのです。(昨今の)レッズは「自分たちの目標はここにある」というメッセージを言葉でしか発信できていなかったように思います。私が率いるレッズはそうであってはいけない。言葉で発信するのではなく、行動やピッチ上の仕事で皆さんやレッズサポーターに示して行こうと思います。

UF:そのプロセスが見える限り、私たちは勝ち負け以前に「あなたが率いる浦和レッズ」の応援を続けます。

ミシャ:ありがとう。着実に、良いカタチで仕事をしていきます。今日は非常に興味深いインタビューが出来ましたね。楽しかったです。またお会いしましょう。

≪2012年2月 埼玉スタジアムにて≫

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