浦和フットボール通信

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VIPインタビュー:レッズと、Jと、メディアの視界を語る。木村元彦×豊田充穂(1)

『オシムの言葉』著者として知られるノンフィクション作家・木村元彦氏の最新作、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル刊)が静かな波紋を広げている。我那覇和樹選手のドーピング冤罪の衝撃は言うまでもない。だが何より私たちがこのドキュメントに引き込まれるのは、展開とともに積み重ねられて行く証言と事実の重み。そしてそれらがフットボール、ひいてはプロスポーツ全般の未来に及ぼすであろう影響の大きさに気づかされるからだろう。今回著作の取材でも我らが浦和レッズに深くかかわった著者のロングインタビューをお届けする。浦和フットボール通信・豊田充穂


木村元彦(きむら・ゆきひこ) プロフィール
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。愛知県生まれ。サッカーを縦軸に旧ユーゴの民族紛争を描いた『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』(いずれも集英社文庫)は、ユーゴサッカー三部作と称される。著書に『蹴る群れ』『オシムからの旅』など多数。『争うは本意ならねど』は『社長・溝畑宏の天国と地獄 大分トリニータの15年』(集英社)に続くJリーグ三部作のラインナップとして上梓。三作目を構想中。『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』(小社刊)で、第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。2011年日本民間放送連盟賞テレビ報道部門東京地区審査員。

【レッズが誇るべき逸話に満ちていた“我那覇問題”の周辺】

豊田充穂(以下、豊田):話題の新作、拝読しました。まず思い浮かんだのは、ちょうど発売と前後して行なわれた木村さんとノンフィクションライター高野秀行さんとの対談におけるお二人のコメントです。
<編集部注:高野秀行氏は『幻の怪獣・ムベンベを追え』などの著作で知られる辺境作家。木村氏とのトークイベントは2月26日にリブロ池袋本店で行なわれた>

木村元彦(以下、木村):あの催しには豊田さんも来場いただきましたね。どんな発言でしょう。

豊田:「とことん近づいて取材はするが、その対象にベタ着きにはならない」という木村さんの言葉。そして高野さんの「惨状が伝えられる都市を取材しても現地住民は笑顔ばかり。外国人のカメラが踏み込める場まで逃げおおせた人間は幸福で、メディア受けする悲惨な表情は見つけにくい」というコメントです。

木村:なるほど。

豊田:対象の差こそあれ、日ごろから「浦和レッズという存在」をピッチ上でばかり嗅ぎまわっている私たちは、ともするとプロサッカーがどれほど多面的な要素に支えられて成立しているかを忘れてしまいます。それは木村さんや高野さんが踏み込んだ異国の社会秩序が、日本にいては想像もつかないほど危ういバランスの上に築かれている事実と同じ構図なのだと思った。身近にあるほど鈍化してしまうこの種の感性を、きわめて自然に呼び戻してくれる本でした。

木村:私がレッズサポーターの皆さんに我那覇問題を知って欲しいと思うのも、そのような側面が占める部分が大きいです。

豊田:勝手ながら少々内容に触れさせてください。核心部分が進展する時間帯は、浦和レッズがACL王者に輝く2007年ですね。

木村:はい。そこでドーピング疑惑の渦中に陥った我那覇選手を救うために、浦和レッズのメディカルディレクターである仁賀定雄ドクターが多大な貢献を果たします。こういう筋書きの中でも、ご自身の功績を表に出すことは好まれない方ですけど……。情況をお話しすれば、そもそも執筆中から先生を実名で登場させる了承をいただくまでがひと苦労でした。

豊田:了承いただけて良かったな。ACLに浮かれるばかりだった私などは、リーグの裏側にあったこういう経緯もつゆ知らずに過ごしてしまうところだった(苦笑)。とはいえ、現実に我那覇選手が直面していた難局は深刻です。冤罪を世に証明しなければ、自分の名誉回復はおろか他のJリーガーやサッカーの将来にまで影響をおよぼすという事態。

木村:我那覇選手は自分は決して誤った治療を受けていないという確信があったのですが、その置かれた状況を誰も説明してくれなくて葛藤していた。そこへ一面識も無いレッズの仁賀先生からの手紙が彼のもとに届くわけです。我那覇選手が知りたかった真実がまさにそこに記されていて、心の霧が晴れて勇気を持って立ち上がるという流れです。

豊田:J初制覇を果たし、アジアを目指す途上にあったレッズのメディカルディレクターが自らしたためた長文メッセージ。それが人を介して我那覇選手に手渡される……。そこから展開される仁賀先生以下のJ各クラブのドクターによる我那覇救済の努力と連携は胸に迫る熱があります。

木村:ドーピング疑惑に至るまでの関係各方面の動きを漏らさず確認する。証拠データを取り揃え、編纂し、各クラブの医療関係者にオーソライズを得られる文書にする。事後の影響がいかに大きなものであるかを客観的に訴える資料作成を手がける……。仁賀先生はこれらの膨大な作業を、浦和での医療業務と並行して実践しました。しかも時間帯は、お話ししたとおりACLのトーナメントラウンドにまで至る2007年の秋です。

豊田:……信じられません。

木村:確かあの年、レッズは合計8回の海外アウェー戦に臨んでいるはずなんです。

豊田:金銭面を別にしても、インドネシアと中東遠征を連チャンすれば若いサポーターもヘロヘロになる日々でしたから。もちろんメディカルディレクターにはターンオーバー制などないですしね。

木村:主力選手たちもACLにリーグ戦や代表戦が加わって消耗。怪我人続出の“野戦病院”状態だったわけです。仁賀先生はチームドクターとしてレッズの選手を診ていた。国内のゲームでも当然ホーム戦にもアウェー戦にも帯同していた。加えて勤務先の川口工業病院で外来患者も診て……。そういう時間帯での戦いですから、睡眠時間を削るしかありませんでした。

豊田:仁賀先生の尽力もさることながら、彼をバックアップした各クラブのドクター陣が相対した“Jという組織の壁”も一サッカーファンとしてショッキングですね。さらにその不条理に立ち向かうどころか、被害者であるはずの我那覇選手をヘッドライン素材としか見ていないフシがある一部メディアの知識と意識。我々の立場からすればそこが何とも残念です。

木村:まあ、想定内のことではありますけどね……(しばし沈黙)。でもその代わり、私は取材者として仁賀先生の素晴らしい人間性を間近に見ることができました。とにかくプレーヤーたちの治療を第一に考えて総てを賭けておられる方です。スポーツドクターとしてフットボーラーであるならフロンターレだろうとレッズだろうと所属は関係ない。医療という立場からの正義と純粋なサッカー愛を貫く姿勢には感銘を受けました。チームカラーに準じて「浦和の赤ひげ」と文中で呼称したかったくらいです(笑)。

豊田:いやはや、浦和に関連して起こったJの重要ファクトを、またしても木村さんに持っていかれてしまいました。

木村:いいえ、私など、何もせず後追いで知ったに過ぎません。ただ以前も申し上げた通り、こういう地元のドクターがチームを担当している事実はまさにPRIDE OF URAWAなのではないでしょうか? レッズのホームタウン・URAWAが秘める「サッカーの総合力」を身を以って感じさせてくれる存在だと思います。

豊田:取材中に印象に残った彼の言葉などありますか?

木村:スポーツ外科の第一人者ですが、「過大な評価はしてくれるな。治せなかったプレーヤーもたくさんいるのだから」と……そう仰いましたね。事実、自身に対する全てのマスコミ取材を断っておられました。

【社会正義よりも「幹部のメンツ」や「組織都合」が優先される現状】

豊田:それにしても、内包している問題の根深さを感じます。冒頭のお話にも通じるのですが、木村さんが執筆を決めるタイミングというか、その時点での心境というものをお訊きしたいのですが……。

木村:と言いますと?

豊田:ベストセラー『オシムの言葉』に代表されるユーゴ三部作の視点もそうなのですが、やはりテーマの起点がフットボールそのものにあるわけでは無い。まずは紛争とか民族問題とかにまつわるかなりシリアスなフック部分があって、そこを背景として日本サッカーやスポーツ界に対するメッセージを送る……そんなセオリーが生きている。普通のフットボールライターとはかなり異質な視界を感じます。

木村:そもそも生粋のスポーツライターではありませんからね。ユーゴなど国際問題に眼を向けてきた本来的な私のキャリアを反映した特性と思います。でもまあこれは広告界の出身で、もとからのフットボールライターではない豊田さんも同じでしょう(笑)。

豊田:その意味では、私はサッカーフリークである自分自身の心が動けば文章にするくらいは出来ますが、このような「冤罪」を扱うテーマとなると……。著者が企画して取材したり、刊行予定を立てて書籍に出来るようなテーマではないですよね。

木村:もちろんそうです。まずは私自身が全貌を掴まなくては書けないし、書いてはいけない内容と認識していました。ただ、この事件は5年前の時点でサッカーにまつわるもの書きをしていた自分の眼の前で起きた。そういう経緯があるわけですから。

豊田:仁賀先生の尽力もスーパーですが、木村さんのポテンシャルも行間から溢れ出ている。記述は事実関係のプロセスはもちろん、関連する法律や団体の議事録、FIFAの規定や裁定の歴史、スポーツ医学、薬学にまで及びます。何というか……自分が書くしかないという「内なる声」が聞こえたイメージなのでは?

木村:(頷きながら)そういうテーマを紡いだドキュメントであればこそ、私は仁賀先生の実名はどうしても出させていただきたかったのです。先生から我那覇君に送られた手紙があって、それに呼応して彼が立ち上がった……すべてはそこから始まっているわけですから。この本の肝として、担当ドクターの存在は誰の目にも確かなものとして世に提示すべきと考えていました。

豊田:それが後世に残るメッセージとしての重みに繋がる?

木村:そうあって欲しいですね。

豊田:サッカー界というよりもスポーツ界全体を取り巻く現状に対する警鐘を感じます。社会正義よりも「幹部のメンツ」とか「組織都合」が優先される。そんな風潮に対する、あるべき警鐘ですよね。

木村:ライターなどメディア発信に関われる私たち自身が事実を追い、然るべき人間から証言を引き出し、隙間を埋めていく……。現状ではそれしか改善への方策は無いでしょう。

豊田:このところの自分が手がけた拙いインタビュー歴を辿っても、思い当たる部分が多々あります。大住良之さんが言われた「Jはピッチに近い現場レベルの結束や指導力は成果を出しているのに、リーグとクラブの幹部体質はむしろ劣化したと感じる部分がある」という発言や、轡田隆史さんが言われた「自分の担当クラブも長期的・多角的に追えず、ホームタウンの歴史さえ学んでいない記者がフットボールを評論するのはおこがましい」というメディアに対する苦言。これらが苦い実感とともに甦ってきます。
<編集部注:大住良之、轡田隆史両氏の発言は、『浦和フットボール通信web』の以下URLを参照
https://www.urawa-football.com/post/5631/
https://www.urawa-football.com/post/4829/

≪以下、次号(4月26日配信予定)に続く≫


世界が注目したドーピング裁判の真実が、いま明かされる!

彼は、なぜ立ち上がったのか? 2007年5月、サッカーJリーグ、川崎フロンターレ所属の我那覇和樹選手が、ドーピング禁止規程違反として6試合出場禁止、チームは罰金1000万円の制裁を受けた。風邪で発熱、脱水状態で治療を受けただけなのに。そんな我那覇のもとに、一通の手紙が届いた──。
ベストセラー『オシムの言葉』の著者が、4年にわたる取材を経て読者に贈る渾身のノンフィクション!
自らの手で無罪を証明した我那覇和樹選手と、組織の枠を超えて彼を支えた人々の勇気と友情の物語。

争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール

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